パレードを待ちながら
劇団未来
未来ワークスタジオ(大阪府)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
満足度★★★★★
60年もの歴史がある劇団で、内容も素晴らしいの一言。素直に良かったです。女性五人で繰り広げられる、第二次世界大戦終戦近くのカナダを舞台にした話。女性の葛藤や移民の大変さをとっても上手く表現していたと思います。お客様も満席でした。
にぶいちの失明
山田ジャパン
新宿シアタートップス(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
猫、獅子になる
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
ラビットホール
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2022/10/28 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
タイトルのラビットホールって何かな、と思っていたが、作品を観てなるほど、と思った。
奥が深い作品で、いろいろ考えさせられた。
役者さん達の熱演に、感動させられた。
他の人の観てきたコメントがとても良いので期待して行った。
期待以上で、本当に素晴らしかった。
観てよかった。
満足でした。
VANYA‼︎
人間劇場
SPACE EDGE(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」を刺激的・印象的に演出した野心作。
人間の生きる、特に労働という社会的な問題を根幹に据えた戯曲。人には色々な顔(面)、階級があり、そして様々な出来事がある。フライヤーの絵柄はそんなことを表しているのかも知れない。勿論 四幕ということも関係しているだろう。出来事といえば、観た回はチョットしたアクシデントがありヒヤッとさせられた。
今まで何度か「ワーニャ伯父さん」を観劇したが、この公演のような身体的なアプローチを加えたものは初めてである。それだけに新鮮でもあったが、違和感(取入れる疑問)もあった。ジャンルの違うARTとの融合を目指し、更なる芸術性というか可能性を模索している。同時に、チェ-ホフの戯曲は日常生活の中にある人の営みが根幹になっており、刺激的な出来事や事件は起きない。その変哲のない情景を少しでも印象付けようとしている。
(上演時間1時間30分 途中休憩なし)
オーガッタジャ!
発条ロールシアター
阿佐ヶ谷アルシェ(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2022/11/05 (土) 14:00
座席1列
初めて観る劇団でした。
全体的な印像は良かったです。
演技が下手だという感じではなかったし、
話も面白いと思いました。
ただ、段取りの通りにここまで移動してセリフを言うって感じに見えてしまったので話がなかなか入ってこなかった印象でした。
スリの回顧シーンも二人が背中越しに話してるのか、子供と大人が実際に向き合ってるというシーンなのかも判らないなどちょっと難しかったです。
なので次回違う話も観てみたいと思いました。
レオポルトシュタット
新国立劇場
新国立劇場 中劇場(東京都)
2022/10/14 (金) ~ 2022/10/31 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
ウイーンの成功したユダヤ人である工場主ヘルマン(祖父、浜中文一)を軸に、曾祖母エミリア(那須佐代子)から孫の代(レオ=八頭司悠友、ナータン=田中亨)まで4代の物語。1899年から1955年まで5つの時を描く。家族が多くて(25,6人?)、舞台上だけでは全部を理解できない。最初の一家のパーティーのあたりはあまりなじめないが、ヘルマンの妻でカトリックのグレートル(音月桂)の将校フリッツ(木村了)との不倫、ヘルマンとフリッツの対決・対話の場面は迫力ある(後の重要な伏線になる)
第3場1924年、赤ん坊に割礼をするか否かの騒ぎは面白い。笑いが多い。子どもたちが大人になり、家族の成長を一緒に見守って来たかのような気になる。第4場1938年は、ナチスの迫害により一家離散はつらい場面。医師のエルンストは、ヘルマンに促され、移住に耐えられない認知症の妻を安楽死させる。第5場1955年、孫二人と叔母の三人だけ。迫害を生き延びたナータンと、何も覚えのないイギリス育ちのレオとの対話には、ズレと嫌味もあるが、次第にレオが過去との手掛かりを回復していく。収容所で死んだ一族の名が次々詠みあげられ、粛然とした思いがする。
欲望という名の電車
文学座
紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)
2022/10/29 (土) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
