厠の兵隊 公演情報 厠の兵隊」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    気持ちのよさ
    猥雑で暗い印象が多いアングラ劇団の中では、泥臭い中にも清潔感のある劇団だと思います。ダイナミックな演出と繊細な心の動きが、観客の心に沁みやすく自然と楽しませてくれます。

    ネタバレBOX

    板垣桃子さんの演じる月子の、突き刺さるような真っ直ぐな笑顔が作品の魅力を底上げしていました。中堅(年齢経験的に)の役者さんが、男女問わずしっかりしている劇団だと思います。
  • 満足度★★★★★

    やっぱ
    この世界観、大好きです。

  • 満足度★★★★

    なんか健全な演劇でした
    最近、映像でやっても同じじゃん。って思うような
    自然ぶってる演技と、山も谷もない日常風景を切り取ったような舞台が多くて飽き飽きしてたところだったから、こういう、いかにもお芝居です!!!
    って感じのを見るとスカッとします。
    決して後味の良い物語ではないはずなのだけど、そういう問題ではなく、スカッとしました。

  • 満足度★★★★★

    切ないファンタジー
     入場すると、一面真っ赤な紅葉で、思わず「おぉ!」。
    切ないファンタジーでした。透役の鳥山 茜嬢がすばらしい。
     板垣桃子さんは、なんであんなかわいらしく無邪気な笑顔をするのだろう。あの笑顔見たら、周りの男はたまらないでしょう>月子♪
     与市と月子が抱き合う場面は色っぽかったですね。ちょうど与市の横顔が見える席だったのですが、月子を見る眼が印象的でした。

  • 満足度★★★

    古き良きアングラの香り
    桟敷童子、初観劇でした。
    まず、会場の劇団員一丸となった、観客への心からの接待振りにとても好感を抱きました。
    セットも素敵!!
    旅芝居のアングラ版劇団風。
    昔、寺山や、唐芝居が苦手だった自分には、あまり好きなタイプの演劇ではありませんでしたが、でも、この劇団の空気を好きな方にはたまらない魅力がある劇団だろうと、容易に推察できました。
    何となく、先日観た黒色奇譚カナリア派風な舞台でしたが、同じアングラ色なら、私はこちらの方が好みです。
    東さんが描こうとされていることが明確で、清々しいのですが、やや、説明過多だったのではと感じました。

    ネタバレBOX

    私の子供の頃は、都会でも汲み取り式のお便所で、時々、バキュームカーが、汚物を回収に来ていました。
    夜、そのお便所に一人で行くと、納戸に置いてあった、人形がリアルにこちらを見ているような錯覚を覚え、怖かったことを思い出しました。
    なかなかリアルなバキュームカーもどきの戦車?が大道具として、大変効果的に登場して、この劇団の志の高さを感じさせられました。

    月子役の板垣さん、透役の鳥山さんが、見事に役を生きていて、舞台上で、輝いていました。
    如何にもアングラ演劇におあつらえ向きな音楽も効果的で、耳に残りました。

    ただ、少年の母親に対する思慕の象徴的描き方が秀逸なのに、殊更、説明台詞を付け足す必要を感じませんでした。
    一切の説明を廃し、観客任せにした方が、この芝居の空気感にはそぐう気がしました。

    7歳の少年が、母親に別れを告げるシーン、ふと、次男が幼稚園の時に「兄ちゃんはお父さんと結婚して。僕がお母さんと結婚するから」と言ったことを思い出し、心の中で一人受けてしまいました。
    我が家の還暦夫も、未だに、郷里の母親の前では5歳の子供に返ります。
    男性にとっては、やはり母親は永遠の女性なのでしょうね。
    そんなことを考えさせられる、男性目線の芝居でした。
  • 満足度★★★★★

    やっぱり桟敷童子はいい!!!
    あいかわらずセットが素晴らしいし、物語も桟敷童子らしい内容と展開、そして役者もすべていい。
    熱量があって、1時間40分が濃厚で、とても豊かな時間になる。

    ネタバレBOX

    夫を亡くし、頼るところもない月子と透の親子が、その夫の実家である村を訪れる。
    村には、厠の神を祭る風習があった。
    そして、村には丁度、来るはずのない、くみ取り屋がやって来ていた。

    夫は村を捨てたのだが、村は月子親子を迎えてくれる。身体が不自由であり、まだ独り者の与市(月子の夫の弟)と再婚してほしいと考えているのだ。

    女癖の悪い夫の父親は、嫁にあたる月子に目をつけ、手を出してしまう。
    また、村の山には、組の金に手を付けて心中しに来たカップルがいる。
    その男も月子に気持ちが動く。

    月子には、そんな男たちを引きつける何かがあるのかもしれない。

    ある日、月子に言い寄った父親とやくざのカップルが次々といなくなる。
    月子は、その理由にうすうす感づいているのだ。

    そして・・・。

    あいかわらずの九州にあるであろうと思わせる、古いしきたりが残る村と、都会からやってきた親子という対比で、伝奇的・幻想的な物語を見せてくれる。

    父を亡くし、より強く母を想う息子・透を中心に、暗く、切ない物語が展開していく。

    息子・透は、あまり話をしない。いつも紙製のトランシーバーで誰かと話している。彼は、常に戦いの中にあり、彼の兵隊たちと連絡を取り合っているのだ。

    透の兵隊好きは、男の子だからというよりは、父親が自衛隊員だったというところから来ているのではないだろうか。
    兵隊ごっこを通じて、父親の影を確認しているのだろう。
    また、「母を守る」ということも兵隊としての姿に結びつくのであろう。
    そして、彼は、彼の兵隊たちとずっと戦ってきたのだ。

