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「シャケと軍手」〜秋田児童連続殺害事件〜

「シャケと軍手」〜秋田児童連続殺害事件〜

椿組

ザ・スズナリ(東京都)

2021/03/17 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

この事件が騒がれていた頃何度も見たはずの犯人の顔をすっかり忘れていて、別の事件の犯人を思い浮かべていたのだと気づいたのは帰宅して思わず検索してからでした。
こんなことになる前になんとかできなかったのか、卒業アルバムにあんなことを書いた人たちはこのときどう思ったのか、今はどう思っているのかといろいろ考えてしまいました。

アビー

アビー

伊藤えん魔プロデュース

近鉄アート館(大阪府)

2021/03/27 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

イヤー良かった。観客との一体感はたまらない。千秋楽に持ってきて正解⭕えん魔さんが一番つらかったと思いますが、共演者も観客の私達もつらかった…😢参加できて本当に良かったです。ありがとー😭✨

「蜜蜂と遠雷」 ~ ひかりを聴け~

「蜜蜂と遠雷」 ~ ひかりを聴け~

シンフォニー音楽劇「蜜蜂と遠雷」製作実行委員会

KAAT神奈川芸術劇場・ホール(神奈川県)

2021/03/27 (土) ~ 2021/04/11 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

リーディング+オーケストラ・コンサートと映画は観た。今回はシンフォニー音楽劇とのこと。クラシックのコンサートには腰が引ける人達にも気楽に観れる試みとして秀逸なコンテンツ。バルトークやプロコフィエフには興味が湧かなくても音楽の天才達が織り成すバトルものとしては充分堪能出来る。それらを実際に弾くのが天才ピアニスト川田健太郎氏。『海の上のピアニスト』の“1900”を彷彿とさせるクールな演奏請負人。指揮者役で千住明氏が本当にオーケストラを指揮、かなりお得なステージ。
元NYCの中山優馬氏がピアノを弾き、踊り歌う。シンガーソングライター、ヒグチアイさんの歌も印象的。美少年、ジャニーズJr.の大東立樹(おおひがしりつき)君はスター性抜群。“奇跡の歌声”木村雄一氏はもとよりパーマ大佐の歌う『幸福な王子』が秀逸。
3年に1度のピアノ・コンクール。音楽に魂を捧げた天才達が集う宴。音楽とは果たして何か?との問い掛けもある。

ネタバレBOX

前半のテンポが悪く、構成も演出もホンも噛み合っていない。凄くつまらない話をだらだら聞かされている感じ。一幕目後半、中山氏が踊り始めてからステージにパッと華が咲く。その流れに乗って第二幕は集中して楽しめた。曲は素晴らしいのだから、あとは聴かせ方。ほんの一工夫で無限の可能性が見えるのに。
INDESINENCE 

INDESINENCE 

LUCKUP

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

面白かったです。

振り返る人たち

振り返る人たち

ニ兎社

東京芸術劇場 シアターイースト(東京都)

2021/03/27 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

#二兎社
#振り返る人たち
3回目を迎えたドラマリーディング。毎回戯曲の力強さと、切り取られたシーンを見事に立ち上げて見せる俳優陣の確かさに感心させられる。今回も例に漏れない。
目当ては、何作品も出演作を拝見し、その鋒の鋭いナイフが如く尖った演技が魅力的な #稲村梓 さん。『兄帰る』の姉で遺憾なく発揮された。そこで帰ってきた兄を演じた #池田遼 さんはなかなかに目を引いた。また観たいと思った。
スタートとラストに『私たちは何も知らない』を女性版と男性版という対にした上演がされ、とても興味深かった。特に保持研を演じた二人が対照的だった。#文学座 の #松本祐華 さんは清らか、#キャラメルボックス の #多田直人 さんは毒を孕んだ曲者を立ち上げた。どちらもアリだし素敵だった。
『かたりの椅子』で組み上げた椅子が崩れたが、演出なのだとしたら天晴れ。
今回も素晴らしかった。来年も必ず観たい。

アン

アン

やみ・あがりシアター

王子スタジオ1(東京都)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

1時間とは思えない密度の濃い芝居でした。
子供に何をしてあげたかったか、自分は何ができたのか、いろんな思いが混ざって涙がでました。
60分一人で舞台に立つ力量も素晴らしいし、彼女の思いを芝居に作り上げる脚本と演出も素晴らしかったです。面白かったぁ。。