近代戯曲の最高傑作のひとつ。文学座らしい手堅い芝居で、非情に濃密な舞台だった。3時間と長いが全然飽きない、充実した時間だった。題名は、欲望(Desire)という地区行きの実在の路面電車があったから、くらいにしか言われていないが、今回見て、芝居のあちこちに「欲望」というセリフがあるのに気づいた。「死」の対極にある「生」の象徴として。男に次々「欲望」をいだき、ミッチ(助川嘉隆)と結婚しようとするブランチ(山本郁子)は、過去をふりきって、生きようとしただけなのだ。「欲望」という題には、ブランチの生きる意欲が託されている。
その夢をスタンリー(鍛冶直人)につぶされてしまう。ブランチがスタンリーを「下品だ」「粗野だ」と忌み嫌ったせいもあるから、自業自得でもある。それぞれの登場人物に言い分があり、スタンリーでさえ悪人ではない(戦争のPTSDという解釈もあるらしい)。
山本郁子のブランチはいたって自然体で説得力があった。やけに喋り散らす、急にやって来たちょっと厄介な居候の姉というだけで、精神を病んでいるとは見えない。何かと酒に手を出すところが危ういけれど。しかし、後半、ミッチに向かって過去を語るくだりの切なさ、スタンリーに富豪からの電報やミッチの謝罪(いずれも妄想)をいかにも楽しそうに語るくだりは迫力があった。正気と狂気の境目自体がなくなって自由になる、最後の輝きが感じられた。最後のバスルームから顔をのぞかせてはしゃぐ声は、それまと違って作り声のようではかなげで、何かが変わったとわかる。
ミッチとの別れのシーン、幻のような黒服の女が室内をうろつく。ブランチのせりふに死神の言葉があるので、それを具現化したのかと思った。が、戯曲には花売りのメキシコ女とあり、その物売りの呼び声をカットして歩かせたもの。印象には残るが、やりすぎの気もする。かつての夫の死と重なる「ポルカ」の音楽は、冒頭の最初に夫の死に触れるところと、ミッチに告白する前後(九場)に気づいた。ほかにもあったはず(少なくとも六場、ミッチとのデートの夜)だが気づかなかった。この舞台では音楽の使用は難しい。
ラストのブランチ「わたくし、いつも、見ず知らずの方のご親切にすがってまいりましたの」が名セリフということになっている。今回もそこだけ目立つように、少し間を開けて明瞭に語っていた。が、それ自体はどうということのない文句。実は全編を通じて、似たようなフレーズをブランチは繰り返している。例えば5場で妹に「わたしは強い女になれなかったの、自立した女には。そういう弱い人間は、――強い人間の好意にすがって生きていくしかないのよ」と。ミッチにローレルでの淫蕩な生活を告白するときにもある。ミッチとの結婚に未来の夢を託すのもその流儀の表れだ。彼女の生き方と、その破綻を示すセリフとして、この戯曲の核心になっている。
猫、獅子になる
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★
清水直子さん見たさに足を運んだ。宮沢賢治の『猫の事務所』がテーマ。
猫の第六事務所は猫の世界の歴史と地理を調べる役場(モデルは郡役所?)。そこの四番書記の窯猫〈かまねこ〉は、夜かまどの中で眠る性質がある為、煤で真っ黒に汚れている。その為他の三人の書記から嫌われ虐められていた。事務長だけは仕事の出来る窯猫を評価。そんなある日、風邪を引いて一日休む窯猫。三人は有る事無い事を事務長に吹き込む。言いくるめられた事務長もぐるになり、翌日窯猫の仕事を取り上げ無視を決め込む。悲しくて悔しくてぼろぼろと泣き続ける窯猫。それを見ていた獅子(モデルは蔵相?)が事務所の閉鎖を命ずる。
1984年、中学校の演劇部で『猫の事務所』の初期形を自ら戯曲化し上演しようとする部長の美夜子(清水直子さん)。当事者を劇に参加させることによって校内での虐めを告発しようと思っていた。
2019年、ずっと自室に引きこもり続け五十歳になった美夜子。劇団員をやっている姪の梓(滝佑里〈ゆうり〉さん)が『猫の事務所』の舞台を小学校で上演する話に興味を示す。
宮沢賢治が発表する前に書いた初期形(草稿)のラスト、登場する誰も彼もが可哀想な存在であることを作者は述べる。この幸福を奪い合い不幸を押し付け合う、不毛な因果律が組み込まれた壊れた世界。優越感と劣等感の果てしないシーソーゲーム。どうにか脱け出す方法はないものか、と。
短編劇集「新江古田のワケマエ」
劇団二畳
FOYER ekoda(ホワイエ江古田)(東京都)
2022/10/29 (土) ~ 2022/11/03 (木)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
古民家のスペースをうまく使っていて、どれも役者の表情が素晴らしかった
特に「そう言われると」では丸山さんのヨッパライ振りが秀逸
ちえ象さんのおとぼけ振りもニヤリとさせる
このふたりは4月に観た「機種変更」でもいい味出していた
「ピクルス」は3年前に観た「半ライスのタテマエ」の一遍
「咲良」はなんかほのぼの
家族みんなの醸し出す雰囲気が良かったが、特にお兄ちゃん(吉岡)の表情が良かった
そしてなんといっても「娘にコクりに来た」竜也(長谷川)のおどおどした様子は最高
最後に「アレクサンドライト」で爆笑
お母さん(ちえ象)大爆発!!!
