最新の観てきた!クチコミ一覧

13661-13680件 / 183033件中
追憶ベイベー!

追憶ベイベー!

TOMOIKEプロデュース

駅前劇場(東京都)

2022/07/27 (水) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/07/29 (金) 19:00

6年半前にシアター711で初演した作品(当時の団体名はチーム進火RONといったらしい)のリメイクだという。
全席が自由席だが、最後列の下手端に着座。
中央にイーゼルに立てられたキャンバスが置かれた舞台で、開演10分前から友池さん(主宰・友池一彦の役者としての名前)と根岸可蓮、えなえ、岡田竜二の4人によるプレトークが始まる。この中でえなえは降板した大森つばさの代役を急遽務めることとなって、1日で台詞を入れたのだという。

【ネタバレboxに続く】

ネタバレBOX

父親の葬儀の日、キャンバスに向かって一心に絵筆を動かすヒサオに弟・シンジが喪主の務めを果たせと責めたてる場面から物語が始まる。
一言でいえば隕石が落ちたことで生じた時空の歪みによってタイムスリップできるようになった男女によって引き起こされる大騒動の一日といったところ。
隕石の欠片を1個ずつ両手に持ってカチカチと打ち合わせればイメージした時間にタイムスリップできる、但し空間的には隕石が落下した近くにしか行けないという仕掛けだが、ただそうすると20年後からやってきたヒサオの娘はやはり20年後に同じ場所で隕石の落下に立ち会ったということになるのだろうか。
また落下したことで時空が歪むほどの隕石ならば相当に大きな密度であるはずだが、それだと簡単に割れはしないし、掌ほどの大きさの欠片でもかなり重いはず。
まぁそんなカタイことは抜きにすれば、タイム・パラドックスの問題も多少「?」な個所もあるものの、それほど気にならず、楽しめる内容になっている。スライドするパネルと照明とでタイムスリップを見せる仕組みもまずまず。タイムスリップが身体に与える負荷のために、移動直後には吐きそうになるということで生じる勘違いが面白い。
結局は劇中でも触れていたように「過去はそう簡単には変えることができない」ということだが、それでなお、うまく結末に持っていく手際は見事。

役者陣はいずれも上手い。AUBE GIRL'S STAGEのように舞台経験もないような人間を集めて公演を打ち、可愛いコ目当ての観客動員とグッズ売上げを図る団体があるから、受付近くでブロマイドなどを販売している公演では観劇前の期待感が萎えてしまうのだが、このTOMOIKEプロデュースに関しては女優陣がいずれも可愛いだけでなくてきちんと演技のできる人間を使っているのに好感が持てた。

上演時間110分。
鎌塚氏、羽を伸ばす

鎌塚氏、羽を伸ばす

森崎事務所M&Oplays

本多劇場(東京都)

2022/07/17 (日) ~ 2022/08/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/07/25 (月)

鎌塚さん!!!このシリーズの虜になり欠かさず観劇しています。今回もまた面白かった。舞台美術も楽しみで、これまたすごいし。(´∀`*)ウフフな幸せ感じました。また次お待ちしています。

きゃんと、すたんどみー、なう。

きゃんと、すたんどみー、なう。

やしゃご

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/07/07 (木) ~ 2022/07/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/07/08 (金)

ドキリとした。そうだよね。そうだったよね。ドラマがあって本来はちょっと出来すぎ?と感じることもあるけれど、客席に入るなり引き込まれて、終演後は席を立つのも戸惑う…。上演台本を珍しく買いました。

ディグ・ディグ・フレイミング!

ディグ・ディグ・フレイミング!

範宙遊泳

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2022/06/25 (土) ~ 2022/07/03 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/07/01 (金)

現代だな。と感じる自分は年寄りか!笑 でもすごく面白かった。本当に何が本当が分からなくなってくる。スピード感も有り、笑っている自分も怖くなるような既視感。また次が気になります。

ゴンドラ

ゴンドラ

マチルダアパルトマン

下北沢 スターダスト(東京都)

2022/06/15 (水) ~ 2022/06/26 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/06/25 (土)

白組 こちらはこちらでまた面白かった。どうせならすべての組み合わせを見たくなる!そんな設定すごい!!演者によって受け取る側の気持ちも変わっているのもわかり楽しかった。また朝11時からの上演というのも良い。お出かけ前に観劇できて良かった。

code:cure

code:cure

壱劇屋

ABCホール (大阪府)

