最新の観てきた!クチコミ一覧

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自作 THE エンド

自作 THE エンド

合同会社Dostres

サンモールスタジオ(東京都)

2024/03/06 (水) ~ 2024/03/10 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

南出めぐみさん舞台生活十五周年記念興行ということで、一種のお祭り興行というべき作品。サービス精神旺盛で、これでもかとガンガン攻めの演出が続き、やりたい放題の楽しい舞台ではありました。それを違和感なくこなしてくれるキャストが揃っていたとも思います。しかし、笑いネタが少しくどい気もしないでもないです。特に相手に口から水などを何度もかける演出は、まだ早いのではと、ちょっと顔をしかめてしまいました。

イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

とても良かった。
時代がいったり来たりするのだが、演出が良いのはもちろんだが、役者の力量であろう、全く混乱することなく観ることができた。
誰が悪いとか悪くないとかではなく、その時代で精一杯「良いこと」だと信念を持って生きて来た人たちの物語。
素晴らしかった。

ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち

ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち

サンライズプロデュース

サンシャイン劇場(東京都)

2024/02/28 (水) ~ 2024/03/04 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

ミュージカル界の大御所二人にミュージカル初のリオン君、お世辞にも歌はまだまだ成長過程ではあるが、この役に彼の初々しさはピッタリだったと思う。俗物の駒田父、そして相変わらず存在が美しい岡さん、お二人の凄さを泡溜めて感じる舞台でありました。

モノノ怪~座敷童子~

モノノ怪~座敷童子~

舞台『モノノ怪~座敷童子~』製作委員会

IMM THEATER(東京都)

2024/03/21 (木) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

童話やお伽噺には語られない影の部分があるものだが、子供には伝えられない行間の想いや非情な現実が物悲しく切なく描かれていた。だが、必要以上に映像に頼り過ぎではないかと思わないでもない。少し煩わしいと感じるくらいにも感じられた。アナログな演出もあったが、もっとそちらを重視した方が世界観が損なわれなかったのではと、思わないでもない。とはいえ、前口上からがっつり引っ張られたのは確か。シリーズもっと観たいです!

花霞だんてり見参!

花霞だんてり見参!

DANCETERIA-ANNEX

大倉山記念館(神奈川県)

2024/03/12 (火) ~ 2024/03/15 (金)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

菅野さんと豪さんのコントがいつもと違う感じで面白かった

the sun

the sun

カンパニーデラシネラ

シアタートラム(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

いつもの、と枕が付くデラシネラ舞台。
この日は劇場をハシゴしての観劇日となり、この前に眠い身体も叩き起こすパワフル舞台を観た直後。後部席から「さあ存分に寝てくれ」と言わんばかりの抑えめの照明では、抗いようもなくほぼ全編寝落ち。耳をつん裂く三味線の音だけが覚醒の足掛かり。
凡そどんな動きをしていたかの断片が網膜に映るのみ、「the sun」のモチーフをその中に見出す高度な情報処理は無理であった。
その動きとアンサンブルはデラシネラのもので、私が初めて観た頃はこの動きの連鎖の美そのものを味わっていたが、ある何かを抽象化した表現として鑑賞する時、この比喩性は些か難解だ。
今作では手話を繰り出す踊り手がいて、聾者とのアンサンブルという難易度の高い身体表現を密度高く仕上げていて、その模様もつぶさに観察したかったが...終演の拍手で目を覚した。残念であった。
三味線奏者は歌も歌い、和風の謡いのみならず(三味線の伴奏に乗せた)洋楽をオペラ風の発声で歌うなど何気に際物をやっていた。

