珍しい凡人

珍しい凡人

箱庭円舞曲(東京都)

公演に携わっているメンバー:6人

団体紹介
あなたの日常に侵食したいのです。
何気ないコミュニケーションを、丹念に物語ることによって。
誰かの人生(物語)と誰かの人生(物語)が交錯する瞬間を、シャープに切り取ることによって。

例えば、個人と個人は、どれほどの言葉を尽くしても、どれほどの時間を共有しても、100%分かり合うことは出来ません。これは誰しもが認識している事実です。それでも人々は、誰かと理解し合うことを求めます。理解されることを望み、理解しようと努力します。全てを理解し合える日など、絶対にやってこないと直感的に気付いていながら。ここにこそ、希望があるのだと思います。ゴールには永遠に到達出来ない。だから、進むしかない。非常に絶望的な希望です。

現代日本では、誰しもが、それぞれ固有の生きにくさと息苦しさを抱えて生活しています。そんな絶望的な希望を抱えた誰かさんの日常を、俯瞰的な視点で捉え直し、個々の物語が交錯する瞬間を切り取って作品化します。舞台上の出来事を覗き見て感じる可笑しみも哀しみも、何だか良く分からないけれど心がぐわんぐわんする感覚も全て、あなたが日常的に味わっている感覚に基いたものです。観劇後はきっと、いつも通りのコミュニケーションが、少しばかり違うものに感じられるでしょう。

資本主義が成熟し、コンテンツの消費速度が日々増していくこのご時世に、一歩立ち止まってじっくり考える。
箱庭円舞曲は、物語ることを諦めません。
極めてスタンダードな方法で、極めてストイックに。
カウンターカルチャーに対してのカウンターとして。
人間が社会の中で生きるということの可笑しみと哀しみを、仔細に物語ります。

私たちは、たくさんの日本人の日常に侵食したいのです。
それぞれが、日常を意識的に捉え直すきっかけになりたいのです。
そうすればいつか、日本も少しは変わるんじゃないかと思うのです。
応募公演への意気込み
あなたは平凡な人間なんです。まずはそれを認めましょう。
「自分は一味違う人間だ」なんて思っていたりしませんか?
「周囲には冴えない連中が多い」なんて思っていたりしませんか?
「なのに自分だけが損してる」なんて思っていたりしませんか?
あのね、そんなのね、誰しもが思っていることなんですよ。それが、平凡ってことなんです。
色んな人が色んな風に、「自分は一味違う、誰かよりも優れた人間のはずだ」と思い込んでいるから、
生きていられるんです。集団は形成されるんです。経済は発展するんです。

ですが、これをネガティブに捉える必要はありません。
いいですか? 世界を変えられるのは、平凡な人間だけなんですよ。
平凡だから、上を目指せるんです。他人とは違うものを求めるんです。
非凡な人間は、無為なんです。彼らは、他の人間を妬んだり羨んだりはしませんし、どこも目指していません。
比較対象も比較基準も無いから、上も下も無いんです。
ただ困ったことに、平凡な人間は、非凡さを求めてしまいがちです。珍しさを求めてしまいがちです。
そしてそんな風に他者との差別化を図るときに求めるもの(商品・考え方・生き方など)は、しばしば、他の誰かさんも求めるものだったりします。つまりは、「一味違う自分」を演出するために求めたものが、平凡さに拍車を掛けてしまっているのです。可哀相に。しかしこのお陰で同族コミュニケーションが成り立ち、商品が流通し、生活が潤った気になっている。
幸せなことです。

考えたりしなくてもね、あなたは一味違う人間ですし、平凡なんですよ。ご安心下さい。
どうしてもそんな平凡が嫌ならば、上を目指さないことです。他人を妬んだり羨んだりしないことです。生きないことです。
そう、平凡とは、「より良く生きたい」と考えることなのでしょう。
そして「より良く生きたい」ということは、「誰かより優れた人間でありたい」という意識に直結します。
故に、否、逆に、「自分はまさしく平凡であり、誰かよりも優れていると思いたいとは思わない」という人は、
怖い。非常に怖い。ベクトルが無い、ゼロだからです。
どうやってここまで生きてきたのだろう。今、何をして、何を食って、何の為に生きているのだろう。

そんな、珍しい凡人にまつわる物語。

平凡な兄は、平凡な仕事をし、平凡な結婚をし、平凡な人生を歩んでいた。
平凡な弟は、平凡に上京し、平凡に挫折し、平凡に帰郷した。
兄は、弟に嫉妬する。
弟は、兄に嫉妬する。
そして、誰にも嫉妬しない人が居る。

緩やかに、しかし確実に変わり行く世界の中で、
穏やかに、しかし誰よりも幸せに生きようともがく。
そんな平凡すぎる人間の、珍しい日常。
もしくは、そんなことを考えている珍しい人間の、平凡な日常。
あるいは人間賛歌。

凡ての人生を、特別なものとして肯定する。
私たちの日常は、常に平凡で、ゆえに珍しい。

箱庭円舞曲 第十六楽章『珍しい凡人』
将来のビジョン
2011年11月3日(木・祝)~13(日)、駅前劇場にて、
第十七楽章『いつも誰かのせいにする(仮)』を上演します。

責任を負いたくない人のお話です。
つまりは、これを読んでいるあなたの物語です。
これを書いている僕の物語です。
責任なんて、能動的に負いたいものではないと思うんです。
自分の生活や生き方や考え方の責任すら取れるかどうか分からないのに、他の何かの責任まで取れるかっつーの!って。
責任は、負おうとして負うものじゃない。
負わされるものです。

ただ、いざ負うとなれば、頑張ってしまいがち。
大抵はそこに、何かしらの損得勘定が内包されています。
単純に金銭的なことだけではなくて、精神的なもの、例えば誰かに認められたいとか、自分の成長の糧にしたいとか、そういったものも含めて。
だから、頑張ってしまいがち。

そうやって責任を負うことでしか、見えない世界がある、はずなんですよ。そう期待しているんです。でも、なかなか辿り着けない。煩悶する。こんなことしていても意味が無いのか。あるいは、責任の負い方を間違っているのか。負っているつもりになっているのは自分だけで、実は全く負えていないのではないだろうか。

では。

責任を逃れ逃れて、ややこしいことからは目を逸らして、色んなものを遮蔽して生きている人にしか見えない世界というものも、実はあるのかもしれない。
そういう人は大抵嫌われているから、そういう人について深く考えることもあまりないわけだけれど、ちょっと考えてみようかな。

箱庭円舞曲 第十七楽章「いつも誰かのせいにする(仮)」

公演に携わっているメンバー(6)

湯舟すぴか

よろしくお願い致します。
ジジ

出演します。 新たなメンバーも加えての公演です。
片桐はづき

新劇団員です。 出演します.。 良いGWになりますようにー
井上ヒロオ
役者・俳優

前回公演に引き続き役者として参加します。 今回は劇団員として参加です。 よろしくお願いします!
小野

我小野也。 役者参加。 劇団員也。 御来場願。 エセ中国風でしたが本編は真っ当に頑張ります! よろしくお願いします!
庭師
脚本 演出

脚本と演出を務めます。前説は卒業しました。平凡な人間の珍しい物語か、珍しい人間の平凡な物語になると思います。でも、どっちもそんなに変わらないと思う。

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