グレート、ワンダフル、ファンタスティック 公演情報 ロロ「グレート、ワンダフル、ファンタスティック」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    「若さ」は能力だと思う
    「若い」、つまり、「今」に対して誠実に向かい合っている姿を観たように思えた。
    それは、決してカッコよくなんかなくって、がむしゃらだったり、もがいていたりする。
    カッコ悪いけど汗とかも流したりしてしまう姿だ。

    ネタバレBOX

    思い切って言ってしまうと、「若さ」は能力だと思う。
    そして、「若さ」は、青臭くって、惨めで、薄汚れていて、情けない。
    さらに、混乱している。

    マコトは、ミラクルオとともに時間に閉じ込められている。つまり、来る日も来る日も同じことの繰り返し。毎日毎日、同じ時間に学校に通って、の繰り返し(毎日毎日、会社に通って、も同じだ)。飛びたいと思うが飛ぶことはできない。「今」の自分は「別」の自分とは違うと叫んでも、繰り返しからは抜け出すことはできない。1年や1カ月や1日さえも長く感じる若い時間にとって、それは永遠の苦痛かもしれない。

    セツナサは、博士に身体のパーツをいろいろ付け加えられてしまい、どれが自分なのかわからない。自分の不確かさからくる不安。
    博士の側からすれば、自分の好み(セツナサの好みと言うけど)を相手にストレートに投影してしまうことの快楽。

    そして、ハルカは、無臭であると言う。それは、「人の記憶」に残らないことにつながってしまう。自分が「ここにいる」ということの証がないのだ。自分の匂いを探して、匂いのないロボットと出会う。

    こうした彼女たちが抱えている不安は、若い時間にあって、いつでもどこにでもあることなのだ。
    かつて誰にでもあって、それは(たぶん)ずっと同じだったはずだ。
    もう十分に年齢を重ねた私だって、若かったときは同じことを感じていたし、今だって、うっかりするとそんな気持ちが、ひょっこり顔を出すことだってある。

    クールにと思うイチコと、何かにいちいち首を突っ込んでしまうマコトは、どちらも本音であろう。熱くなることも、もちろんある。

    ロロと言う劇団は、そうした、若い時間にありがちな、なんとも言えないモヤモヤ感に対して、誠実に向かい合っているのではないか。
    評論家が言う「○○世代」なんていうウソっぱちな世代論から導き出された、「このへんでいいや」的な落としどころに着地させたり、適当に答えを出したりするのではなく、もがいて、混乱して、今考えられる方向に顔を向けたのではないだろうか。

    そんなことを感じた。

    もうちょっと思い切って言ってしまうと、これは、ドロシーだけの『オズの魔法使い』だったり、ドロシーと一緒に旅をする、心の無いブリキの木こり、脳のないカカシ、臆病なライオンだけの(ドロシーのいない)物語とも言える。
    「やっぱりお家が一番」というラストにいたるまでには、後何年も歳を重ねる必要があるのかもしれないが。

    多賀麻美さん、望月綾乃さん、山崎明日香さん、森本華さんの4人は、それぞれに託された、役割をきちんと前向きにこなしていて、好感度が高い。また、シロウマルを演じた板橋駿谷さんがとてもいい味。

    0

    2011/02/12 04:53

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大