ゲキドル the STAGE

ゲキドル the STAGE

オッドエンタテインメント

シアターサンモール(東京都)

2021/03/03 (水) ~ 2021/03/07 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

持田千妃来さん出演。
アニメ版がテレビで毎週放送中のところでスケジュールされた舞台。放送は終盤のクライマックスに向かっていくところで、まだ謎が解けていない、ちょうどいいところでの公演だったと思います。
アニメ版ではライバル劇団(SMT)に所属するメンバーはほとんど出てこないですが、舞台版はで、自劇団(アリスインシアター)と同じくらいの数のメンバーをフィーチャーしていました。
それが効いてくるのが劇中劇の「アリスインデッドリースクール」で。これはもう、お見事と言うしかない、みごとな演出でした。
初日に見た後に私もツイートしましたが、「アリスインデッドリースクール」を知っているかどうかでかなり違います。観ておいたほうがずっと楽しめます。Youtubeで2016年の「アリスインデッドリースクール PARADOX」が期間限定公開されていますので、今からでもおすすめです。
持田さんは「アリスインデッドリースクール」シリーズにこれまで3回出演されていて、すべて異なる役でした。今回の劇中劇でもまた異なる役で。そこも楽しいポイントでした。
ドール役の伊藤優衣さんは、2014年の「POLYMPIC TOKYO!」で都知事の娘(=2代目かえでお姉さん)を演じた方ですね。7年ぶりに拝見しましたが、相変わらずの高い演技力で、よかったです。

ネタバレBOX

劇中劇は2つの劇団が平行して演技します。主に舞台の下と上で。メインの百村信子と墨尾優以外は、片方だけが配役されていて、交互に掛け合います。クライマックスが近づくといつの間にか合体して演技しています。これは見事だと思いました。
「アリスインデッドリースクール」の名シーンのピックアップというかオンパレードで、何度も観劇しているファンとしては感動ものでした。
持田さんは劇中劇で百村信子の役。主役の墨尾優と並ぶ、とても重要な役です。是非見たいと思っていた役でした。期待通り、素晴らしかったです。
粛々と運針【制作「山口ちはる」プロデュース】

粛々と運針【制作「山口ちはる」プロデュース】

制作「山口ちはる」プロデュース

「劇」小劇場(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

めちゃめちゃ良かった。やっぱり横山拓也さんの脚本すきや~!演出の妙もあって、舞台の雰囲気が愛おしくなっちゃう。後半のなんだあれ、連立二元一次方程式みたいな会話劇。初めてみたけど圧倒された。久々に笑って驚いて胸を打つ観劇体験ができた。

君の、空知らぬ雨

君の、空知らぬ雨

劇団HALLJACK

牧野生涯学習市民センター(大阪府)

2021/03/27 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

満足度★★★★★

最初から最後まで泣きまくり。涙が枯れました。シリーズ化とのことで、次回も必ず参加します‼️

INDESINENCE 

INDESINENCE 

LUCKUP

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

良くも悪くも王道設定のミステリー。

謎解き的要素や意外性はそこまで強くないけれど、役者さんの力量もあって、通しで見れば面白いと言える作品になっている。

ただ、詰め込み過ぎ・最後に説明し過ぎの感はあります。

こどもとつくる舞台『花をそだてるように、ほんとうをそだてています。』

こどもとつくる舞台『花をそだてるように、ほんとうをそだてています。』

ひとごと。

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

コトバと踊りを、絵の具のように手に付けて、画用紙の上を自由に塗りたくったようなプリミティヴさ。

楽しい!

