背けてはいけない目。でもやはり。
単純に好みの話から入ると、こういう作品は苦手。作家からすると「知るか!」って言いたくなる感想だろうけど、多分僕の場合作品の意図や伝えたいことを解った上で、やっぱり苦手なのだと思う。もともと万人受けするために作っているわけでも、観客を楽しませるために作っているわけでもない作品だから、こういう感想があっても。
作品を観て、全身がグサグサ突き刺される感覚を味わいながら、その内自分が加害者もしくは徹底的な傍観者であるように錯覚する。玉置さんを知っている関係者の方はS心が刺激されたりしたのかも知れないけれど、そうでない僕はひたすら痛かった。お遊びやおふざけから発展する集団狂気を知っているが故、罰ゲームのような最初の拷問からして既に辛い。けれど劇場という閉鎖空間からは逃げられない。
どうしてもジャック・ケッチャム『隣の家の少女』を思い出してしまったが、別に意識していなかったようだ。決して救われないし、作者の狙い通り「二度と見たくない」と思ったものの、そこには谷さんなりの希望があった。でも作品を完結させる希望を遥かに上回る、現実に対する絶望がどんよりと沈んでいた。谷さん自身はこの作品を作ったことで、昇華されたものも大きいと思う。
満足度★★★★
歪みから搾り出されるまっとうさの逆転
どこか溢れるような
キャラクターたちの雰囲気が
物語をしっかりと支えて・・・。
時間を全く感じずに
その世界に押され続けてしまいました
満足度★★★★
感想を言うのは難しい。
…こんなに後を引く芝居は久しぶりだったかもしれない。
終わった後、あたしはしばらくぼんやりしたままだった。
ラストの玉置玲央の笑顔が忘れられない。それを思い出し、
キーボードを打とうとしたそのとき、また涙が溢れてきて、
あたしは、視界が滲んでくるのを堪えねばならなかった。
仕方が無いので、時間を置いて投稿することにした。
お前の幸せはオレの不幸せ。
なんて台詞はありませんでしたが、そういう様な事を思ってしまう場面ってありますよね。なんでこいつ笑ってんだろ。お前がいなきゃ楽なのに、死ねよ。とか。絶対そんなの口に出しちゃいけないし、口に出しちゃいけないと思ってるし。でも結局はシンプルに言葉にしようとしたらそう言いたくなってる時。その癖に「お前もっと生きろよ」って本音で思う事は少ないのってなんか空しい。理由は良くわかんないけど死んだらだめだと思うから、自分の気分が悪いから自分を正当化したいから「生きろ」って言うだけ。実際はそんな。
谷賢一本人がジャック・ケッチャッム好きであるのを知っているからか、少なからず意識はしたのだろうなという感じ。そこに彼特有の悪ふざけ要素を追加するとこうなるのか。
この面子だもの、もう誰の演技が良かったとかいちいち挙げてらんない。みんな仕事をこなしていました。「あ、なんだ。よく名前を見てたし、この人もっと凄いのかと思ってた。大した事ないな。なんで評価が高いんだろ」という個人的感想はありました。それもまぁ「お前の幸せはオレの不幸せ」みたいなもんです。あえて挙げるとすれば、我妻さんの声が最高に良かった。演技どうこうじゃなくて、声。そそられた。萌えたのとは違くて男としてのそそられであり、自分自身は完全にドMでありますが米粒ほどあったらしいS心を刺激してくれました。
満足度★★
お通夜に参列
受付から雰囲気あって遺影に献花。遺影に薄笑(失礼!)喪主の百花さん可愛い(不謹慎ですいません)なんて事を思いつつ物語の展開に驚きながらも洗濯バサミで摘まんで引っ張ってみたいとか思いつつ、お前ら早く勝手に死ねとか思いながら、修の行為も尋常じゃない。登場人物のギリギリの幸せがぶつかり合うと狂うんだ。
満足度★★★★★
「言霊」、あると思います。
やっぱり、谷さんの作・演出はハズレが無いなぁ。
今回もしっかり、鷲掴まれました。
自分のカンパニーではないと仰ってましたが、
キャスティングに関わっていないのに、あのクオリティ。
どんな演出なんでしょう?
ぜひ一度、稽古を覗いてみたい!
桟敷は、砂被りならぬ水被りでしたね(笑)。
満足度★★★★
漂う独特のオカしさ
ある目的の下にできた共同体が次第に壊れて行くという核の部分は身につまされるが、その目的ゆえ(目的自体の変容も含む)漂うオカしさ(funny、strange両義)が独特。
また、最後の場の清涼感もステキだし、献花してから席につく入場スタイルも面白い。
満足度★★
中盤からは...
食いつきはよかったのだが、中盤の暴力シーン、あれは駄目。何か左翼セクトの総括ポックって(実際は総括など知らないが)。幸せのテーマと違うのでないか。後、この劇場、席の間隔(前後左右とも)が狭くすごく窮屈。後半は尻の痛さで、舞台に集中できなかった。この劇場はもう行きません。
満足度★★★★
今日みたく雨ならきっと泣けてた
「ひとごとじゃない、演劇」ということを考えた。「舞台上にいる俳優は"わたし"ではない」という演劇の大前提を使いながら「でも"わたし"かもしれない」という気持ちを想起させることは難しい。玉置さんという、つよくうつくしく鍛えられた身体に裏打ちされた精神性を持つ俳優でなければ、観客にそれを伝えることはできないのかもしれない。
しにたい、って思う気持ちが幻なら、生きたい、って思うことも幻だろう。でも幻だって、思いこんで触って愛していけば現実になるかもしれないし、触って愛して、大事にできるもののことを、わたしたちは現実と定義するのだ。だからわたしは、まだ生きるのだ。
満足度★★★★★
(≧∇≦)b
初日を拝見。自分は自称、熱狂的な谷さんファンだから話半分できいてもらっても結構ですが、今日ハッキリとわかったこと、それはやっぱり自分は谷さんの本が好きで、谷さんの集める役者を信頼することができて、谷さんの演出するドラマに心揺さぶられるということだ。息抜きに観たいなら他をお勧めする。人間の弱さや愚かさ、強さと崇高さ、そんなものが凝縮している。