幸せを踏みにじる幸せ【公演終了!ご来場誠にありがとうございました】 公演情報 幸せを踏みにじる幸せ【公演終了!ご来場誠にありがとうございました】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
1-19件 / 19件中
  • 満足度★★★★

    空気感の揺れが
    空気感の揺れが。

  • 背けてはいけない目。でもやはり。
    単純に好みの話から入ると、こういう作品は苦手。作家からすると「知るか!」って言いたくなる感想だろうけど、多分僕の場合作品の意図や伝えたいことを解った上で、やっぱり苦手なのだと思う。もともと万人受けするために作っているわけでも、観客を楽しませるために作っているわけでもない作品だから、こういう感想があっても。

    作品を観て、全身がグサグサ突き刺される感覚を味わいながら、その内自分が加害者もしくは徹底的な傍観者であるように錯覚する。玉置さんを知っている関係者の方はS心が刺激されたりしたのかも知れないけれど、そうでない僕はひたすら痛かった。お遊びやおふざけから発展する集団狂気を知っているが故、罰ゲームのような最初の拷問からして既に辛い。けれど劇場という閉鎖空間からは逃げられない。

    どうしてもジャック・ケッチャム『隣の家の少女』を思い出してしまったが、別に意識していなかったようだ。決して救われないし、作者の狙い通り「二度と見たくない」と思ったものの、そこには谷さんなりの希望があった。でも作品を完結させる希望を遥かに上回る、現実に対する絶望がどんよりと沈んでいた。谷さん自身はこの作品を作ったことで、昇華されたものも大きいと思う。

  • 満足度★★★★

    歪みから搾り出されるまっとうさの逆転
    どこか溢れるような
    キャラクターたちの雰囲気が
    物語をしっかりと支えて・・・。

    時間を全く感じずに
    その世界に押され続けてしまいました

    ネタバレBOX

    受付で菊の花を渡されて・・・。

    場内に入ると、斎場のような雰囲気で
    遺影に献花をしてから席につきます。
    そのままの空気で舞台が始まる。
    ひとりの少女が現れて
    その死の顛末の物語へと導かれていく。

    冒頭のハイキング風のシーンでは
    個々の自殺願望がどこか形骸化してみえて・・。
    それゆえ自殺防止の組織から潜入した
    男の説得も、ステレオタイプだけれどまっとうに思える。

    ところが、彼がむりやり自殺を通報し
    監禁されたあとにはその概念が崩れていきます。
    集団自殺の実行という大義名分に
    参加者が組み込まれて、
    そこにかりそめの掟が生まれ
    居場所を見つけた個々の闇が
    死と裏腹な暴走を始める。

    その集団の社会を作り上げるための
    個々のキャラクタ-設定が絶妙。
    生きることから押し出されたような死への動機、
    揺らぎながらも逃げられないような感覚が
    役者たちの腰の据わった演技が醸し出す
    圧力のような感覚とともに伝わってくる。
    だからこそ、
    死にまで追い込まれたことの反動のように
    自殺を妨げるものを追い詰めていくロジックが
    すっと腑に落ちる。

    その小屋の持ち主の感覚も含めて
    概念とかではなく
    キャラクターから解き放たれた個性の具象化のなかで
    伝わってくる
    観る側にとって良い意味で逃げ場がないものがあるのです。

    集団のなかでは常に一定の比率で怠けものが生まれる話や
    自殺した身内を弔うものが
    常にそういう廻りになっているという感覚が
    駒がゆっくりと連鎖して倒れるがごとく
    観る側を包み込む。
    生きることを自殺者に説いたものが
    説かれたものからの同じ言葉で
    追い込まれていく姿は
    まさに圧巻。

    いろんな意味で赤裸々でどこかいびつ、
    でも、よしんば、そのいびつな世界でも
    いや、いびつな世界だからこそ
    伝わってくる人間の本質がある。
    その本質が変わらないから、役まわりも変わらない。