ネタバレBOX

子どもの話を演劇化する企画は、以前、岩井秀人さん・森山未來さんたちの「なむはむだはむ」がある。
それは完成度の高い「演劇」を組み立てようとしていたが、こちらはより直感的に話を身体に落としてストレートに見せていた。

追悼として犠牲者数と同じ靴を並べることがある。
舞台の上に置かれた靴にそれを重ねてしまった。
そこへ「花」を挿していくことで、さらに慰霊や鎮魂の印象。
子どもという、きらきら光る「生」と、静かな「死」のコントラストのようにも。

川隅奈保子さんの笑顔には救われる。
藤瀬のりこさんのダンスはすっとしていて気持ちいい。
ANCHOR

ANCHOR

うんなま

神戸アートビレッジセンター(兵庫県)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2021/03/27 (土) 15:00

とても愉快なのだかではないのかわからなかった。物語らしい物語がある話ではなかったので、その点では物語を求める自分としては自ずと点数は低くなる。kavcをあんな風に使う劇団は初めてだと思った。管理団体は嫌だったと思うが、やりたいようにやらせた劇場管理団体に賛辞を送りたい。

生きてる風/ ブタに真珠の首飾り

生きてる風/ ブタに真珠の首飾り

アマヤドリ

シアター風姿花伝(東京都)

2021/03/18 (木) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

「豚に真珠の首飾り」観劇。かなり久々のアマヤドリ、実はもう一つの演目を観るつもりで居たのだが二演目ある事を忘れ時間の都合で(確実に開演に間に合う)日へ後で変更し。。中身が違うと気づいたのは劇場入口での事。
もっとも両者とも未知の演目なんであるが、ただ新作にはコロナの影響が幾許かでも、この作者にどう及んだか窺えるのでは、というのが関心であったので、完全に予定外。が逆に機会である。1時間半というスパンの劇は久々に観た。(昔は割と標準で手頃な長さだったような。最近は1時間+α、2時間~3時間というのが多い気がする。)

結果、厳しい事を言えば謎解き的には先へと引っ張り過ぎ、そして説明に時間が掛かり過ぎ。ただ4人の女共の喋りの瞬間的輝きは何箇所かあった。
披露宴の縁故客の控室(花嫁側)に来た4名の会話で、二人組と一人が知らない同士、両者共通の知人が一人という構成で、二人組と共通知人が近い年代の先輩後輩関係、一人が若く、花嫁を通じての知人同士。
最初一人(若い)と共通知人の2人の会話があり、共通知人が去って一人若が残った所へ二人組の登場、2人の慣れた感じの会話(あけすけな後輩と彼女に気を許すお喋り好き先輩)で見せる本音トークは面白く、離れた所で見守る一人若と、やがて自己紹介、さらに二人組の会話が続き、今回の花嫁にまつわる「問題」、それがどうやら連れ子にある事、などが見え、そして二人(特に一方)が今現在不在の共通知人にわだかまりをもっているらしい事も見え、やがて当人登場4人揃う、と暗転。仕事で披露宴を早めに抜け二次会には参加できないらしい共通知人が、一人若と控室に戻ると、仕事に行かなくて良くなったとの連絡。挨拶までして中座したのに、と悩みつつも二次会に行く事になる様子、と、そこへ残る二人組登場し、そこからわだかまりを吐き出す本音の会話へ展開する。
さてこの小品の命はやはりリアリティであると思う。控室に4人だけの必然性は特に気にならず、演劇の都合でも良い。問題は、中心的話題となる話のリアリティがどこまで追求されたか、が重要、というのも混迷から抜け出す手がかりであるメッセージの重みに、そのまま掛って来るので。共通知人(確かミユと言った、以後ミユとする)に対し引っかかりを持つ後輩(根明なもう一人はそのさらに後輩)は最初「仕事で披露宴を抜ける」と言っていたらしい事に憮然とし、個別事情よりそういう彼女の人間性の変容を問題にしていた。が、本題に入るとそれは花嫁(確かアヤと言った)に対しミユが「ひどい事を言った」事にある、と説明される。
ミユと二人組は元高校のダンス部の繋がり、一方なぜかもう一人のミユの若い知人はダンサーへの夢を遂げたく渡米しようとしている。しかし最近彼女は自分が世話になった人たちに更に世話になりっ放しで、自分の事しか考えていない自分で良いのかと悩んでいる。ここでの伏線は、後に開陳される本題=すなわち花嫁の連れ子(重い障害を持つ)を、ミユと共に気にかけていた、として回収されるようだが、渡米への逡巡をこの「後で開陳される障害のある子どもを置いて行く後ろめたさ」に集約させるにはもう一つ必然性が盛られていない。
ミユに対する後輩の不満が、言わば後に謎解きされる事になる「謎かけ」なのであるが、この不満が一本に絞られて行かないのも憾みだ。
かつて部活時代にミユの金魚の分であった後輩が、成人以後の変貌(成長)に一方的な願望とのズレを感じ(最初はそういう種類の感情が仄めかされていた気がする)、最後にはやはりそこに着地するようなのであるが、謎解かれる本題は、ミユがあや(花嫁)に対して言ったという言葉、すなわち(24時間医療ケアを要する障害を持つ子供のために自分の人生を犠牲にする事はない、という意味で言った)「諦めてもいいんだよ」の方である。
打ち明けられた後輩は、たまたま弱っていた時に自分に話をしたに過ぎないし、ミユ先輩とあやさんの絆の方が深い、と自ら認めるのであるが、そう認めながら「不満」は持ち続けるという心理は中々理解しがたい。憧れの先輩であり続けてほしいといった子供っぽい願望と、この問題発言に対する違和感といったものは、質が異なる。これが並列に語られる事で、役者は心理を作りあぐねて苦しんでいた(と見えた)。

