満足度★★★★
芸ではなくて声が枯れ
入り口にポスターもなく、内輪のイベントみたいで「日時が合ってるのか」と会場まで行っても不安だった。
桂三枝といえば、週刊誌で「恋多き男」と書かれた若い頃の元気で颯爽としたイメージが印象的だが、さすがに寄る年波には勝てず、年末から働きづめとのことで、芸ではなくて声が枯れ、しんどそうだった。
声に張りがなく、フワフワと飛んでしまう。少し休養が必要ではと心配だ。
噺を流すというか、こなしてる印象で、老いと衰えは歴然。亡くなった小さんなどは晩年も張りがあったが。三枝も全盛期は過ぎたのだな、と痛感。それでも、話の「間」は天才的だなと思う。
東京の落語家は上下がキッチリと、役の切り替わりを鮮やかにきちんと見せるが、上方はあまりうるさくないのか、役の切り替わりがあいまいに見え、その分、どの役かわかりにくい箇所があった。同じ関西でも米朝などははっきり変わっていたと思うのだが。
そのせいもあってか、三枝は2度ほど受動語を言い間違っていたのが気になった。
カラーTVが普及前の昔の噺家は黒の衣裳が多かったが、近年は地味だった東京勢までチンドン屋並みに派手になってきて、どうかと思う人もいる。
三枝の着物の好みはさすがで、藤色と空色が派手すぎずに美しく、よく似合っていた。華やいだ衣裳の色が語りをも助け、顔色も元気に見せるものだなと感心した。