新ハムレット

新ハムレット

早坂彩 トレモロ

こまばアゴラ劇場(東京都)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

演出の勝ったステージ、という意味では予想の範囲であった。戯曲に対し「揺さぶり」の要素は配役、と言えるか。濃茶に塗った木製の床几、椅子、梯子等を組み合わせ、絡ませた杉山至氏のオブジェ風装置を中央に、劇展開させる。見終えて一等最初に素朴に思った事は、太宰治の「新ハムレット」を知った上で観るのが良いかも、という事だ。(ネットの青空文庫に上っている。)
この作品が、原作ハムレットをどの程度、どんな角度で翻案した作品なのか(またはタイトルを借りた全く違う代物か)を知らずに観ると、途中までは沙翁の「ハムレット」とどう違うのかが分からない。細かな台詞回しはともかく、叔父クローディアスの反応を見て疑惑から確信に至る寸劇をやるのが旅芸人でなくポローニアスら友人だったり、、オフィーリアでなく母が溺れ死んだり、最後の「死」の順序が違う(ここで母が池に身を投げる)等とあるが、もしこれらを広い意味で「演出」の範疇だと説明されたとしても、意図(作り手の欲求)が想像されれば、チケット代返せとまで怒る観客はいないだろう。
ただ、「なぜそう変えたのか」。それは「新ハムレット」を上演する事のエクスキューズでもあるが、そこから演劇の「謎」は始まっており「謎解き」が要請されているとすれば、その問題の深掘りは私の目には見出せず、太宰作の認知された一作品を「かく料理した」にとどまった。
小説「新ハムレット」の序文的な文章で太宰治が「この作品は」と解説を施しており、戯曲の形式を取った一つの小説と思ってほしい、という趣旨を述べている。舞台ではこの部分を「男」が本を片手に読み、やがて本編へと誘うのだが、男が読む間オブジェを覆うシートの中で俳優らが蠢き、「待てない」のか、装置からはみ出して来る、という演出があって、最後は彼らがコート、帽子、靴等を持って来て文豪の衣裳を男にまとわせ、拍手で褒めちぎって体よく退場させた(体よく、というニュアンスをもっと感じたかったが)後は、男は登場しない。
テキストに忠実に、とは演出の一つの有り方ではあるが、地の文で書かれたこの序文の箇所は、演出がむしろ「このたび、なぜ『新ハムレット』か」を(はったりでも良いので)押し出す部分ではなかったか、と素朴に思った。
(芸術作品全てが、あるいは芸術を扱う・語る場合にも、「今なぜ」は常に潜在的に問われる問いだと思っている。「演劇は謎かけの謎解き」理論からすると、上演を決めた時点で謎かけがある。天賦人権論と相容れぬ狭量なこだわりかも知れぬが。。)

ネタバレBOX

渋い意見を続けてしまうが・・
公演序盤ゆえか、と思わなくもなかった点が、ある意味主役であるクローディアスの造形。いわゆる悪役だが、今回俳優はその風貌を活用して役を演じていた。ただ台詞が馴染んでいないのをおっとっととカバーするのに「悪役らしさ」を押し出せる太田宏氏の持ち技を繰り出していた印象(少々意地悪か..)。
忠臣蔵を吉良家の目線から描く作品があるように、「ハムレット」をクローディアス目線で描くと云う要素があったのか、無かったのか・・。原作を読んで書くのが妥当にも思うが、・・つまりそこがぼんやり霞んでいた。
シンパシーを幾許かでも寄せる役柄を演じるならもっと違ったあり方があり得たろうし、憎らしい存在に徹するなら、またもっと別なアプローチがあった気がする。
公演も後半になれば違った劇風景が見えて来るのかも・・と言っても観る事は能わず、いつか配信等あればぜひ、と願望だけ書いておこう。
船を待つ

船を待つ

ミクニヤナイハラプロジェクト

吉祥寺シアター(東京都)

2024/03/23 (土) ~ 2024/03/31 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

台詞のある矢内原美邦舞台=ミクニヤナイハラプロジェクトであるが、その特徴でもあった喧噪は影を潜め、登場人物は三人、矢内原女史の舞踊主体の創作ユニットnibrollの音響と照明メンバーがこちらに参入し、芝居と空間演出の贅沢なステージが出来た。大阪公演キャストと二組の上演がある。