リアリティの面で決定的なのは{これも苦言です)、披露宴に出席し、その「子ども」を諦める諦めないといった会話がヒートアップしているのに、新郎の話題が全くでない事だ。むしろ子供を引き受けて行く事になる旦那がどう考えているらしいのか、一言も出ないのは戯曲の欠陥で、深い会話ができた事をもって相殺できるレベルでないと思う。それこそ会話は「余計な心配」であり、不毛な会話という事になる。
もちろん旦那の事を差し置いてついついそういう会話に発展する事も、またそういう舞台も「あり得る」と思うが、深刻に悩み、会話が展開する(軽快→深刻→軽快)ドラマ性で勝負する劇としてはやはり厳しいものがある。
ただこの欠陥に関わらず舞台を華やぐものにしていたのは、キャラの棲み分け、自然体の演技、それを発現させた台詞とは言える。

こどもとつくる舞台『花をそだてるように、ほんとうをそだてています。』

こどもとつくる舞台『花をそだてるように、ほんとうをそだてています。』

ひとごと。

こまばアゴラ劇場(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

(体調による)睡魔が万遍なく襲っていたが、何やら楽しげな場面が展開。台詞を発する声はビンビン聞こえるのに意味を脳が解析せず、勿体無い感を残して帰路についた。(こんな無味乾燥な感想、感想とは言えないが..)

岬のマヨイガ

岬のマヨイガ

特定非営利活動法人 いわてアートサポートセンター

東京芸術劇場 シアターウエスト(東京都)

2021/03/17 (水) ~ 2021/03/21 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