2022/07/29 (金) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

壱劇屋2年半ぶりの本公演ということで楽しみにしていました。1回しか観劇出来ませんでしたが、刺激のある舞台でした。

ストーリーは好みが分かれそうかなという印象です。
私自身は、好きな部分も複数あるけど、全体通してとても好きかと言われればそこまでかな…という感じでした。
題材である治験×ループものという点は面白かったですが、途中量子力学に関わるような内容が入った時、知識がないもので「難しい話だ…」と身構えてしまい、失敗しました。笑
この点を「理解しないと話がわからない」のか「ふんわり解ればオッケー」なのかがその時点では分からないので、理解が追いつかないことに焦ってしまいました。
観終わってみれば理解出来なければ楽しめないというわけではなく、また、台本を購入して読んだり、回を重ねれば解ることが増えて味が濃くなる内容だったので、ファンほど面白かったんじゃないかと思います。
個人的には1公演の上演時間内では捌ききれなかったなと思います。

ただ、それを差し引いても「パフォーマンス」「映像」「音響」「照明」「美術」など、演出面での満足感が非常に高く、総合的に見てとても楽しめました。

出鱈目

出鱈目

TRASHMASTERS

駅前劇場(東京都)

2022/07/14 (木) ~ 2022/07/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

少し日が経ったので配役を見ながら思い出してみた。
カゴシマジロー演じるのは過疎地域にある自治体の市長。経済に翻弄され疲弊した日本社会の未来を開く道はアートにこそある、との考えに至った彼は使命感から市の主催で芸術祭を企画しようと動き出す。だが彼が興した会社を継いで経営者となっている息子(長谷川景)は、もっと他に予算を割くべき事があるとして反対の立場。だが父の説得により一定の理解を示す。市長の妻(藤堂海)は、地元では最も大きな企業の代表取締役を退いた有力者を父に持ち、市長に選挙協力もしているようだが、夫婦関係には政略結婚の痕跡はなくフランクで対等な関係を築いている。息子が父と対立関係にあっても夫婦を見ていると深刻な不和には至らないと知れる。
市長の職場では、男性に対しトラウマを持つらしい女性秘書(安藤瞳)が誠実なキャラでドラマ中では良心を体現する。県職員の女性(石井麗子)はこう言っては何だが役人に徹するが故の俗物性を代弁する。この件が無ければ普通に仕事のできる常識人だったろう彼女の「芸術に対する無理解」を露呈させたのは、芸術祭のプログラムであったレジデンス製作(この地に滞在して作品を仕上げる)を行ない、出品した「カルニゲ」で優勝した若手画家(倉貫匡弘)である。優勝の記者会見で彼は受賞した絵画についての質問に、癇に障る言い方で先の県職員に食ってかかる。ふてぶてしい態度に映った彼に職員はあなたの滞在費も税金で賄われている、もっと口の利き方があるのでは、と感情的な反論を行なう。だが議論が進むと、恐らく画家共々作品が嫌いになったのだろう彼女は絵が示唆する「戦争」(この公演の時点ではウクライナ戦争が重ねられている)とそれを傍観し、あるいは笑う者が描かれている事(とそれへの不快感を示す観客が居た事)をもって、「芸術は万人の者であるべき。あなたの絵は多くの人を不快にさせる。そういうものを作るべきではない(少なくとも税金を使う以上は)」と言ってのける。究極の芸術無知の台詞を中津留氏は役人に吐かせたわけだが、しかし蓋を開ければ同様の認識を持つ人は少なくないだろう(愛知トリエンナーレの例やネット言論を見れば凡そ推察はできる)。
芸術無知と、芸術祭に協賛した企業の論理に対峙する側として、画家の他に、市長が芸術祭の格を上げるために審査委員長を依頼した絵画界のオーソリティ(ひわだこういち)がいる。経済界に属する人物としては先の市長の息子の他に、地元の大手(妻の父がいた会社)から家長クラス(太平)が実行委員に顔を出しており、同じく協賛企業として地元メディアの記者(星野卓成)も入り、記者会見では先の県職員と共に質問を行い、芸術家の挑発的とも言える態度と良識を代弁する側との対論が展開する格好である。