「そう言われると」以外は日常の中に入り込む非日常
四方田さんの視点はいつも温かいね
みやこほたる
劇団匂組
OFF OFFシアター(東京都)
2022/10/26 (水) ~ 2022/10/30 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
「観たい」投稿をしたものの、観ない雲行きであった(雑誌掲載の戯曲を読む手もあるし)所、やはり松本氏演出に興味あり、またタイミングも合ったので久々に下北沢を訪れた。
二人がそれぞれ、一人称で語り続ける二人芝居である。題材は1999年に実際に起きた、お受験殺人事件とも呼ばれる(らしい)文京区幼女殺害事件。作者がいつか書きたかった題材という事であるが、これを接点のない二人のモノローグ芝居にした。一人(京子)はこの事件をルポにしようと取材を続け、書き上げたという設定、今一人は事件の犯人で、名をみつ子としている。取材者とその対象という両者の関係は、序盤の台詞で把握されるが、その後、京子は自らも「みつ子」と同じ文京区で二人の子どものお受験の当事者となっており、その体験談が大半を占める。作者が体験か取材で得たネタが盛り沢山で、ディテールの面白さがあり、決定的瞬間(
(事件の)を最後に自ら吐露させ、その彼女の人生と並走する取材者の語りで幕を閉じる所は、書き手としての巧さを感じさせる。
が、観劇しながら(例によって体調↓のため「受信」し損ねた台詞もあったとは思うが)、今何が語られているのか迷路にはまったような時間がかなりある。そこで観劇後、買ってあったテアトロ掲載の戯曲を読んでみた。
中々難しい戯曲で作者がもしこの題材にこだわるなら恐らく相当な書き直しを行なうのではないか。
二人の人物の内、一方のみつ子は実在した人物(をモデルにした人物)、他方の京子は架空なのか実際の文京区民がモデルなのか、まあ作者の創造した人物だとして、みつ子と時代的な接点があったのか(それを事後的に京子は辿っているのか)、それとも時代はズレていて、同じような文京区事情が続いているという事を表したいのか、が判らない。
紹介される同地区のお店の名前も、実在するものなのかどうなのか・・。ドキュメント性と、フィクション性の整理が為されていない。
そもそもの話だが、加害女性(みつ子)の二人の子どもを通して犯罪の背景である文京区での教育・進路状況と、同じような話をなぜ京子にさせるのかが判らず、京子が今みつ子の話をしているのか自分の話をしているのかも、判らなくなる。彼女がとうとうと語る「自分物語」が、舞台の中でどういう意味を持たされているのかが不明瞭。
エピソードの面白さが、全体の中に明確に位置づけられない事は如何にも勿体ない。
やはり何と言っても、事件に関する考察の部分で、子育てから解放され漸く手探りでルポ執筆を始めた京子が、この事件をどうとらえたのか、そこが必ずしも明瞭ではない。作者が感じている何かが、言葉に落とし切れていない。
この事件の核心は、加害女性の内面の病理と、社会との隔絶のあり方にあると思われるのだが、作者はどう考えたのか・・。犯罪(や事故)は一つの要因では発生せず幾つもの条件が重なって起きる。実際の事件を扱う場合は、ミステリー構造のドラマのように最後に「真相に辿り着く」ような物語にはできない。
この題材を扱う最適な構造として作者は二人のモノローグ芝居を着想した、と思うが、今語られている町の物語であったりママたちの描写が、ドラマの「軸」に対してどういう位置づけになるのか、をより明確にしてほしかった。が、そこを詰めて行く作業は、より考察を深め、意味的に同じ文章や台詞が整理されて行くという工程になって行く。現時点ではこれで取り敢えずのピリオドを打つしかなかったのだろう。
ラビットホール
劇団昴
Pit昴/サイスタジオ大山第1(東京都)