大阪公演キャストのバージョンも観た。俳優陣に佐々木ヤス子の名があった事もあるが、映像・照明、音のワークによる「快楽」をもう一度とリピートしたのだったが、大阪バージョンでは映像、音がなかった(フラットになった会場片隅のオペ・ブースは暗く空席であった...)。
途中でそれに気づいて落胆したが、素手で戦う大阪キャストの格闘家振りを見ている内にこれはこれで完結した演出の形と見えても来た。
テキストも東京キャストバージョンに比べて短い。(なおこの日は序盤に言及されるはずのくだりが飛んだと思しく、予定は90分だった所80分程で終わっていた。それが作品性を損ねていた訳ではなかったが。)
モノクロとセピアの二種で構成する絵画のような照明の中で、「人間」が突出している。東京版は異国からの移住者役とその従者的な存在が女性、そこに登場する男、という構図だったのが、従者に当たる存在が男で東京版では「ヘイ!ゴドー」と話し相手をさせられるAIに見えていたが、こちらは同道する者(用心棒的な?)で機械っぽさは出していない。後で現われる男は東京版は十代に屈折した経験を経て何とか逞しく大人になった風で苦労人の様相だったが、こちらは色白で生ッちょろさを感じさせる若い経験浅の風貌。紅一点だ。
東京版はテキストを「足した」のか大阪版は催し用に圧縮したのか・・先日東京版では後半主人公が兄を自死で亡くしたその男に捧げると言って(それまで反目して激しく公論していたのが)詩を読むと言って語り始めるのだが、大阪版はその詩が大変短かった。
東京版で流れた観客を未来へ、あるいは時空を超えた想念の世界に誘う音楽を大阪版ではカセットデッキを持ち込んだ男がプレイを押してノイズだらけの音で流す、という演出、モノクロに時折橙が混じる照明(太陽に言及する際に照らされる)と相似に、無音の中のワンポイント流される音は鮮烈に印象付けられる。
大阪バージョンはミクニヤナイハラプロジェクトの空気感が残る(無音である事と、俳優の台詞が基本激しく強い)。

自慢の親父

自慢の親父

工藤俊作プロデュース プロジェクトKUTO-10

シアター711(東京都)

2024/03/20 (水) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

やっぱオモロイなァ。オイスターズ平塚氏の世界が炸裂である。ふとした不安から不条理を極めた態度を見せる存在が、一人に加えて、二人目が出てきて関係者一同カオス化したのち、二人目の不条理が一人目の不条理への「返し」と思しく見え始め、ようやく「さて次の日=を待つのみ」と落ち着いた夜が明け。実は前夜に二人目が「おや?」と引っ掛かる台詞の伏線通り、卓袱台返しをして平然としてるのに唖然、も束の間、新たな不条理言動の登場でカオスだ〜というオチであった。構成はシンプルだが笑いどころ多々あり、余は満足であった。

ネタバレBOX

脚本としては二つの読みを残していて(作者的には一つなのかもだが)、20年ぶりに親父に会いたいと携帯メールに送ってきた息子に、会えるのかどうかという所で当日を迎え、現れた「息子」(平塚直隆氏)を、芝居では20代前半だったはずが「どう見てもそう見えない」事になっており、「これは一体どういう事か」不条理を解明する挑戦を再び始める、というオチになっている。「こっち」では本当の父が今の自分を見せたくないというので代わりを立てたのだが、どうやら「そっち」でも同じ事が起きたらしい、という彼らが考える線と、芝居中では一言も語らせなかった「詐欺」の可能性もチラッとよぎる。全く想定していなかった事が終幕の次の瞬間始まる余地も残して(相手も随分間抜けな詐欺師だな、とはなるが)終わるのが良い。
イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

