工場 公演情報 工場」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/08/15 (木) 14:00

    価格3,500円

    日本によく似た架空の「王国」のとある企業の工場勤務の人々の「日常」(?)。
    一応「現代」に見えるがなんせ「架空の王国」だけにどこかレトロな雰囲気が漂い、「外の国」から働きに来ている人物の女性感は戦前の日本の考え方を思わせる。
    そんな前提で夏から冬にかけての期間を連作短編集のようなスタイルで描くのだが、随所にイマの世相に対する皮肉があり「だから架空の国という設定なのね」とニヤリ。

    工場勤務経験者として一部の言い回し(?)が「それな」だったり少し前に観た肋骨蜜柑同好会と通ずるものを感じたりしたのも楽しかった。

  • 満足度★★★

    ■105分弱■
    今の日本の労働問題を描くにあたり、ブラックコメディの手法が有効なのか、疑問。これを観て身につまされる人がいるだろうか? 話を収斂させず、すべてをうやむやにするようなラストにも感心できず。

  • 満足度★★★★

    『世界は"すこし変"で彩られている』
    まさに、その通りですね。
    その、変さが面白くて、なんか病み付きになりそうな感じです。
    最期の踊りもシルクっぽくていい!

  • 満足度★★★★

    業務の中で切り取った場面、見せ方、小道具の使い方が好き
    最後まで面白かったが、途中から笑い事に出来なくなってしまった
    自分もただ毎日を踊って過ごしているが、いつか移民の立場になる未来もあり得るなと感じた

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2019/08/15 (木) 14:00

     面白い。動きに特徴のある世田谷シルクにとっては珍しいストレートプレイ。と言っても、動きが目立たないだけで、シルクらしい感触はある。とある「王国」(どう見ても日本にしか見えないのだが)の工場が「外の人」を受け入れることになって起こる混乱や軋轢を描く。ある意味で社会派の芝居とも言えそうなのだが、そこは堀川らしく、ファンタジー的に収束させる。ただし、物語はしっかりある。

  • 満足度★★★★

    二三年前の横浜公演が最後だったか、久々の世田谷シルク。もっとも初観劇は「赤い鳥の居る風景」(座高円寺)だから大した数を見ていないが...気になる作り手の一人。修行を経ての現・世田谷シルクをアゴラで鑑賞した。
    今作は身体パフォーマンスを封印し、主宰自身も結構喋る現代口語劇は世田谷シルク的に新鮮だったが、師匠の土俵に敢えて乗っての勝負だろうか。演劇人やるのも「楽じゃない」オーラが堀川女史の小さな体躯から滲むせいか(勝手なイメージ)、題材へのこだわりもそぐわしく、そしてその期待を裏切らぬ酸味と渋味の効いた一編だった。
    無論、架空の国の設定ではあってもリアルの芝居なればリアル基準での評価は避けられないが。

    ネタバレBOX

    正確を期せば自分は冒頭を見逃したため、幾つかラッキーな誤解が生じていた(台本で確認)。
    伏線が周到、説明が親切というのが読み返しての印象だが実際どう演じたかにも依る。私は観劇中は「関連付け」からむしろ解放された感覚的な(突発的に見える)アクションとして見ていて、つまり冒頭がなくて成立する線を鑑賞したことになるが、その方が(恐らく自分なりの補足ができるので)見やすかったしそれぞれのエピソードの中に普遍的な広がりを(勝手に)感じる事ができた訳だ。

    例えば派遣男の人物像は、「自分なりに将来を考えているが詰めが甘い」程度で、終盤受かった(正社員採用)会社を蹴ったのも次のような理由。「派遣として働く今の会社でいずれ正社員となる事を望んでいる」か「どうやら受かったのはブラックらしいがプライドからそれを口にしない」「現状を変える勇気がない」「(同僚でもある)彼女との結婚自体を躊躇し始めた」あたりだろうと見ていた。が、台本には、彼は正社員になるよう声が掛かっているのに彼が拒否している、とあった。つまり理想主義のモラトリアム志向であるが、その癖給料が安いとこぼしたりもする。正社員になってから面従腹背、「次」を狙えば良いのに、という話。これでは会社の方針に対し、彼は自らの人生設計と選択のミスを悔いる事になり、観客もどちらかと言えば彼を哀れと見て、自分を重ね合わせはしても一つ向こう側の出来事として収束する。
    選ばされているようで実は選んでいるのだよ、も真だが、選択の余地があるように見えて実はほぼない、も真である。

    で、ラストだけは身体表現解禁、人物らが踊り出し、徐々に皆も現れて一同に会し、えじゃないかよろしく踊り狂って暗転となる。ただ、ここではやはり「えじゃないか」のエネルギーがほしいのだが、矛盾が噴出しきっていないのでそこに達しない。派遣男は欠点はあってもそれなりに頑張って生きている。対立してしまった彼女も実は忸怩を抱えている。奇妙な主役である外国人の男は中盤、通訳を介して日本の「ここが変だよ」をぶちまけたが、実はまだ燻っている。吃音の男は脇腹に痣があり実はいつも誰かの鬱屈の捌け口にされている(私の創作)。・・それぞれの日常の卓袱台を引繰り返す事が許された時間、存分に解放された「踊り」を私としては見たかった。

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