    透の兵隊ごっこは、厠を大切にする村に訪れたときに変容を始める。
    誰が教えたわけでもなく、村の「地場」のようなものに触れて、透の兵隊たちは、
    くみ取り屋たちと一体になっていく。
    バキュームカーが黄土色の戦車になり、くみ取り屋たちが兵士に変わる。

    この展開は、わかりやすい。
    月子は、夫を亡くしてから苦労が絶えなかったのだろう。そのため自分たちは「排泄物のような存在だ」と口癖のように言う。
    透は、母のその言葉を聞いて育っていたために、排泄物に対しての親近感のような、なんとも言えないものがあったのだろう。

    そこに、厠を大切にする村が現れたのだ。
    だから、透にとっては、排泄物=自分たちを守ってくれる場所だと直感的に感じたのではないだろうか。
    しかも、都会にはないくみ取り式の厠だから、排泄物は身近にあるし、なによりもそれが素晴らしい肥料になるということだから、透にとっては、素晴らしい場所に違いない。
    だから、透は素晴らしい肥料を作るため、せっせと厠からくみ取り、大きな肥だめに持っていく。
    透にとって、それはとても意味があることで、知らず知らずにうちに自分の境遇を重ね合わせているのだ。

    そして、問題は、母に近づく男たちである。
    透は、それらと戦ってきた。
    つまり、透は、彼らを自らの手で排除していく。
    母もそれにはうすうす感づいている。
    息子から離れられない母としては、そこには深く立ち入ることができない。

    ラストがあまりにも切ない。
    月子に与市の子ども、つまり透に弟ができたことで、透は、自分の子ども時代の終焉を悟る。
    そして、さらに彼の中にあった「正義」が揺らいでいくのだ。
    与市は、命を取り止め、透は彼の兵隊とともに母のもとを去る。
    それしか道はない。

    母は透をつなぎ留めるために「大きくなったらお母さんと結婚するんじゃなかったの」と問いかけるが、透は「そんな子どもっぽいこと」と言い放つ。
    子どもは大人になり、母のもとから旅立つのだ。

    彼の周りにはまだ「敵」はいる。
    彼の中の「正義」の落としどころを求めて、透は彼の兵隊とともにそれと戦いに行くのだ。


    舞台は、隅から隅まで神経が行き渡り、隙はまったくない。
    役者の顔がいい、目がいい。
    そういう熱量が、観客を舞台に引きつける。

    くみ取り屋の頭、山嵐を演じた椎名りおさんが、とても活き活きしていた。前に広がるような台詞回しがよく、とても存在が大きく見えた。また、死に場所を探しているやくざを演じた深津紀暁さんも、ちょっと臭いぐらいの演技だったが、印象に残った。透役の鳥山茜さんも切なさ満開で、物語を見事に見せてくれた。

    もちろん、他の役者も言うことなし。
    「便所ニ兵隊サンガ、ムッチャオルトヤデェ」とフライヤーにある台詞を2回も言った外山博美さんは、その台詞が気持ちよかったんではないかなぁ、なんて思ったりもした。

    劇中歌も好きだ。冒頭の歌で、まだ物語がまったくわからないのに、じんわり来てしまった。

    桟敷童子は大好きだ。早くも次回の公演が楽しみになってきた。

    あ、そうそう、いつも客入れのときにこれから公演に登場する役者さんたちが揃ってお出迎えしてくれるのも、観客としてとてもうれしい。
  • 満足度★★★★

    現代の民話
    一言で表現すれば「見事な現代の民話」。母に対する少年の思慕が生み出した幻想あるいは妄想が切ない。


    昭和中期(推定)、夫に先立たれた月子は息子の透を連れて夫の郷里にやって来るが、そこには「厠神」を敬う風習があり…な物語。
    土着的・民間伝承的なものをベースにした、地に足がついているというか底力があるというか…な人間ドラマと、ギミックまで仕込んである手の込んだ装置がいつもながらステキ。
    で、月子に言い寄る(ちょっと違うか)人物たちの相次ぐ失踪というミステリー、母に対する透の思慕によるものではありつつ、もちろん子供1人でできることではなく、6人の厠神が手を貸しているようでもあり、しかしどうなんだろう?なところが幻想的と言おうか民話的と言おうか、桟敷童子の真骨頂かも。
    また、そんな透と厠神たちに “ダークな「ユタとふしぎな仲間たち」” を感じたりもして…(笑)
    さらに終盤、舞台上のたいこ橋をはねあげて登場する戦車は圧巻。それまで時々出てきたおわい屋の車(車体に書いてあった「シワイ屋」(=吝嗇)は屋号か?)もよくできていたし…。
    あと、ベートーヴェンの交響曲第7番が、恒例(?)の歌のみならず、劇伴としてもいくつかのアレンジで使われており、こんなにもマッチするとは意外。
    いや、もちろん「のだめ」でお馴染みの第1楽章ではなく、ジャック・ルーシェが様々なヴァリエーションでアルバムを作ったこともある第2楽章ですがね…。
    ちなみに客入れ・客出しのBGMは第5番の第1楽章。

  • 満足度★★★★★

    最高!
    普段こりっちには感想を書かないのですが、今回は書きます。とても人間愛あふれる素敵なファンタジーでした。

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