面白がりたい自分としては、まず優勝作品を現物として登場させた事に驚く。もっとも台本上、モノクロの抽象画に描かれたパーツを逐一指して、作品の意図を説明したり質問する側が疑問を投げかけ、答えを聞きたがったりするので、絵は「見せなきゃ成立しない」。のであるが、その指摘されるパーツというのが、「人が笑ってる」と見える図柄や、並んでいる戦闘機(格納されてるだけで稼働してなさそう)であるとか、ここ(絵の中のある場所)が戦場だからここ(手前の方)は第一線から相当距離のある場所だろう、等のやり取りを舞台上の「絵」を使って行なうのである。中津留作品が持つB級性はどこか滑稽で安心できる部分を作るが、今回私はこの、実際に受賞作を展示し、侃々諤々本気で議論しているという光景、これを微笑ましい「B級」要素として愛でた。
奇妙な展開もある。受賞した作品の中に描かれた戦闘機は、実は地元大手企業が作っていた戦闘機の部品の事を指している、という説が巷で話題になり、滞在製作を行なった画家は地元をつぶさに歩いて情報を仕入れ、この土地で発表するに相応しい作品としたのだ、という説明が説得力を持った。そこで「困った」その会社から派遣された実行委員は、最終的には上部からの意向「優勝の取り消し」の要求を伝えて来る。しかしその前段では、この絵に対する批判が湧きおこっている、と伝えられていた。一部で企業批判に乗る人も出て来た、位の事で何をあたふたしているのだ・・と言うのが正直な感想なのだが、さてこの通告でカタに取られるのが市長の妻との離縁(という形での選挙協力取消し)で、最終局面に至って市長の家族は翻弄される。ただ、地元企業が兵器産業の下請けをしていた事が批判の対象になっているのだとしたら、火を点けたのは一枚の絵であっても「優勝取消」は火を消す事にはならない。(この企業は地元に需要が無いから兵器関連に手を染めたのであり発注元は東京かどこかの財閥系企業であり、地元で不買運動が起きようが買うのは彼らではないのだ。)
が、それも中津留作品ではご愛敬。妻の父を介した地元企業からの娘夫婦への要求は、市長にとっては骨身に堪え、一度は授賞取り消しの記者会見を開いてしまうが、最後はその取り消しの記者会見を開く。この転換の間には、取り消し決定のための委員会から外された地元メディアと実行委員長による市長への抗議もさる事ながら、ここで市長に進言するのが先の秘書であった。何が正しいか、もう答えは出ています・・と心からの(市長を思う気持ちからの)言葉を発する。市長は撤回の撤回を決定する。
なお彼女については市長の息子との間で、芸術祭開催までの途上で「恋愛」沙汰が生じるが、その実は、協賛金集めに苦労していた彼女が、以前から恋心を伝えられていた市長の息子に「一度の食事」を条件に協賛金を取り付けた、という事があり、市長の前で(息子もいる所で)白状するのであるが(笑い所)、男性への恐怖心を抱えていた彼女が彼にだけは何故か萎縮しない事に気づいて行き、いずれ真の恋人となるオマケが付く。
授賞を撤回し、その後本来の考えに戻った市長の変化の、行間を埋めるカゴシマジローが逸品であった。

劇中、「人を不快にする表現」は怪しからん、と売り言葉に買い言葉で画家に対し「税金」を論拠にしてマウントを取ろうとした役人のこの言葉は、「不快」の源を自己省察しないと宣言しているに等しい意味で傲岸な言葉だ。
芸術とは日常を見直す契機を与える、という意味でのみ、価値を有する。日常を肯定し何も問題はないとお墨付きを与える芸術について語るとすれば、恐らくスポンサーや顧客が付きやすく支援の必要がない。だが公共が支援をしてでも社会に一定確保されるべき芸術とは、自らを照らし、時に生き方を変えられてしまう「力」(潜在力)を持つそれを言うのだと思う。人が芸術に触れようとする正しい態度とは、比喩的に言えば頬を殴られたくて赴くのである。
この劇に即せば、「不快」の源は、地元の企業が戦争に加担しているかも知れない事、それゆえそれを許している自分は戦争に協力しているとも言えてしまう事。現在の社会構造に依存し、これを変えようとしない事で不利益を被って来た者の存在を無視している事・・等々の「不快な」自己評価は、正に改められるためにこそ必要な「不快さ」であり、これを不快と感じてしまう自分に気づかせる芸術がそこにあるという事なのである。確かに演劇にも、そのまま苦味を発するものもあるが、ソフトなガワに包みながら実際には苦い内容を飲ませられている事は多い。「死」そのものも、不快だろうが芸術は「死」を語るのである。

あなたはエディット・ピアフを知っていますか? スペシャルライヴ

あなたはエディット・ピアフを知っていますか? スペシャルライヴ

セイガサイ

新宿シアタートップス(東京都)