    物語を包み込むような終演近くの達観が
    すっと沁みてくる。

    谷作劇の艶のようなものすら感じ
    役者の個性に魅入られて。

    初日ということで
    すこしだけ間のずれのようなものを感じたりはしたものの
    べたな言い方ですが、
    本当に面白かったです。

    ☆☆☆★
  • 満足度★★★★

    感想を言うのは難しい。
    …こんなに後を引く芝居は久しぶりだったかもしれない。
    終わった後、あたしはしばらくぼんやりしたままだった。

    ラストの玉置玲央の笑顔が忘れられない。それを思い出し、
    キーボードを打とうとしたそのとき、また涙が溢れてきて、
    あたしは、視界が滲んでくるのを堪えねばならなかった。

    仕方が無いので、時間を置いて投稿することにした。

    ネタバレBOX

    作・演の谷賢一は、ひどい人間だ、と思う。
    こんな話、普通の心穏やかな優しい人間なら絶対に書けない。

    でも、きっと人間がすきじゃないと書けない本だとも思う。「人間」を
    好き好き大好き超愛してる、からこそ、書ける本なのかもしれない。

    自分は正直、暴力を真っ向から描く芝居は得意な方ではない。
    思わず全身の筋肉が収縮、身を硬くした場面もたくさんあった。
    でも、なんだか目を背けてはいけない気がした。
    真っ直ぐなまなざしの、彼に失礼な気がして、ぐっと堪えて見た。

    あたしは、アザミ、という花に馴染みがなかったもんだから、
    不思議と終わった後は、すずらんみたいに可憐な花を髣髴とさせた。

    調べてみたら、すずらんの花言葉は「幸福が帰る」
    「幸福の再来」「意識しない美しさ」「純粋」だという。

    何者にも染まらなかった、彼のあの笑顔は、純粋そのものだったからか。
    「幸せ」「生きる」「死ぬ」「諦めない」簡単なコトバの、フクザツな意味。

    他の人には気安く勧められないけど、あたしはきらいじゃないかな、と思う。
    じゃぁすきか、といわれると言葉に詰まるけど、観にいってよかったと思う。
  • お前の幸せはオレの不幸せ。
    なんて台詞はありませんでしたが、そういう様な事を思ってしまう場面ってありますよね。なんでこいつ笑ってんだろ。お前がいなきゃ楽なのに、死ねよ。とか。絶対そんなの口に出しちゃいけないし、口に出しちゃいけないと思ってるし。でも結局はシンプルに言葉にしようとしたらそう言いたくなってる時。その癖に「お前もっと生きろよ」って本音で思う事は少ないのってなんか空しい。理由は良くわかんないけど死んだらだめだと思うから、自分の気分が悪いから自分を正当化したいから「生きろ」って言うだけ。実際はそんな。
    谷賢一本人がジャック・ケッチャッム好きであるのを知っているからか、少なからず意識はしたのだろうなという感じ。そこに彼特有の悪ふざけ要素を追加するとこうなるのか。
    この面子だもの、もう誰の演技が良かったとかいちいち挙げてらんない。みんな仕事をこなしていました。「あ、なんだ。よく名前を見てたし、この人もっと凄いのかと思ってた。大した事ないな。なんで評価が高いんだろ」という個人的感想はありました。それもまぁ「お前の幸せはオレの不幸せ」みたいなもんです。あえて挙げるとすれば、我妻さんの声が最高に良かった。演技どうこうじゃなくて、声。そそられた。萌えたのとは違くて男としてのそそられであり、自分自身は完全にドMでありますが米粒ほどあったらしいS心を刺激してくれました。