納得の舞台。
スマホで書いては消え、が続いたので嫌気がさして打っちゃっていたが、気を取り直して何がしか書いてみる。

キャスティングに感心しつつ観た。名を知るのは川田希、森下亮、山口馬木也、阿岐之将一、水野小論、保坂エマ(顔がちゃんと判るのは最初の二三名だけ)という案配で、後方席だった事もあって役者の照合を断念(上の二三名以外)したら、役の人物による物語だけを浴びる感覚になった。

畑澤聖悟による脚本は、原爆開発を行なった米国南端のロスアラモスの研究所が舞台。
冒頭はある記念式典のため久々にかつての研究仲間たちが当地に集まり、旧交を温める場面。
主人公となるホストファミリーの夫婦は共に当時の研究者であり、進路を探る年齢の子ども二人(兄妹)もいる。家族まじえた交流の時間、戦争当時を回顧し、現在の情勢への思いを語り合う中、息子が合格通知をもらった優秀な大学を蹴って、海兵隊に志願したいと宣言した事がドラマの起点となる。ベトナム戦争が始まり、大統領の呼びかけに答え、若者は応召して行った。

時は移り、今度は娘が自分の交際相手を両親に紹介しに戻って来る。相手は日本人、しかも幼少時に被爆した広島の若者。反核キャンペーンの米国派遣団に選ばれ、渡米していた。娘は親が研究者であった事から核兵器に対する問題関心が芽生えていたのであり、必然的な出会いであったが、親は顔を曇らせる。娘はなぜ祝福できないのかと問い、その理不尽な思いから親の研究を難じる言葉を投げつけるに至り、絶縁状態となる。
この時既に、息子はベトナム戦争で負傷兵として帰還し、車椅子姿である。
他の元研究仲間には、罪意識を抱えて研究所を去り、一介の高校教師となって教え子と結ばれた者、郷土愛と愛国心に溢れ軍人の道を歩んだ者、二人を両極として、主役に当たるホストファミリーの家長と、あと二人がある(二人の人物的特徴は忘れた。一人は結婚し、一人は独身)。
軍人のグレッグは冒頭のパーティに連れていた恋人と結ばれ、一粒種が育っていたが、息子も親の思いを受け止め、海兵隊になると言う。グレッグは誇らしげだ。

戦争当時の回想も挟まれる。轟音と火柱を遠くに眺めた彼らが「これで(対日)戦争に勝てる!」と沸き立つ中、後に高校教師になるマッケランは「あれを町の上に、落とすのか」と愕然とする。
ブライアンとジェシカが良い仲となり、会話を交わしている所へ、実験成功についての感想を聞きたく意気揚々と仲間がやって来る・・。回想場面はあくまでも明るい。

時が経ち、老境にある彼らは既にイラク戦争後の世界にいる。マッケランは既に自殺によって亡くなっている。元教え子は夫人となっていたが、死ぬ前まで苦しんでいた夫の事を述懐する。
グレッグの息子は出征したが、戦闘によってでなく、肺癌で死んだ。米軍が用いた劣化ウラン弾により被曝した兵士の多くが肺の病で亡くなったが、グレッグは味方がいるのにこんな兵器を使うとは軍人として信じがたいと憤り嘆く。だが核兵器使用を正義と主張し続けた男の言葉は、弱った男の周囲を虚しく巡る。