2022/07/30 (土) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

同タイトル再演決定を記念してのスペシャルライブ。
馴染みのあるシャンソン曲が意外に多いという驚き。
知らない曲であっても良い感じに和訳が織り込まれて、とても入り込みやすい。

レジョン・ルイさんの歌声は若さ溢れる伸びやかさ、まるでミュージカルみたい、グイグイ刺さってきて素晴らしい。

梅垣義明さんは劇場側から「絶対 客席に降りてはダメです」と釘をさされており、残念そうな様はまるで檻の中の猛獣(笑)
トークで散々毒づいた挙句、舞台上の共演者相手に阿鼻叫喚な歌の世界を生み出していくのでした。
さすがワハハ本舗の最高兵器、恐るべしです。

主役の聖児セミョーノフさんは果実でいえば完熟頃な愛の曲を次々と歌い上げ、最終的にも濃厚にバシッと決めてくれました。
見どころ満載のライブでめっちゃ良かったです。

ドキドキしていた

ドキドキしていた

情熱のフラミンゴ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/07/23 (土) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

青年団俳優も出ているので現代口語劇か脱力系かとにかく変な演劇の一つと覚悟はして観に行く。そのためか、シンボリックな役割同士の絡み以上に(結果的に)ならないやり取りもそれ自体気にならず、むしろ不条理な現象面の深層レベルでは不思議に世界が成立していた(恐らく不要な、ノイズな台詞もあったろうが台詞の文言に拘泥させず超えて行くものを見ている感もある)。その意味で役者に負う所も大きい。

コマネーア!~Call My Name Again~

コマネーア!~Call My Name Again~

GORIZO

シアターグリーン BOX in BOX THEATER(東京都)

2022/07/13 (水) ~ 2022/07/18 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2022/07/14 (木) 14:00

急逝した者が遺された人々に何かを伝える、という好みの傾向の一つにもう一捻りを加えたファンタジー系。そういえば最近はこういう「オトナ向け児童文学」(あるいはNHKの「少年ドラマシリーズ」)的な懐かしさのあるシンプルかつストレートな芝居を観ていなかったので和む。
また、それでいて切なさの残るラストも巧い。
あと、那珂村たかこさん。うじすけさんを随分久しぶりに拝見して「ああ、やっぱりねぇ♪」な感慨も。

ブレスレス【7月15日~25日公演中止】

ブレスレス【7月15日~25日公演中止】

燐光群

ザ・スズナリ(東京都)

2022/07/15 (金) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

傑作。
戯曲で味わった坂手氏の別作品のことを頭に思い描いていたが劇中ある時点で修正。古びた記憶の中に眠っていた「アレ」・・黒いごみ袋に囲まれた空間で進む芝居をじっくりと堪能した。異界と繋がる回路のような、都市生活の吹き溜まりの風景には自らを省みさせるものがあり、生起する現象を内在化させられる(自分と関わりない事ではない)感覚に陥る。燐光群舞台で見る初めての森尾舞はさり気なくキー役を担い、ひたひたと胸に迫るものあり。坂手作品・燐光群舞台の原点と言って良い作品。

ザ・ウェルキン【7月21日~24日公演中止】

ザ・ウェルキン【7月21日~24日公演中止】

シス・カンパニー

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2022/07/07 (木) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

加藤拓也氏は直近の作・演「ポニ」「もはやしずか」を観たのみだが、演出舞台も観たくなって観劇した。序盤のステージだったが、完成形の印象であった。実は2分程遅れて到着(座席には4、5分後位)、「三場」途中から観た(場の頭に場ナンバーとタイトルの表示がある)ので、ドラマの起点となる「事件」についての情報欠落があったに違いないと思いながら観劇。後日書店で戯曲を開いて「答え合せ」をしたが特に情報の洩れはなかった。三場は服を血だらけにして戻った若い女サリーが家の男(兄?)に問い詰められていた。作者は事件の輪郭だけ提示し、サリーは事件に関与したとの前提で話は進むので確かにそれで十分であった。主題は事件の犯人捜しではなく、本件被告であるサリーが「本当にやったのか」でもないのだ。
いずれにせよ芝居を脳内で再構成したドラマの受け止め方を探っている状態。起承転結明確な完成度の高い戯曲を、完成度高く舞台化した舞台(飲み込み易い舞台)ではなく、戯曲の狙おうとした風景と、演出がどの程度具現できたかの評価は、留保したままだ。