作と演出は別だったっけ、と思ったが同じ人(詩森ろば)であった。観ながら自分の中ではちぐはぐさが気になった。キャスティングはプロデューサー側の意向、そこで演出が頼れる縁故のある役者を配した、と、縁故役者を活かす想像の方が作者としては先行してしまう、結果バランスが崩れた・・等とまた余計な想像が膨らんだ。
全体に台詞が凡庸に留まり、予測を上手く裏切る劇作家の仕事が、舞台上では生かされないという印象で、演出の問題か演技の問題か、と考える。竹下景子がフランス家庭劇で求められるコメディエンヌ風な構えで「役」に深く入らない演技態であるのが最も気になった一つ。震災の影を背負う三人の女(地元の独り身のお婆=キワ、暴力夫から逃げて来た妻=結、東北の親戚に引き取られに行く途中で震災に合った少女=ひより)のマヨイガと名付けられた家と村での心許ない共同生活が、お婆が交信できる事による異界との交流を溶媒として、新たに生きる力を得て行く。このプロセスが持つドラマ性に心を寄せつつも、現実を生き直す「溶媒」としてのファンタジーが、舞台上で写実的に登場してしまう。「存在するが存在しない」という二重性の中に人の精神の力となり得る「物語=ファンタジー」は機能する、とは私の思いであるが、その線で言えばこの異界の存在をどう舞台上に存在させるかが今作の要であった。
冒頭の舞台上でセットしたスライド機による影絵は、竹下女史が孫らに「どんどはれ」で終る東北の昔話を語る背景に使われ、ぐっと期待感の高まる出だしだったが、この小道具的演出は後半、実在の「衣裳(詩森ろば)を着た」河童等の妖怪や、沢則行の(とは後で知った)人形によるダイナミックな戦いの場面といった「実写」が主となり、これが残念感を増す。
鈴木光介氏の生演奏は寸暇もなく殆ど舞台を支えていたという印象だが、唯一河童のテーマ曲だけは高揚をもたらさず、男衆が扮する6、7匹の河童が婆に呼ばれて会食する場面は「異界の時空」との境界を破った意外性がなく「現実の時間」に飲まれて相当きつかった(衣裳をまとった男としか見えない)。河童の歌は3回も歌われ、「河童さんとの食事は楽しかった」と言いながら「かっぱかっぱ~♪」とフレーズを繰り返し「え、歌っすか」と思わずツッコミたくなる(歌は舞台上の象徴的表現でしょ?)。もっと現実的、というと変だが河童が「歌」というものを本当に持っているとしたらどんな歌か、というオファーがもし演出から出されれば鈴木氏ならもっと違う物を提供したはず、と思う。テントンカントン伴奏を河童自身が付けて(鳴り物は持ってないからカラオケ機なんか持参して?)歌ってたと女共は記憶に刻んだの?こういう雑さが私には我慢ならぬ。河童とどのような「交流」があったのかも、舞台上にどう表現するかは難題だったと思うが、クリアしたと言えなかった。
後半展開する異界絡みのメインストーリーは、岬の村にかつて災害と荒廃をもたらした妖怪が、今再び忍び寄っているらしい事をお婆が(東北の主要各河川を担当する河童たちに頼んで)突き止め、東北の妖怪らに応援を募り、決戦の時を迎える、というもの。これは冒頭の昔話と連動しており、岬の「第四の洞穴」に封印された妖怪である白蛇と、これと昔戦って敗れた事で配下となった何とか言う男の精の二者が、敵役になる。
これが象徴するのは災害であり、それによる人の心の荒廃、絶望。三人の女は戦いの前に一度花巻を訪れるのだが、戻ると岬の村は一変していた。疑心暗鬼が支配し、ひよりと親友になった少女も心を閉ざしてしまう。白蛇らの暗躍とお婆は見て取り、到着した妖怪も各所に散るが、「現実」の生活で女三人が別行動となった所へ敵は襲いかかる。結末は「敵の弱点は目」と知ったひより、結が健気に戦い、勝利する。
身を寄せ合って暮らす三人は、花巻から戻って豹変した村を見て驚き、自分らを暖かく迎え入れた村の「現実」を初めて意識する。両親を亡くし孫を亡くした村人らが互いを励まし合い、日々を明るく乗り越える光景が序盤に描写されるが、結とひよりが偽名を騙って公の監視を逃れるのをお婆が助けた縁は、やがて妻を探して訪れた「悪相の男」を村人が(それと頼まれず)体よく追い払った事を契機に「村との縁」に広まっていたが、助けられる身から人を助ける主体へと転換するのが、三人、とくにひよりと結にとっての「戦い」となっている。村人らが抱えているだろう「喪失」によるPTSDは想像するしかなく説明困難なものに違いないが、震災という体験共有が舞台を観る前提となる。白蛇の象徴するものが何であるのか、具体的には判らないが(その一つは無味乾燥な防潮壁建設にあったりするだろうか)。。
そしてこの舞台は東北を回る。作者がこの事を意識し、アトラクションと明るさのある舞台を指向した事が推察されたが、(本人の意図ではなくとも)戯曲の不足を趣向で埋めた印象は自分には強く残ってしまった。

D.C. -コドモと家族の物語-

D.C. -コドモと家族の物語-

劇団YAKAN

池袋GEKIBA(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★

「HOUSE MEETING」を観劇。若い劇団が頑張っており好感を持ちます。ストーリーには少し足りないのではと思うところもありますが,コロナ禍でコンパクトにしたかったものと善意に捉えます。小さな劇場でコロナ対策には少し不安もありますが,全体としては楽しめた舞台でした。

INDESINENCE 

INDESINENCE 

LUCKUP

赤坂RED/THEATER(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

本格ミステリと言えるかは別にして,演劇としては十分に楽しめる内容。安心して観ていることが出来ました。女性陣も華やかでこの点についても楽しむことが出来ます。コロナ禍の中,観劇が制限されていますが,やはり芝居は実演を見るべきと思います。