最終場面、日本からブライアンの娘の夫が訪ねて来る。既に妻のジェシカは亡くなっている。だが、息子は彼のヘルパーをするベロニカへの前場面での反発を乗り越え、彼女の愛を(即ち、己の運命を宿命として)受け入れている。
前の場面ではネイティブ・アメリカン出身であるベロニカが、居住地にあったウラン鉱の採掘に親族らが駆り出され、病に亡くなった体験を語り、右翼的発言を止めないグレッグを黙らせるシーンがある。
ブライアンは婿であるタカハシから、シェリルが亡くなった報告を受け、最後の機会だと家族「三人」で広島を訪れる。
シェリルが彼を親に紹介した時は白い仮面を彼はつけており、言葉は発しなかったが、この場面では仮面を取る。英語で台詞を発している表象でもあろうが、父と対面し目を合せて会話をしている風景として映じる。父は娘のことについて彼の言葉を通して聞くしかないのである。
広島でブライアンは娘を弔った後、タカハシから紹介された娘の友人たちと対面する。彼らの言葉をタカハシが「●●はこう言っています」と取り次ぎ、父は娘の生きた足跡をこれを聴きながら噛み締めている。
(タカハシ以外の日本人は皆やはり白い仮面を被っているが、以前観た青年座研究所での公演でも確かそうであったから戯曲の指定かと思う。と書いたその後、この戯曲が収録された畑澤聖悟戯曲集がこの4月に出版されていたのでご関心の向きは確認されたし。)
そのやり取りの最後、ブライアンが携わった原爆開発の成果により、「何万人もの無辜の日本人」が亡くなった事についてどう思うかを問われる。そして「謝罪の言葉はありませんか」と、彼らが考え続け願い続けた事の一つの証しを、ブライアンから引き出そうとする。直截で痛い言葉が、会場に響きわたる。
元よりこの質問は無辜の立場から、悪を為した側への一方的なそれとしては成立しない憾みがある。
日本は民主主義ではなかったとは言えこぞってこの戦争にもろ手で賛同し熱狂した。遅れて来た植民地主義時代の文明国としての戦争の勝利に酔った。「無辜」ではなく罪多き戦争を遂行した側でもある。
従って「戦争を止めるため」が正論として成立してしまう。ただし謀略を巡らし覇権を堅持するため手段を択ばぬ弱肉強食の帝国主義的あり方を脱し、別のステージを選んだのなら、その立場からアメリカに問いを発する事ができる。
一方ブライアンは一研究者として、科学的真理を追究する営為に、善悪はない・・一貫してこの立場を譲らず、是非を語る事がなかった。しかし娘の生き方はあたかも親の罪を償うために捧げられたかのようで、ついに彼はその前に伏して詫びる。果して何が解決したのか、一抹の疑問が過ぎるような空気(ここはかなり主観的な受け止め方だろう)。その流れで、現われた孫娘と対面し、その頬へ手を伸ばそうとする手前、プツッとテープが切れる音と共に照明のカットアウト。終演であった。
このラストの解釈と感想は様々あるだろう。
日澤氏と畑澤氏との対談に「脚本に喧嘩を売る」的なくだりがあったとどこかで読んだが、この処理について言ったものだろうか。

山口氏演じるブライアンは、前半は快活だ。研究者として成功し、愛する妻との間に子を設け、長男が有名大学に合格した、という一場。それが時を経るごとに寡黙になる。大学進学をやめて海兵隊を志願した息子が、負傷して帰還し車椅子に。親の原爆開発を指弾した娘を勘当同然にし、やがてジェシカを失い、息子が一人の女性と結ばれるのを見ながら、隠居後の生活を送る・・。最後に彼が何を思うのか、日本の地で謝罪を乞われて何を言うのか。作者はドラマの終着地にこれを持って来る。ここまでで既に脚本の勝利と言える。ブライアンがどうふるまうにしても、成立する。

平均的な「父親」であった彼は最終的には、国家が行なった非人道的行為の責任について考える事より、家族へ心を傾ける事を最も大事にした、そのようにして己の人生を整理するという、平凡な市民の姿を見せた。
栄えある研究を共にしたジェシカとの青春時代の「実」として子どもたちがある以上、研究を否定する事は許されなかった。
だがジェシカを失い、彼女との人生の証でもある娘シェリルを認めない態度に固執する事もやはり彼にはできなかった、そのようにも見える。
私は彼が「謝罪した」と記憶していた。が、実際には彼が答える前に、同行したロゼッタが自分の村で発見されたウラン採掘のため親族は死んだが、そのお陰で日本人が亡くなった事を申し訳なく思う、と彼女はそう言ったのだった。
以下は「謝罪した」前提で書いた箇所なので、そこを削除し、また書き改める事とする(律儀である)。