    ネタバレBOX

    あえてコミュニケーションに不具合を起こしたかったであろう冒頭のいずみと幸子の場面はちょっと成立してなかった様に思う。成立しない事を成立させたかったんだろうけど、それにしても成立してなかった。違和感があったのだけど、それは「この人どうしたんだろう」っていう違和感じゃなく「この演技は何だろう」のほうだった。
    最初に笑ったのは平岡の長台詞だったか。あと、右ひじにもアップリケがあるのを見付けた瞬間。いかれた人物として登場した割にはそこまでいかれてなかった。かといって統合失調症という件があったからって別の人格がどうのってのは押し出さないでくてれて良かったんだけど。ストレスを別人格へ逃がすっていうのが出来ちゃうと自殺しないだろうし。
    動物をぬいぐるみなどで代用するのはダルカラでもやってますね。そういう挿げ替えは「ま、演劇だし」で許せる。逆に、猪熊の包丁だかナイフだかが本物でない事に対しては「おい、嘘つくなよ」と思ってしまった。切り付ける振りして切ってない。え、血が出てないじゃん。痛くないじゃん。耳を切ろうするのは自分がいた位置から反対の耳だったので、見えない分「どうなっているのか」を想像で補って怖くなれた。けれど。
    修の台詞は松岡修造botからでも拾ったんだろうか?
  • 201003281930
    観劇

  • 満足度★★

    お通夜に参列
    受付から雰囲気あって遺影に献花。遺影に薄笑(失礼!)喪主の百花さん可愛い(不謹慎ですいません)なんて事を思いつつ物語の展開に驚きながらも洗濯バサミで摘まんで引っ張ってみたいとか思いつつ、お前ら早く勝手に死ねとか思いながら、修の行為も尋常じゃない。登場人物のギリギリの幸せがぶつかり合うと狂うんだ。

  • 5月27日(日)S
    一瞬も目が離せなかった。それが凄い。

  • 満足度★★★


    ネタバレにて。

    ネタバレBOX

    「集団自殺のために集まったひとたち」いまさらかよ。

    「お前のせいで困ってるんだよ。早く遺書書いてくれよ」
    そんなのほっといて死にたきゃ死ね。遺書書かせる必然なし。

    「サラ」カットしてもこのはなし成立しない?
  • 満足度★★★★★

    「言霊」、あると思います。
    やっぱり、谷さんの作・演出はハズレが無いなぁ。
    今回もしっかり、鷲掴まれました。

    自分のカンパニーではないと仰ってましたが、
    キャスティングに関わっていないのに、あのクオリティ。
    どんな演出なんでしょう?
    ぜひ一度、稽古を覗いてみたい!

    桟敷は、砂被りならぬ水被りでしたね(笑)。

    ネタバレBOX

    私が谷さんの作品に惹かれるのは、
    ちゃんと各登場人物を愛しながらも、
    少しドギツイ表現が含まれるからなんでしょうか?
    目を逸らしたくなる寸前の表現や演出が、私にとても合うんでしょうね。
    私の周りのリアルは、そのくらいドギツイって事なんでしょう。
    (確かに、ノーマルで健全でホンワカしたい人向きでは、ないのでしょうけれど。)

    キャスト陣も素敵でした。
    玲央君のバクテンは意味不明でしたが(笑)、芝居は流石です。
    ついつい「体当たり」に目が行きますが、彼のお芝居好きですよ。
    彼に合った、彼らしい演技ですよね。

    女子高生役の我妻さんも、初見でしたが本物の女子高生みたいでした。
    オドオド、オタオタぶりも、役にはまってました。

    照明も音楽も、タイミング文句なしでした。

    カンパニーの皆さん。
    お疲れ様でした。
    ありがとうございました。
  • 満足度★★★★

    漂う独特のオカしさ
    ある目的の下にできた共同体が次第に壊れて行くという核の部分は身につまされるが、その目的ゆえ(目的自体の変容も含む)漂うオカしさ(funny、strange両義)が独特。
    また、最後の場の清涼感もステキだし、献花してから席につく入場スタイルも面白い。

  • 満足度★★★

    観てきた!
    観ました。

  • 満足度★★

    中盤からは...
    食いつきはよかったのだが、中盤の暴力シーン、あれは駄目。何か左翼セクトの総括ポックって(実際は総括など知らないが)。幸せのテーマと違うのでないか。後、この劇場、席の間隔(前後左右とも)が狭くすごく窮屈。後半は尻の痛さで、舞台に集中できなかった。この劇場はもう行きません。

