アンチクロックワイズ・ワンダーランド 公演情報 阿佐ヶ谷スパイダース「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    アンチクロックワイズ
    ひねりすぎとも言えるほど台詞と場面が何重にも折り重ねられているのが面白かった。

    ネタバレBOX

    最新作に対する批評に気を病む作家の葛河。灰色の柱がいくつも出てきて灰色の服を着た青年と女が葛河を見つめる(以下、彼らが現れるときは柱も出て来る)。赤ん坊の形をした人形らしきものを作る妻悦世と人形作りを指導している近所の医者梶原。梶原は悦世が作ろうとしている青年の人形に取りかかることを促す。赤ん坊は青年の原型のようでもある。悦世は葛河の最近の作品の出来が気になっている模様。お手伝いで葛河に気がある希緒が赤ん坊の形をしたものの仕上げ。悦世は希緒に葛河に今朝渡したものについて何か言ってないか聞く。担当編集者野口。赤ん坊の形をしたものは夕食のおかずのようだ。
    葛河は悦世が梶原から渡されたメモに出ていたネットの素人批評サイトでも自分の最新作が酷評されていることを知りショックを受ける。バーで知り合った速記者の女満智子を突き落として殺した容疑で滑川らがが事情聴取され、そのあたりから時間の番版が解けた感じ。その女は作家の大ファン。取調べをする刑事安倍と若山。禿げの若山は猫を探している。取調べを受ける野口の話も調書もだんだん変化してゆく。満智子の部屋で葛河が話す小話は、満智子が階段から落ちる白昼夢を見て思いついた後日譚。植物状態の満智子に恥ずかしめる話。満智子はその話を気に入る。葛河は彼女からも最近の作品を酷評され激高し、階段から突き落とす。最新作のなかの登場人物、たぶん、「公園に迷い込んだ素性がわからない女」が葛河の前に現れる。葛原は女と前に会ったことがある気がする。このあたりから時間と言うか因果の連結が逆流した部分を現れてきたようである。野口の携帯の電話がずれ、供述書が消えてゆくなど。安倍は、何かが入ってきた、と言う。安倍は若山にとにかく動けば何かわかると説いて2人で夜の街に出てゆく。
    女と葛河は公園に行って「革新的な時間理念を持つ青年」らしき男と会う。そこで観念的な議論。青年が女をふり払ったときに女が右膝を擦りむく。希緒が公園に来て一緒に去る葛河に青年の「今夜はもっとひどいことになるぞ」との言葉。青年が誰か見ているという。それを確かめるために青年と女は公園から出てゆく。
    野口は誰かから電話を受けて満智子が倒れているところに行く。満智子は起き上がるが頭が割れている。野口はそれを見て感動。脳がこぼれ落ちて、それを掬った手をぬぐう満智子の姿にも感動。安倍と若山が公園から作家の家に行くと、希緒が手首を切って自殺。安倍らが人形のようだと言う。輪郭がくっきりとしてきた青年と女。女の右膝の傷が悪化。若山と遭遇。女を病院に連れてゆこうとする若山に青年が鉄パイプで襲いかかる。
    満智子は梶原の病院に運ばれて植物状態。葛河が作った小話通りの展開。梶原が野口に悦世が人形を作っている動機を話す。夫のように無から世界を作り出したいと言う。(最初のほうで希緒にいてもらうのは夫のためという会話があったような)。野口は既視感を憶える。野口は梶原に人形を作っている部屋を見せてもらいそうになるが、野口が断る。(※このあたりの話の順番を忘れた)
    梶原は野口に葛河と満智子の間には何かありそうだと言う。安倍が病院にたどり着くが梶原に役割を終えていると言われて消える。
    葛河は病室で、満智子が実は妊娠していて、その子供が後になって自分の前に現れたという小話をする。それが実は満智子だと言う。満智子が植物状態になったのは自分ではなく葛河だと言う。葛河は書けなくなっている。植物状態の葛河に母親の復讐だと言う。悦世が満智子に葛河が父親だと教えた。悦世は葛原に自分はずっと傍にいたからと言う。
    病院に寝た女。それを見守る青年。離れて座る若山。葛河も現れる。青年の独白。出てきてひどいことになったと悔やむ。女の独白。あなたがたに会えたんだから出てきてよかったと言う。
    葛河が茫然としている後方にいる若山は本を手にしていて、それを葛河に渡すときに、猫はどうなったのか聞く。葛河は観念的な答えをしたような。
    朝の食卓。葛河と悦世。葛河の前には妻から渡された(若山から渡された)本が置いてある。
    最後にテーブルに座る葛河を他の登場人物が囲み、葛河が彼らを順に見ていって終了。
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    基本的な作品構造はマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(長塚圭史には同名の戯曲があるようだ)のように時間が円環をなしていること。因果律がアンチクロックワイズになっているというより円環を通じて現在が未来としての過去を変えてゆく。時間が大きな円環をなしていることによって無数の小さな円環が生じ、アンチクロクワイズな状況になる。
    「ホイヘンスの原理」で満ちた時間の環。時間の環のなかで劇自体が作中で言及される「さよふけ何とか」という小説にもなっている。このような何かと何かの重ね合わせみたいな状態は登場人物にも波及して、彼らは現実の人物であるとともに「さよふけ」のなかの登場人物でもある。青年は悦世が作ろうとしている青年の人形であるとともに「さよふけ」のなかの「革新的な時間理念を持つ青年」でもある。希緒は葛原家のお手伝いさんであるとともに、悦世が作った自殺した女の人形のようでもある、それととも「公園を訪れる女」のようにも思われるのだが(と言っても性格がかなり違う)、梶原の病院を看護婦姿で通りすぎることもある。満智子はバーで男を漁る速記女であるとともに、速記女の母でもあり、生きているとともに死んでいる。女は「さよふけ」の「公園を訪れる女」であるが悦世が作った女の人形のようでもある。「さよふけ」は葛原の作品であるとともに悦世の作品のようでもある。
    事象が波紋と波紋の重なりで存立しているという事象描像。青年と葛原の問答もこうした描像についてなされていたように思われる。
    時間の環のなかで記憶は持続せず残像のようになって消えてゆく。安部がこの点について自覚的な役割。安倍と若山は時間の環から事後にあるかのような形で環のなかに入っているので、彼らの時間性が浮揚したようになる。野口の場合は後になるにつれて「さよふけ」の記憶が残像化して既視感として現出する。若山は猫がいなくなったことの残像、あるいは「さよふけ」のなかで猫がいなくなったことのみに引っかかっている。
    悦世と梶原はこの作品のなかでの二つの固定点。彼らの記憶は変様しないし白昼夢も見ない。
    葛原は生々しい物語を作り出すのを本領とする作家だが時間の環のなかで悦世や満智子の欲望に時折転移して小話を繰り出すだけの受動的な存在として翻弄されている。
    舞台空間は抽象化されていて、セットはテーブルと椅子と、移動式の灰色の柱のみで、しばしば複数の場所が同時平行。
    音楽はシンプル。葛原の書斎では時計の音が。満智子が出てるシーンで異界的な音。
    照明は明暗・陰影を出す感じで構成。場面転換で暗転。

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    2011/01/06 13:26

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