怪物/The Monster 公演情報 怪物/The Monster」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    作者A・クリストフが「悪童日記」で小説家デビューする以前(70年代)に寓話的な短編戯曲を物していて、邦訳されたのが2巻に収められている。舞台で観たのは「エレベーターの鍵」と「道路」で「怪物」は初めて。しかも新国立の本公演より面白い事もある研修所公演だけに期待大であったが・・

    アゴタ戯曲は、読んでその喩える所を考えるには楽しい読み物だが、舞台化は難しい(不可能ではないだろうが)と思っている。「怪物」は、未開時代のとある村に現れた「怪物」を廻る年代記で、時間経過を挟んだ数場面から成る短編。各章の記述も最小限なので、読む分には想像力で余白を埋め、もしくは保留しながらでも読み進む事はできる。結語に皮肉を読み取ってにんまりしたりゾクッとしてみたり。
    だが舞台上の時間を進めるとなると、演出的工夫を要求する粗さがある。

    戯曲を大きく分ければ二つ。前半は異臭と醜さを放つ「怪物」(ある日獲物をしとめる罠にかかっていた)を、最初村人は退治しようとするが手を尽くして叶わず諦め、やがて怪物の背中の花が放つ匂いの虜になってしまう。そうして幸福感に満たされた人間が怪物の口の前に姿を現わすと怪物は人間を食み、大きさを増して行く。後半は、怪物が肥大して二つ目の村も飲み込まれてしまったのを受けて、敢えて怪物を避け花の匂いを嗅がずにいる(怪物を憎み続ける事が出来ている)主人公の青年と村の長老が、「村が消えた」村人の不安感を追い風に、怪物の周囲に高い石塀を作り、近づく者は容赦なく殺す、という取り決めが作られた。時が経ち、二人を除いた最後の村人だという男が塀の前に現われ、村人たちは全員殺され生き残ったのは自分だけである事、生きていても意味がないので怪物に食われて死ぬために禁を侵してやってきた事を青年に告げる。男は、「最後に花の匂いを嗅がせてくれ」と懇願するが、青年は無慈悲に答える「あと一息で怪物はようやく消える。今人間を食べればまた膨れ上がり、元に戻るのに何十日も掛かる。私はここに近づく人間を殺してきた、村人も、自分の肉親さえも。勝利は目の前だ」
    男がフラフラと石塀に近づくと青年は容赦なく撃ち殺す。長老は青年を讃え息絶える。

    この話は「怪物」も花も姿を見せないし(見せてみたとしても象徴的提示にしかならないだろう)、村人の生業や慣習、人間の三大欲求と怪物の放つ香りとの優劣や棲み分けなど、全体として理解する(リアルに想像する)ディテールがない。従って、観劇においては全てを象徴と捉えその含意を汲み取る、という事が求められる。
    ではどう読めば良いのか。(長文につき後半はネタバレで)

    ネタバレBOX

    前半は未開の地を、貨幣や資本主義経済といったものが浸透し、価値観を変質させられていく様子を重ねる事ができる。後半は村人の欲望充足(とその先の死)を物理的に断ち、怪物(忌まわしきもの)の成長(浸透)を止め、衰弱死へと追い込む、この試みの失敗を描いている。

    この寓話は、資本主義の人間に及ぼす危険を知り、危機感を抱く人間が行動を起こしたまでは良かったが、そう単純な問題ではなかったという、鋭い皮肉であるのか(社会の矛盾に立ち向かおうとした若者の初心に寄り添っている)、それとも誤った手段に固執した愚をむしろ告発しようとするのか(旧共産圏にあった独裁=傀儡政治への糾弾)、強調点の置き方で変わるように思う。
    何を象徴する物語に立ち上げようとするのかが、舞台化には愈々必要に思うのだが、そこがはっきりしなかった。

    マンチェスターの学生との合同という面でも、同じ役に日英両俳優を付け、同じ場面を日本語と、英語(字幕付)で繰り返したりする。これは蜷川幸雄の「トロイアの女たち」で日、イスラエル、パレスチナの女優による合同舞台を、結局同じ台詞を三言語で各国の女優に喋らせるという超緩慢な、観客の忍耐力を鍛える演出になったあの舞台を思い出す。なぜ日英合同なのか、その必然、面白さも見えなかった。利点は多人数である事による「壮観」だがこの演目では舞台成果に結び付かず(戯曲に加筆等を検討しなかったのか)。
    未開部族の衣裳だけは立派だったが、立派に見えてしまって良いのか?と疑問。独自の堅固な文化を持っていそうだし、それが切り崩されていく悲劇の要素など戯曲には一切ないし。何か良い所を見つけたかったが残念な結果である。
    しかし失敗率の高い難しい戯曲に敢えて挑戦した。敢えての失敗なら次に繋がる拾い物も大だったのではないか。
  • 満足度★★★

    鑑賞日2019/08/05 (月) 14:00

    座席2階RB列24番

    寓意に満ちた作品です。ある村の罠に怪物が捕まります。この怪物は、おぞましい姿をし、
    瀕死の状態にありますが、殺そうとしても死にません。村人は次第に、この怪物の漂わせる匂いに惹かれ、怪物に自らの家族そして自らを与えるようになります。怪物は人肉を喰らい。どんどん大きくなっていきます。長老は、村を救うには、人肉を食わなければ、怪物がどんどん小さくなっていくことを知り、けして村人を怪物に近づけないこと、近づく者は殺すことを命じます。そして、怪物は消えていくのですが、その時、村は、、、、

     原作を読んだことがないのですが、上演時間は1時間10分。舞台は、新国立劇場演劇研修所 & マンチェスター・メトロポリタン大学演劇学校それぞれで、2人1役で入れ子のように演じていきます。ですから、素の芝居として観れば、せいぜい40分に満たないのではないかと思われます。
     なぜこのような構成にしたのか?異国語でのやりとりを可能するため?それだけだったら、新国立の研究生だけでやっても良かったのではないかな。今一つ演出構成の意図がわからない。
    舞台冒頭、研究生たちが各々の「怪物」の見立てをするのだけれど、ちょっと話が矮小化しすぎかな。

    シンプルに観たかった、というのが正直な感想。

    ネタバレBOX

    の怪物を何に見立てるのか、作者の生きた時代を鑑みれば、戦後資本主義という見方をする意見は有力でしょう。拝金主義、ポピュリズム、などなど。

この公演に関するtwitter

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  1. 新国立劇場演劇研修所「怪物」、マンチェスター・メトロポリタン大学演劇学校の生徒さんたちとの共演でした。違和感なく、二つの国の人たちと二つの言語が飛び交う演出が良かったです。音楽も良かった!

    約5年前

  2. あんまり舞台詳しくないけど新国立劇場演劇研修所「怪物/THE MONSTER」見てきました。 テーマもストーリーもシンプルで、迷子になることなく…という感じ。「怪物」と呼ばれるものの正体が人それぞれ異なって見えて、でもその本質は… https://t.co/uzaRrnItOh

    約5年前

  3. 新国立劇場演劇研修所「怪物」終了。物語はとても今に繋がる良い作品だし出演者の懸命さも良いんだけど、演出の意図が伝わらなかった。日英合作で、試みは面白かったし演出も面白いんだけども。なんか集中力が削がれてしまった。必然性が感じられなかったというか。物語と役者さんのパワーは伝わった。

    約5年前

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