廃墟 公演情報 時間堂「廃墟」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    三好十郎作品は、とても骨太で力強い
    そして、その骨太で力強い作品を、黒澤世莉さんは同じように力ずくで押さえ込むのではなく、無理をせずに自分の側にたぐり寄せ、等身大の感覚で、細やかにセンス良く演出していた。
    2時間30分の上演時間はまったく長く感じず、見入ってしまった。

    ネタバレBOX

    終戦からあまり時間を置かずに書かれた作品だという。以前に観た『その人を知らず』もそのすぐ後に書かれたらしい。
    それを考えると、三好十郎はいかに凄い作家なのかがわかる(『浮標』も素晴らしかったし)。
    とにかく、骨太で力強い。
    ただ、この強さは、今だからこそ受け入れられるのかもしれないとも思う。
    物語が成立しなくなった今だから、こうした力強い作品に魅力を感じるのかもしれない。

    この力強い作品を、黒澤世莉さんは、作品と同じように力ずくで押さえ込むのではなく、無理をせず自分の等身大の感覚で、細やかにセンス良く演出していた。台詞の細かい重ね方や立ち位置、移動などがとてもいいのだ。そして、最初のほうのシーンにある「生活音」の生音が、とてもいいアクセントで舞台に響いていた。
    台所の位置がよく、視線には気にならない程度の場所にある。
    シンプルだけど、家の配置や玄関、畑の位置設定もいい。奥行きが増すのだ。
    時間の変化を美しく見せる照明もよかった。

    元教授のエピソードは(たぶん)当時も話題になったであろう、判事が配給のみで餓死した事件にヒントを得ているのではないだろうか。
    その元教授の死を賭した主張には、迫力がある。つまり、「国民の1人として、1人分だけの責任がある」ということ。それは重い。誰に言われたわけでもなく、自分だけが負わせることのできる責任であり、罪なのだから。
    武田泰淳の『ひかりごけ』を持ち出さないまでも、あの時代を生きてきた方たちは、それなりのことをくぐり抜けてきたはずである。それもまた重いし、別の意味での、責任に負い方ではないだろうか。
    しかし、元教授は自らを枷にはめていく。家族がどんなに反対してもである。この姿は、『その人を知らず』の主人公にも重なって見えてきた。

    ところが、元教授とその息子・誠(共産党員)の議論が激化してくると、様相が変わって見えてくる。高潔であった元教授の頑なな姿は、議論が何のための議論かわからなくなってくる。議論のための議論、議論を楽しんでいるように見えてくるのだ。
    少々面倒な現実は、お手伝いとして暮らす女性に任せっきりにしてしまう(防空壕に逃れたりして)。つまり、現実から逃げていることが見えてくるのだ。
    息子にしても戦争を反対していたが「自分たちの力が弱かったから止められなかった」というのは、次にもし同じことがあれば、そう言って逃げてしまうことを意味している。

    さらに、息子が「今度の戦いは、再び戦わないための戦いだ」と言うのだが、それは「正義(大義ある)戦い」ということの理論であり、かつて、そしてこれからも起こっている戦争と本質的にまったく同じだということも露呈する。

    つまりのところ、元教授(父)と息子は、この戦争から何も学んでいなかったということなのだ。また、いつでも戦争を起こし、そしてそれを積極的にではないにせよ、支持する側に回ってしまう可能性を秘めているということだ。

    女性たちはそうではない。皆、地に足をつけて生きることをのみすべてとする。
    元教授の妹・双葉は、父と兄の議論に「立派な考えを持った人たちが、国民から浮き上がってしまったことで戦争が起きた」と、鋭く指摘するのだが、彼らの耳には届いていない。自らの思想や主義にがんじがらめだからだ。

    そして、ラストの刃傷騒動は、議論では結論がでなければ、実力行使も厭わないという、彼らの根底にある、まさに戦争そのものが出現したのにほかならない。
    作者をして、終戦を迎えほっとしている中で、すでに次の戦争のきな臭さを感じとっていたのだろう。
    それは、おそらく、戦後間もない頃に作家自身の嗅覚と肌感覚によって感じ取られていたことで、議論を尽くすことが戦争をなくすことにはならないという危惧かもしれないし、戦争はなくならないという諦念かもしれない。

    元教授一家と一緒に暮らす人々、つまり、戦争に荷担したかもしれない国民と反対していたと主張する国民、戦争に積極的に参加して目的を見失った特攻兵、家族を失い身体を張って生きる女、戦争で傷ついた学生などなど、は、終戦直後の人々の縮図であろう。それを「家族」というキーワードにして、家族間のぶつかり合いと関係性という見方もできるかもしれないのだが、それよりは、もっとそれぞれの立場を代表するような、人物を表しているように感じた。初演の頃の観客にとっては、イヤになるほど身近な存在が舞台にいたのではないだろうか。

    双葉を演じた高島玲さんが、優しくて芯の強い女性を好演していた。欣二の酒巻誉洋さんの若くて無謀さを装っている感じもよかった。浮浪者役の小川あつしさんは、大変だったのではないかと思う。てっきりラストに重要な台詞もしくは演技を担うのかと思っていたらそうではなかった。

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    2011/04/04 06:17

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