2022/10/28 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
観劇の前に映画版を観ました、これを舞台でどのように表現するのか考えながら観に行ったのですが実に素晴らかったです。役者さんの演技も良かったしセットも立派でした。
猫、獅子になる
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
ワレワレのモロモロ2022
ハイバイ
シアタートラム(東京都)
2022/07/07 (木) ~ 2022/07/10 (日)公演終了
左手と右手
小松台東
駅前劇場(東京都)
2022/10/29 (土) ~ 2022/11/08 (火)公演終了
パレードを待ちながら
劇団未来
未来ワークスタジオ(大阪府)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
珍しいカナダが舞台の演劇だ。時は第2次大戦末期。残された女たちの戦争の実態が鮮明に描かれる。
今のウクライナ情勢を見るにつけ、どこの世界も戦争が起こっていたらあり得る話だ。女性だけの話だから、男性たる私が聞いていて、前半は少々退屈気味。それでもけっこう美人ぞろいの女優さんたちの演技がすごい。見ていて怖いぐらい。
後半になって、それぞれ人の女性たちの苦悩が浮き彫りにされていく過程は圧巻であった。そしてラストの題名通りのパレード。今までの女たちの感情を吐露してもうすごい。喜び、悲しみがごった返している、、。
猫、獅子になる
劇団俳優座
俳優座劇場(東京都)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/13 (日)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★★
#岩崎加根子 #塩山誠司
#清水直子 #安藤みどり
#志村史人 #若井なおみ
#野々山貴之 #小泉将臣
#滝佑里 #髙宮千尋(敬称略)
初日■嗚呼……チクショウ、やられた。完全にKOされた。10カウントも必要ないほどに打ちのめされた。とんでもない作品が産み落とされたと言うしかない。
扉の向こうとこちらについて考える。目の前にあるソレは確かに目に見えて存在しているけれど、目に見えないソレも至る所に存在する。人はソレを叩き開けさせようとしたり、こじ開けようとしたり、時には乗り越えたり突き破ろうとしたりする。それらの行為が優しさを種に芽生えているから厄介モノ。思いやりという栄養が自分の正義を頑なに信じさせ、その暴力性に盲目となる……と、心なき他者が突き付ける。
閉ざされたソレには"痛み”という鍵がかかっている。その上、鍵は涙に濡れて錆び付いているから開く希望は薄い。
多感な中学生と毎日を過ごす大人が、彼らに向ける言葉に、ほんの少しだけ毒を盛る。彼らは時に傍若無人で聞く耳を持たず分からず屋でありながら賢かったりもして、不愉快にさせられことも少なくない。だから、ついつい言葉に毒を盛ってしまうことも分からないではない。むしろ共感する。同時に同情する。その僅かな毒で人生を棒に振る生徒がいるかもしれないことを、なかなか想像できないのだ。無頓着に生き続けることができる者は、自分が盛った毒で苦しんでいる人がいることを知らずに生きて行くのだろう。吉野弘の詩『夕焼け』の娘のように、やさしい心の持ち主は、受難者になるのかもしれない。それでも、固くなってうつむいている受難者にも夕焼けを見られる時が来ると信じたい。
人生には奇跡が起きる。そんな希望を与えてくれる。
人生を悔やんでいる人に観て欲しい。誰かを傷つけ、誰かに傷つけられた人たちに観て欲しい。家族との関係に悩んでいる人たちに観て欲しい。やさしい人たちに観て欲しい。