  • 満足度★★

    玲央君ご苦労様
    乗れなかったなぁ。これは乗れなかった。暴力描写に抵抗はないんだけど。
    まあ、尻と腰の痛みに耐えられなかったんだが…。

    ネタバレBOX

    ラストの黒いアイロニーは好きなんだが、
    そこに至るまでの手際が悪いというか。
    小松美睦瑠が玉置の乳首責めてるくらいまではおもしろい。
    中盤以降、真面目にやりすぎてる。
    徹底的にふざけた方が玉置のひとり芝居が利いてくるような気がする。
    陰惨な話を陰惨な表現と語り口で描いてもおもしろくないということかなぁ。
    玉置玲央、見せ場たっぷりだが、それに応えるだけの吸引力は感じなかった。
    我妻三輪子、かわいいんだけど、彼女のセリフはなぜか入ってこなかった。
    永山智啓、elePHANTMoonの印象が強いのか、この人が出てくると不安な気持ちになる。
  • 満足度★★★

    興奮度
    興奮度が高いです。

  • 満足度★★★★

    今日みたく雨ならきっと泣けてた
    「ひとごとじゃない、演劇」ということを考えた。「舞台上にいる俳優は"わたし"ではない」という演劇の大前提を使いながら「でも"わたし"かもしれない」という気持ちを想起させることは難しい。玉置さんという、つよくうつくしく鍛えられた身体に裏打ちされた精神性を持つ俳優でなければ、観客にそれを伝えることはできないのかもしれない。

    しにたい、って思う気持ちが幻なら、生きたい、って思うことも幻だろう。でも幻だって、思いこんで触って愛していけば現実になるかもしれないし、触って愛して、大事にできるもののことを、わたしたちは現実と定義するのだ。だからわたしは、まだ生きるのだ。

    ネタバレBOX

    玉置さんがしんでしまう、という物語の終わりから始まることで、わたしたちは観客として物語の外に置かれる。しかし、まるでそれは巧妙な罠であったかのように、いろんな方法で演劇世界にひきずりこまれてしまった。

    山小屋のシーンでは、連合赤軍の山岳ベース事件を思い出して、うっとなったりもした。それは俳優を通してわたしたちに与えられた疑似的な暴力体験だった。スクリーンや液晶画面ではありえない、舞台上で"今"ふるわれている暴力には、否応無しにわたしたちの感覚をさらう力がある。

    そしてそれは、音楽を通しても、行われていたのではないかと思うのだ。普通、芝居では、客がよく知ってそうな曲というのは音響で使わない。観客個人の思い出にリンクしていた場合、世界観の邪魔になったりするから。でも全編で流れていたCoccoは、10年くらい前に少女だったわたし(同じく少年だった谷賢一さん)の、ふくれあがった思春期の鬱屈、不幸感を、呼び起こしてくれた。死、は、やっぱり究極の個人的な状態だから、こうやってわざとかきむしるようなことやらないと、描けないんだと思う。

    客出しで流れた「さんぽ」で、涙がこぼれてしまった。
    大人になると、こういう明るさこそ、悲しい。

    あと、余談かもしれないけど、これタイトルとテーマを決めて台本書き始めたあとに、物語が一人歩きを始めたんじゃないかな。だからもともと目指してたところと違う場所(※物語の最初と最後の整合性の話ではない)に着地したような印象を受けたけど、そういうのって作家にとっては幸せなことだと思う。他の観客がどう思うかは知らないけれど、すくなくともわたしは。
  • 満足度★★★★

    こまつさんはこんなのばっか
    玉置ならではだなあ、がんばってるよ、お気をつけてね・・・。

  • 201005291400
    201005291400@タイニイアリス

  • 満足度★★★★★

    (≧∇≦)b
    初日を拝見。自分は自称、熱狂的な谷さんファンだから話半分できいてもらっても結構ですが、今日ハッキリとわかったこと、それはやっぱり自分は谷さんの本が好きで、谷さんの集める役者を信頼することができて、谷さんの演出するドラマに心揺さぶられるということだ。息抜きに観たいなら他をお勧めする。人間の弱さや愚かさ、強さと崇高さ、そんなものが凝縮している。

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