日本の歴史認識を巡る現状を踏まえて、これに触れるドラマを作る時、とりわけ原爆投下を扱う場合、何を強調するかは難しい問題。「未だ解消していない」問題は、「問題提起」を結末にできる。原爆投下の「罪」、そこに至る道を自ら開いた日本の大陸進出の「罪」、当時世界を席巻していた帝国主義・植民地主義の「罪」、その原動力として経済構造を塗り替えた資本主義、その淵源としての産業革命、果てはルネサンスに至るまで、罪の告発は議論の霧散を準備する。
だから演劇は人を描く。生きる姿を刻印する。

ネタバレBOX

自分のやった加害は棚に上げて米国のやった事の被害だけを語る、いわば相互理解不可能性という現実を、この舞台は助長する意図はないだろうが、日本が絶対的被害者で相手が悪人と処理してしまう歴史観を多くが持っている時代でもある(全国的な歴史修正の活動が奏功した結果。これが日本の偽らざる現状である事は認めざるを得ない)。
一方で親米感情がきわめて浸透している日本でもある。

フィクションの中で一介の父親が謝罪を口にした所で、核兵器(の効力)を肯定し、その使用に対する反省もない現状。これを告発した終幕だろうと私は解釈したが、しかしアメリカに対する真の怒りが「無為な殺戮」に対するものであるなら、それは自国の過去のそれにも、イスラエルのそれにも向かわねばならない。
原子爆弾という兵器の特殊性が加害性を高めるのではなく、古い兵器だろうと同等の人の数を殺せば意味的には同じだ。あまりの威力と無差別殺戮が必定の兵器に、マッケランが「唖然」とした感覚は、人間の正常な感性だと言えるが、「戦争」は殺戮を正当化する。
日本兵が中国大陸で狂気のように人が殺せたのもそのような訓練が為されたから。広島で14万、長崎で約7万が亡くなった。外地での戦死(餓死者含め)と内地での攻撃全て含めて日本の死者130万。そして中国大陸での殺戮数は1000万規模と言われる(2000万近い数字が以前は出ていた)。ベトナムでは日本軍の食糧「現地調達主義」により100万規模の餓死が出たという調査もある。
ガザやウクライナでは核兵器無しに数万規模の死者が生じ、積み上があればヒロシマ・ナガサキ規模にもなりかねない。もっと言えば、富の偏在を構造的にキープしている世界で病死者・餓死者を生み出し続けているのも、自然というより人間の罪だろう。
「無差別に人を殺すこと」に怒りを覚える根底は、理由もなく身内が殺される事への想像力だ。そうであれば、その怒りは地球上のどの殺戮に対しても向けられるはずのもの。尊い命とそうでない命がある、という認識を自分に許している者は、自国(ゲルマン民族)優位の思想を突き詰めたナチスを批判する事はできない。社会科教師の演説になった。
田園に死す

田園に死す

流山児★事務所

ザ・スズナリ(東京都)

2024/03/14 (木) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

天野天街脚色・演出での本作舞台版は、初演が2009年。その後2012年、2014年と再演し、以来10年振りの今回ぎ4回目。出演陣(20人超え)は初演より幾許かの入れ替わりがあるも下地は変わらず、その事に後で驚いた。
自分は2014年版を同じスズナリのやや後方席で(映像記憶に依れば)観ており、今回はほぼかぶりつきなので(アングラ劇は前が良い)受け取る熱量が違うとは言え、配役に無理を感じないのみならずボルテージも前回より高かった(さとうこうじ、蒲公仁、伊藤弘子、小川厚雄、沖田乱、、)。演出にも恐らく細かな変化があり、「芸術監督」流山児祥のクレジットが加わった部分かと推測。芝居に茶々入れつつ介入する流山児氏の出番が多いのだが、つくづく「変わらないなー」と苦笑を誘う立ち姿には「出直して来い」と演技ダメ出しで成立させていた。
昨年久々に観た天野天街演出舞台が「天街技」を封印したものだったので、今回は存分に堪能した格好である。
変わらぬ夕沈ワールドのムーブ場面は二度出現。ラストの群舞の高まりの動力は、音楽にある。担当が万有引力J・A・シーザーとは思い至らず、諏訪創又は誰かと思っていたので後で名前を見て納得。慕情に彩られる場面、その一つの感情の色を一定の時間の間に徐々に昂らせていく力に、やられていた。