清水直子さんが、観る人の苦しみを全て引き受けてくれる。だからきっと、何グラムか心が軽くなって帰路に着けるはず。
志村史人さんの力強い言葉が、応援歌のように心の鐘を打った。
きのない月
劇団アケオーラコミンチャ
ウイングフィールド(大阪府)
2022/11/04 (金) ~ 2022/11/06 (日)公演終了
満足度★★
女性四人が繰り広げる、江戸時代~令和に至るまでに代表される女性を演じる。時代がコロコロ変わり、出てくる女性の時代背景がわからないと…😢
仕事終わりにはつらい😢🌊かも…
手話裁判劇『テロ』
神戸アートビレッジセンター
神戸アートビレッジセンター(兵庫県)
2022/10/05 (水) ~ 2022/10/10 (月)公演終了
実演鑑賞
満足度★★★★
耳の聞こえない役者が手話、聞こえる役者が声で同時に台詞を言う。舞台上に表示されている字幕は、最初の数分間は気になったが、すぐ気にならなくなった。むしろ、役者の滑舌が悪くても何言ってるのかわかるので都合がよい。役者にとっては台詞が飛んだらカンニングできる一方、トチったら公開処刑という恐ろしいアイテムである。
まず、取り組み、着想は本当に素晴らしい。しかし、プロトタイプだなというのが率直な感想である。
手話の表現力は素晴らしいが、それだけでは演技ではない。台詞をただ読むだけでは演技ではないのと同じ。それだけに、宮川サキや赤鬼の田川徳子といった、関西の演劇界ではそれなりに名の知れた実力のある俳優を活かしきれていない演出をもどかしく感じた。手話者が中心で、発語の役者がただのアテレコ担当なら、それが役者である必要も、舞台にいる必要もない。
発語と手話の二人一役という演出方針も面白いけれど、この設定も活かしきれていない。後半では手話通訳?を演じる役者まで出てきていよいよ混乱する。ここだけ通訳という設定にした演出意図もよく分からなかった。
なにより、手話に合わせているせいか、声の演技が不自然すぎた。台詞を忘れたのかと思うほど不自然な間が空いたり、逆に異様な早口になったり。
そもそも、台詞に無駄な間が多すぎる。特に被告人。感情を込めろと言うと無駄に間を開けるのは経験の浅い役者に多いが、間を取ればいい芝居になるってものではない。被告人の声を当てた石原は、見ていて気の毒なほどやりにくそうだった。
手話だから仕方ないのかと思ったが、検察官役の宮川・森川はきちんと耳で聞いても違和感のない会話になっていた。声と手話の長さが違うなら、映画の字幕と同様、同じ長さに収めるよう調整するしかないと思うのだが。手話だけを見ている客には良いのかもしれないが、聞こえる客にとっては不自然でイライラする間であった。
全盲の役者(関場)がいて、芝居全体のナビゲーターのように機能していた。最初、役者にしては立ち姿がだらしないなと思ったのだが、パンフレットには子供の頃から全盲だとあった。ただ、この関場については意図が掴めない演出が多かった。あれは撃墜されて死んだ死者の亡霊か、はたまた法廷に住む魔物か?とも思ったが結局は被害者遺族というオチ。とても良い声をしていたが、ここにもまた無駄な間が多かったのはもったいない。これは手話関係ないか。
そして最後に被告人と被害者遺族を演じた役者どうしが抱き合う演出はややあざとく感じた。私の心が捻くれているせいかもしれないが。人はそんな簡単に他人を許せはしないぞう。
しかし、いわゆる福祉的演劇でなかったことは評価できる。ストーリーに無理矢理、障害者の権利云々を入れ込んできたら途中で席を蹴って退席するところだった。
カーテンコールの音楽が鳴って初めて音楽が一切無かったことに気付いた。しかし、違和感はなかった。舞台に音楽が不可欠というのは、健常者の勝手な思い込みなのかもしれない。
VANYA‼︎
人間劇場
SPACE EDGE(東京都)
2022/11/03 (木) ~ 2022/11/06 (日)公演終了