ほぼ全編に近い「審理」の時間、十二人の女性は被告が「妊娠しているか」の判定のためやり取りをする。それによって事件への「関与」が変わるからではなく、妊婦は処刑すべからずの法の効力が及ぶか否か、女たちに判定させるのである。その間、主人公エリザベスは育ちと素行の悪いサリーを擁護し、公正な審判を行なうよう立ち回る。ある者は別の町から訪れた高貴の者を装って審理に参加し、実はサリーに私怨を持つ別人(元邸の使用人)だと露呈したり、煙突からカラスが迷い込み灰を撒き散らす等の如何にも不吉な「事件」もあるが、やがて浮上するのがエリザベス自身への疑惑。献身的なエリザベスを悪く言う者はいないが、噂はまことしやかに流れていた。先鞭をつけるのは虚言癖(妄想?癖)のある女で、話自体は全くの作り物、エリザベスが悪魔と交わる光景を見た、といった類の話であったが、魔女狩りのあった時代。彼女は無用な嫌疑を払拭するため、やむなく真実を告白する。即ち、サリーは自分が生み落とし、他人の家に預けた娘であった。だがこの事はこのドラマでは通過点に過ぎず、最終的にこのドラマは「審理」の結果を踏みにじるような結末を見る。そしてこの腹立たしくも根の深い現実を、作者は現代を映す物語として突き出している。
女らが喧しく喋り、ブラウン運動の如く室内を行き来する芝居には実際は動線処理が施されてあるに違いなく、その他諸々、演出的貢献は大きいのであるが、初演2020年にイギリスで喝采を浴びた舞台、と聞いたりするとその理由は何かと考えたりもする。
上記の執筆意図は間違いないだろう。17世紀という時代設定は、宗教心や地域共同体の中の生活という、現代と乖離した女たちの生態のなかに、逆に「変わらぬ姿」を浮き彫りにしたかった女性作家の執念を連想させる。人の目と自らを縛る観念との間で生きる絶望は、現代においても規範性の強い家庭の中の生に見出せたりするだろうが、その点、中世の女たちを作者は逞しく描いている。ただし科学知に乏しく、「悪魔」を取り沙汰する際もその機能・実態よりは、恐怖から身を守るための判断・思考を行なう事になり勝ちである。しかし、男と違って生活実感を軸に生きる女は正しさを見分ける感覚的な武器を備えている風にも見える。「瀉血」という蒙昧の象徴のような医療処置を、火照る体を持て余す女に適切に施す場面がある。医師によってでなく自分も体がつらい時に瀉血を行なっている、という女の助言によって。施された女は症状を和らげる。
問題の「妊娠」を判断する有力な材料は母乳が出るか否かであったが、女らは嫌がるサリーを説き伏せて母乳を吸い上げる。その時は母乳は出ないが、サリーは自分が妊娠している事を「知っている」し、一度母乳は出ているので、女らが他の事で騒いでいる間、地道に母乳を吸い出そうと頑張っている。そして満面の笑顔で「出たわ」と容器を見せようとした矢先、カラスが煙突を潜り抜け大量の粉塵を室内に撒き散らすという事が起きる。「証拠」は炭で汚れ、母乳だとは誰も信じず、エリザベスだけは味見をして母乳だと証言するが、他の者は口にしようとしない。
だが結局、彼女の妊娠は、助産婦のエリザベスの見立てからでも他の女の証言からでもなく、医師(即ち男性)の物々しい器材を使った診断で、確定される。(作者は女どもの不甲斐なさをここで描きたかったのだろうか。)
ところが、裁判に私怨を持ち込む事が「高貴な者」には許された・・あるいは力のある者が不正を通す法的・物理的な隙間が、その時代にはあった。(作者は近代法が機能する現代の優位性を示したのだろうか。否、その現代にあって尚力ある者の暗躍を許している事実(共通性)の方が作者の意識する所だろうと推察。)
現代では起こり得ない事、とは全く見えない悲惨な結末、そしてエリザベスが必死で擁護しようとした(自分の子だからでなく一人の誤解されやすい自暴自棄な人間に対して)サリーという存在。彼女は社会からどう遇されるべきであったか(引いては女性らはどう助け合うべきであったか)・・。
作品に込められている主題はその辺りにあると思われたが、この戯曲の特徴は言葉の過剰さにある。生々しい生活感、性感覚(意外と開放的)、神観念のおおらかさ(中世を息苦しい時代にしたのは男であって女ではない)、そうした生の根底に流れる女の力強さを滲み出させるエピソードが、12人の女たち各様の個性と共にちりばめられていてそれが「過剰」(不要、に非ず)な部分に見えるのだが、その点では例えば・・吉田羊演じるエリザベスの元に最初法廷から出廷を依頼に来る片腕を吊った男(その後審理の間入口を見張る役となる)が現われた時の会話に、昔二人が懇意になった事を仄めかす台詞があるが、男の目から見た「弱さ」を内在化し、力とする女性の彼女も一人だとして描くなら、この時の吉田羊の態度の中にもっと異性や他者に対して包摂的な、おおらかな(つまりは女性的な)要素を滲ませる演技はあり得たと思われ、それは後半明らかになる「弱味」の告白に繋がり、全人的な「女性」の姿を造形できたのでは、と思った。この部分が「果たして演出的にどうであったか」に一抹の疑問が過ぎる理由であった。ただし「再構成」したイメージからのこの印象が正しいのかどうか、自信はない。
ただ、我が娘から難じられ「拒絶」されるエリザベスの所在なさ、男に過去を仄めかされて露呈するだらしなさ・弱さ、つまり現代の吉田羊自身の感覚では受け入れ難い(みっともない)人物の要素を、排除して役を造形したようにも見え、ただ献身的で、一時の過ちは認めるが自分の本質ではないと汚点を除外した現在のあり方が、役の一貫性としてどうなのか、という疑問は観劇した当初からずっと残る。「成立していない」訳では無いが、他の可能性も想像してしまう余地はあった。