再演を重ねて来たこの演目を再び拝む日が来るのかどうか。。あと十年後の自分がこうして芝居を観ているのかどうかも分からないが、このえも言われぬ時間を愛でる人たちがまだ居てくれるといいな。

田園に死す

田園に死す

流山児★事務所

ザ・スズナリ(東京都)

2024/03/14 (木) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

流山児さん、スズナリと以前からいつか見たいと思っていた舞台で寺山修司…
ちょっと期待が大き過ぎだったかなという印象かも

良かった点
・はじまりのマッチ擦るところ
・後半のぐるぐる回る踊り?
・畳の穴から人が一瞬で消える
・最後の階段を上るシーン!
映画と違う舞台で、よくここまで次から次と進行させたなと感心しました。
スズナリの施設も味があり、一瞬で昭和にタイムスリップした気分に

良くなかったかも?
・セリフのリピートがちょっと多過ぎかも
・そのせいで時間がちょっと長過ぎ、2時間以内にした方が優秀です。
・流山児さんの登場が、個人的には不要かも?

好みの問題でこの舞台を見れて良かったけれど
再度見たいかというとそうではないってのが正直な感想

キラー・ジョー

キラー・ジョー

温泉ドラゴン

すみだパークシアター倉(東京都)

2024/03/15 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

いわいのふ健さんの回を拝見しました

分かりやすいストーリーと役者さん方の素晴らしいお芝居で、あっという間の2時間でした。。。
出来れば再公演の際は、他の方が演じたジョーも拝見したいと思います。

本題から脱線する感想ですが
舞台のセットが物凄く良く出来ておられまして感動!
チケット代を考えると、なんだか申し訳ない感じすらします。

久々に当たりの舞台に遭遇出来なんだか得した休日の一時でした
ありがとうございました!

イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

迫力のある舞台でした。観ることができて良かったと思います。

ネタバレBOX

演技が良かった:全体的に演技が良かったと思うが、山口馬木也さんの演技や発声が特に目を引いた。個人的には水野小論さんの既婚女性の年齢の演じ分けが印象的だった。
小道具が印象的だった:焦げたテーブルクロスや倒れた椅子などの小道具を使用して、原爆投下前後のアメリカ市民の生活を再現する、ちぐはぐさにインパクトがあった。アメリカ人が主役の舞台で、途中から登場する日本人キャラクターが能面のような仮面を被って現れる演出も驚いた。
脚本・キャラクターに感じたこと:観劇前に読んだパンフレットのコメントで、劇中の台詞をポジティブに発することに当初慣れなかったと言及していた役者さんが複数いた。実際に観て、“アメリカ人”以外の人々を、敵国人または文化的でない人種として、憎悪し侮蔑する台詞が露悪的に描写される場面がいくつかあり、聞いた瞬間に反発心を覚えた(ので、演技として成功していたと思う)。
劇中の彼らを嫌な奴らだなと単純に思う気持ちと、私自身が似た発言や態度をすることがあると身につまされる気持ちを抱いた。
ブライアンの振る舞いや身の処し方に一番共感してしまった気がする。
抱えきれない わたしを抱いて

抱えきれない わたしを抱いて

坂本企画

in→dependent theatre 1st(大阪府)

2024/03/22 (金) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

役者たちの素晴らしい演技が、この作品を凄いものに仕上げています。
観客は大きな感情のうねりに翻弄されてしまうが、その中心に鳩川七海さんがいます。
今作の彼女を是非観るべきです!

