満足度★★
不足していたものは何か
はじめての扇貝。ずいぶん小さな劇場だと驚いた。上で台車を転がす音も響いてくる。使い方に工夫がいりそうだと思った。
舞台は小さな部屋、そこにはいろんなものが置いてあるが、「置いただけ」という感じがする。
やがて一人の男が登場するが、その人物が住んでいる部屋ともあまり思えない。そこに人が生きてる感じがしないのだ。
後からの展開を思うと、「誰のものでもない部屋」を意図した演出なのかとも思うが、はっきりしない。
作品内容は1つの部屋に2人の人間があらわれ(実際は3人で2人を演じている)お互いに自分の部屋だと譲らない。それどころか2人とも同じ人間らしい、というドッペルゲンガーのような展開となっていく。
そして、「どっちが本物か確かめよう」と友人宅へ行くが、そこでも同じことが起こっている。
合計4人の人間を役者3人で入れ代わり立ち代わりめまぐるしく演じていくのだから面白くなりそうなものだが、あまりそうはならない。
客席から笑いは起こっていたが、「役者が変な顔をしたとき」のような、はっきりした場所でしか笑いは起きていなかった。
面白くなりきれなかった原因として2つほど考え付くのだが、その1つ。これは明らかなことだが、役者の技術不足があげられると思う。
特に1人2役を演じるところなどははっきりしている。
ほかの人間からは2人ではなく1人に見えているので、1人の役者が、他人から見た様子を2役で演じるが、当然これには相当の技量が必要となる。
しかし、それを有している役者がいるわけではなく、無謀な挑戦をしただけのようだった。
「AとBの演じ分けはこうする」というルールが一つ二つ見えた程度で演じ分けができているとは思えなかった。
役者たちの演技を見ていると、そこで生きている人間だとは思えない。
ほかの人間の発言・動きにより自分が反応するのではなく、きっかけの動きばかりに見える。
作品理解・演出意図の理解が十分ではないのではなかろうか。
もう1つに関しては、予測でしかなく、自信を持って言えないが、演出家が台本の解釈を間違って行っているように思える。
台本の解釈などそれぞれの自由だし、私は台本を読んでいないので憶測でしかないが、観劇中に感じていた違和感の正体はこれではないかと思った。
最初に男が登場するところで、自分の部屋のようにすぐにはふるまわず違和感を持たせるところ、最後に人が減り言葉がうつろになっていくところなど見ているとそう感じられた。
また、言葉の使い方が下手なことも観客をいらだたせる原因だっように思う。
一人が自分の部屋だと主張し、もう一人もそうする。
しかし、「もう一人」はなかなかはっきりとは言わないのだ。
現実に人間はそうはっきりと言わないものだが、言わなければ誤解を生じる場面ではっきりと言わないのは、作劇上そう見せたいだけなのだなと興ざめして乗れない。
ただ、演出の問題点に関しては、台本の時点からの問題かもしれないので、いずれ台本を探し読んでみたいと思う。