蛙昇天—令和3年版—

蛙昇天—令和3年版—

ドナルカ・パッカーン

アレイホール(東京都)

2021/03/24 (水) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★

鑑賞日2021/03/25 (木) 17:00

1950年の「徳田要請事件」をベースに木下順二が1951年に書いた戯曲だが、本来なら3時間ほどの上演時間が必要になるところを、第2幕・第4幕に絞って65分で上演する。
 正直言って、今なぜ本戯曲を、と疑問に思う所もあったが、上演を観て現在の社会状況と似た部分を印象づけようという意図があるように思った。現代的解釈と思える演出だが、若干の違和感を感じた。

アン

アン

やみ・あがりシアター

王子スタジオ1(東京都)

2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

鑑賞日2021/03/27 (土) 11:00

シンプルに面白かった。
 やみ・あがりシアターの実験公演として、役者から原案をもらって主宰の笠浦が作・演出を担当する「オーダーメイド公演」の第1弾。劇団員の加藤の原案で、母と娘の物語を、主に母の立場で展開する。設定は、ちょっと無理だろ、と思わせるものだし、展開もやや無理矢理なところはあるけれど、一種のファンタジーとして成立してるのが面白い。アンは娘の名前だが、男友達の名前がギルバートというのは「赤毛のアン」を念頭に置いているのか、というのは読み過ぎだろうか。

日本人のへそ

日本人のへそ

こまつ座

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA(東京都)

2021/03/06 (土) ~ 2021/03/28 (日)公演終了

実演鑑賞

満足度★★★★★

念願叶った井上ひさし処女戯曲の観劇。ごりごりとした感触、注げるものを全て注ぎ込んだかのような・・である故に場面の作りに精巧さの濃淡があるが、掌を加えない(己に)容赦をしない作家魂。この手触りは井上戯曲ではこれまで味わった事のないものであった。
第二幕冒頭より展開するは、井上コント(てんぷくトリオ)のフレームを折り重ね束ねたような、同性愛モチーフの精巧な産物、その勢いを減じる事なく(題名が示唆する)井上流ナンセンスを織り交ぜた日本人論が開陳され、手綱を徐々に締め上げるような筆致で終幕へ一気に突き進んだ。
第一幕は説明の省略技法=歌の多用により、吃音者の治療プログラムとしての劇(劇中劇)の開始以降ノリよく場面展開する。「参加者」の一人である東北出身の女性(小池栄子)の半生を「サンプル」とした劇だが、学もなく世間知らずの十代少女が東京に出、苦界に身を堕して行く主な舞台はストリップ劇場、その描写のディテイルは井上氏にしか書けないフィールドだろう。(戯曲を書こうとする者の多くが自分の体験をベースに書く(事により処女作の脱稿に至る)と言われる。文豪井上ひさしも例外でなかった。。) 惜しむらくは、作品が対面している(事が判る)時代、すなわち冷戦下にあって経済成長を遂げた日本特有の政治的版図、右翼と左翼の対立の表れ方が風刺の対象になっているが、現代に置き換え・読み替え可能とは言えここには宇野誠一郎氏の楽曲が伴走し、時代の制約から脱しきれない。
ただ、第一幕の語り手である(吃音研究者であり治療プログラムを主催する)先生(山西淳)をはじめ、役者はエピソード説明のため奔走し、小池以外は皆多くの役に扮して八面六臂、このエネルギーが時代感覚の落差を相殺して余る程である。ナンセンスコント風二幕と併せ、この劇は作家の筆に俳優が疲労困憊の域にまで酷使される様を見る劇、とも言える。
もちろん最後に訪れるのは「役割を演じきった」アスリートへの称賛のみでなく、戯曲の背面から立ち上る思想、作者の眼差しのようなもの。「見て来た」者だけが語れる人間と社会の「現実」、それを直視し批判でなく包摂しようとする精神、言ってしまえば人間愛。どのような人間の中にも生への願望、欲求、情熱、そして体温があり、打算に走ろうが妄信に迷い込もうが、そこに確かに「人間」という存在を見る眼差し、のようなものだろうか・・。他にありようなくそのようにしてある人間、を井上氏は描写する。それは人間の限界でもあるが、この眼差しは私達に、これ以外になり得ない自分、これ以上に気高くはなれない自分に今なり得ているかを問い掛ける。

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