イノセント・ピープル

イノセント・ピープル

CoRich舞台芸術!プロデュース

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2024/03/16 (土) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

外国人が登場する芝居は翻訳劇だという思い込みがあった。だがこの作品は日本人の脚本でアメリカ人を描き、それを日本人の役者が演じるという極めて珍しいパターンだ。さらに、作品に登場するのは原爆製造に関わった科学者たちとその家族。私などは原爆と聞けば広島、長崎の惨状がすぐ思い浮かぶだけで被害者の視点でしか見てこなかった。それを加害者であるアメリカ側の(それも原爆製造の当事者) 視点から描こうというのが画期的だ。これらは特筆すべき点だろう。日本人を悪し様に言うシーンなどはインパクトがあってすごく嫌な気分になった。

役者陣には各々の役柄を深く掘り下げ、それを忠実に体現しようという姿勢が強く感じられ、重いテーマとも相まって舞台に独特の緊張感が漂っていた。観ているこちらも自然と居住まいを正し舞台に集中でき、ある意味とても心地よい緊張感だった。

ネタバレBOX

印象に残ったのは何といっても最終章である加害者側のブライアンと被害者側のタカハシが対峙するシーン。被爆地の惨状が語られた後の「謝罪はないのか」のタカハシの問いかけに口ごもり何も答えられなかったブライアン。その時彼の胸に去来していたものは何だったのか。そして孫娘のハルカとの初対面。彼女は身籠っている。なんとブライアンはゆっくりと彼女に近づきながらその腕を真っ直ぐにそのお腹に伸ばしている。
何ということだろう。生まれ来る命には慈しみを持って迎えようとしているのに原爆の犠牲になったあまたの命については一顧だにしない。彼は先祖から繋いだ命を3代先まで繋ごうとしている。片や自らの命も全うできなかった人々のことを想わずににいられない。これが戦争という魔物が生み出した歪んだ「イノセンス」なのか。人間の持つ二面性を鮮やかに描き出している。

最後、ブライアンがハルカのお腹に触れる寸前で暗転となり、銃声(?)のような音がしての幕切れ。彼に鉄槌が下されたのだろうか?。いずれにしても心に残るラストだった。

この機会がなければ出会えなかったであろう作品。感謝です。今後のCoRich舞台芸術!プロデュースに期待します。
三途の川のクチコミ

三途の川のクチコミ

万能グローブ ガラパゴスダイナモス

福岡市美術館・ミュージアムホール(福岡県)

2024/03/13 (水) ~ 2024/03/17 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2024/03/17 (日) 14:00

*

チャーリーとチョコレート工場

チャーリーとチョコレート工場

東宝

博多座(福岡県)

2024/01/04 (木) ~ 2024/01/15 (月)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/01/06 (土) 17:30

*

ご臨終

ご臨終

制作「山口ちはる」プロデュース

下北沢 スターダスト(東京都)

2024/03/19 (火) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

鑑賞日2024/03/21 (木) 15:00

山崎洋平作品としては珍しい(偏見?)王道ホームドラマ。
父が倒れて一週間、夜に見舞いから一旦実家へ戻った四姉妹と長女の夫、ラーメン店を営んでいた父の弟子の6人による会話劇。会話の中からそれぞれの関係や状況、さらに姉たちに対する四女の想いなどが自然に浮かび上がってくるのが巧み。
また、そんな脚本に更なるリアリティを持たせた演出・演技も見事。

鐵假面(てっかめん)

鐵假面(てっかめん)

劇団唐ゼミ☆

大通り公園 横浜市技能文化会館前 特設劇場(神奈川県)

2024/03/20 (水) ~ 2024/03/24 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2024/03/23 (土)

面白かった~。
やっぱりテント芝居はいいね。
舞台は完全野外、客席はテント。
寒かったけどそれ以上に熱い芝居で夢中に見てました。
まさに演劇を体感!!
終わった途端ブルブル。お湯割りでワイワイ。

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