金色夜叉・改

金色夜叉・改

劇団ドガドガプラス

浅草東洋館(浅草フランス座演芸場)(東京都)

2022/07/30 (土) ~ 2022/08/05 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ドガドガもコロナの走り(謎の感染症に最もビビッドに反応していた時期)の不安の中で観劇した一つだったと記憶するが、その後雌伏を余儀なくされ今回晴れて二作品のリバイバル上演となった由。
ただし、「金色夜叉」の末尾に「改」とある通り、以前観た(と思う)内容から相当なボリューム増しとなっていて、明治期の歴史の立役者たち及び小説の登場人物が絡みに絡んで昇華して行き、進むにつれ台詞は生き生きとして作者望月氏の魂がメラメラと舞台を焦すよう。2時間半超えが全く苦痛でなかった。お祭りだ!

ベン・ニーアの決闘

ベン・ニーアの決闘

お笑いサタケ道場

in→dependent theatre 1st(大阪府)

2022/07/29 (金) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

満足度★★★★

良かった‼️主人公の演技もさながら、終わってからのトークとのギャップも良かった‼️母の愛がとても感じられた物語。もう一度見たい‼️

私、のはなし

私、のはなし

まばゆいみちで

オメガ東京(東京都)

2022/07/13 (水) ~ 2022/07/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

タイトルの通り、「私」のはなしなので、解るところもあれば、そうでないところもあり、なかなかコメントしづらいところです。

会議は踊る

会議は踊る

妖精大図鑑

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2022/07/29 (金) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

楽しそうにダンスをしている姿に見ているこちらもニコニコに。
70分という中で色々な話があり楽しめました。
お気に入りはサンバの大冒険とシャボンのゲームがはまりました。
修学旅行先がどこになったのか気がかりなので次回公演もぜひ見たいです。

会議は踊る

会議は踊る

妖精大図鑑

3331 Arts Chiyoda(東京都)

2022/07/29 (金) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

安部さんのダンスに魅了されました。

自亡自記

自亡自記

セツコの豪遊

新宿眼科画廊(東京都)

2022/07/29 (金) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

セリフのチョイスが秀逸!お見事!ちゃんと不器用で切ない恋心が伝わりましたよ。これからも応援してます。

ドキドキしていた

ドキドキしていた

情熱のフラミンゴ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2022/07/23 (土) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度

つまんねぇ

ザ・ウェルキン【7月21日~24日公演中止】

ザ・ウェルキン【7月21日~24日公演中止】

シス・カンパニー

Bunkamuraシアターコクーン(東京都)

2022/07/07 (木) ~ 2022/07/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2022/07/30 (土) 18:30

2度目の観劇。内容が分かって観ても、しんどいエンディング。65分(15分)70分。
 12人の「女性陪審員」の役割やキャスティングの妙も分かる。理不尽に晒されるのは常に女性、という構造が見える。

このページのQRコードです。

拡大