昭和元禄落語心中 公演情報 研音/梅田芸術劇場「昭和元禄落語心中」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/04/14 (月) 17:30

    座席A席1階5列31番

    価格16,500円

     新設の福岡市民ホール、こちらは大ホールでの初のミュージカル上演。中ホールの杮落としはガラパだったけれど、大ホールの客を埋められるだけの劇団は福岡にはない。結局は東京・大阪から招聘した作品でプログラムを埋めるしかないわけで、一抹の寂しさを覚える。
     MISIA、小椋佳のコンサートに続く杮落とし上演だが、演劇としてはこれが初。記念上演にふさわしい大作に仕上がっていたことをまずは喜びたい。

     戦後から高度成長期にかけての落語界を舞台とした『昭和元禄落語心中』、アニメ化、ドラマ化の次に何が来るかと思っていたら、まさかの舞台化……それも「ミュージカル化」という展開には、度肝を抜かれた原作ファンも少なくないだろう。
     実際に製作発表時のネットでのコメントを眺めてみると、原作ガチ勢からの驚きの声……というよりもはっきりと拒絶、非難の声の方が多かった。彼らにしてみれば、果たして『落語心中』の世界観を忠実に表現できるのかどうか、不安に駆られたのも当然のことだったろう。現実の落語界でも「名人」と呼ばれる現役噺家は少ないのに、誰が八雲を、助六を演じられるというのか?

     ところがそれこそ意外なことに、舞台で輝いていたのはまさしく八雲であり助六であり、みよ吉であり小夏だった。寄席が大衆の娯楽場の一番の座から転落していたあの昭和時代が、しっかりと再現されていたのだ。
     これは悪くない。いや、素直に日本発のオリジナル・ミュージカルとして後世に残るべき傑作になっていると評価して構わないと思う。企画・主演の山崎育三郎の執念が実った形だ。

    ネタバレBOX

     もちろん、不満が全くないとは言わないし言えない面もある。一番残念だったのは、原作全5巻の内容を、わずか3時間の枠の中に収めるために、多くのエピソードがカットされてしまったことだ。そのために劇中では30年ほどの時間経過の物語が綴られるのだが、それがいささか駆け足な展開で、原作未読勢にはやや置いてきぼりを食らうような気持ちにさせられたのではないかと推察する。でも原作勢だって、助六と八雲の葛藤、もう少しじっくりと描けなかったものかと残念に感じていたのだ。
     特に、本来の主人公である与太郎と小夏は殆ど脇役に追いやられ、彼らが落語復興に奔走する後半はほぼ全面カットされてしまった。二人が夫婦になる前、与太郎が助六を襲名する前で物語は終わってしまう。与太郎はまだまだチンピラだなあって感じだし、小夏もイイ女になる一歩手前で話が中断してしまった。なんだこりゃ、と思ったお客さんにはぜひ原作を読んでほしい。『落語心中』の物語はこれからが真骨頂なのだ。

     要するに舞台版は、原作の第2部での八雲と助六との葛藤の物語に焦点を当てて、他のエピソードはすっかり削ぎ落としてしまっているのだ。そうやって物語を簡略化しておきながら、物語に直接関わることのないミュージカル・シーンをこれでもかってほどに挿入してくるのだから、原作ファンにしてみれば、物足りないなんてものじゃない、画竜点睛を欠く出来と扱き下ろしたくなる気持ちも痛いほどに理解できる。

     アニメ版と比較しても、八雲(石田彰)と助六(山寺宏一)の落語を一席丸ごと聞かせてくれたのに比べると、噺のサワリを語るだけだった舞台版は、今ひとつ「落語と心中したい」という情熱には欠けているように感じられる。
     原作者の雲田はるこさんは、「この舞台をきっかけに、生の落語を聞いてみたいという人が増えてくれれば」と仰っているが、果たしてそういう人が現れるものだろうか。福岡も落語会の盛んな土地柄だが、集まってくるのはやはり昔からのファンで、新規の若い人は少ない。誘ってもだーれも来ないんだもんね。落語の魅力を訴えるほどには今回の舞台、観客の心を掴んだとは言えないのではないか。

     それでは観る価値もないんじゃないか、と言われそうだが、そうではない。ミュージカルというのは、基本、「再演」を重ねることによって、観客ともども「成長」していくものだ。『屋根の上のバイオリン弾き』だって『レ・ミゼラブル』だって、ドラマやキャラクターの描写は原作に比べると至極あっさりとしている。原作ファンはこのキャラクターはもっと深みがあるんだがなあ、出番も全然少ないし、どうしてこんなダイジェストにしちゃったんだろう? と首を傾げたことがあると思う。
     しかしこれが不思議なことに、再演、再々演を繰り返すにつれて、キャラクターの心情がより一層伝わるようになってくる。彼らが何に苦悩し、何に希望を見出し、日々を暮らしているかが如実に伝わってくるのだ。我々観客が、舞台を繰り返し観るうちに、登場人物たちの心情を補完して観るようになっていったせいだろう。

     『ミュージカル 昭和元禄落語心中』はダイジェストではある。しかし個々のシーンの瞬間瞬間の、助六の自棄、八雲の憐憫、みよ吉の慟哭は、まさしく「本物」である。今後、キャストを変え、再演を繰り返すことによって、山崎が目指した「和製オリジナル・ミュージカル」が誕生する萌芽となるのではないか。それを期待したいと思う。

     「キャストを変えて」と言ったが、今回のキャスティングに不満があるわけではない。要となるのはもちろん助六と八雲だが、動の助六に対して静の八雲、その芸もまた、豪放磊落な助六に対して軽妙洒脱な八雲と、水と油な二人を、山崎育三郎、古川雄大は見事に演じ分けている。みよ吉がどっちにより惹かれてたかって、これは簡単に答えが出せるこっちゃないね(苦笑)。
     舌を巻いたのは二人の落語。『死神』『野ざらし』『芝浜』など、一席全てを聴けなかったのは残念だが、落語指導の柳家喬太郎から相当にしごかれたのだろう。サワリの部分だけでも、二人が全くタイプの違う、しかし紛れもなく「名人」であることを感じさせる佇まいだった。
     特に古川雄大の八雲は、モデルになったことが三遊亭圓生の若き日もかくやと思わせる艶っぽさ、それでいて芯のある語り口で、このまま寄席に出てほしいと感じさせるほどであった。
     落語と言えば、子役の三人(それぞれ助六と八雲、それに小夏の幼少期)の落語ものびのびとして溌剌、まことに堂に入ったもので、『笑点』の子ども大喜利が継続してたらぜひ出演してもらいたい、いやいっそのこと、喬太郎師匠に弟子入りして、噺家の道を歩いてもらいたい、勝手にそう思ってしまったくらい、将来の芽を感じさせるものだった。

     となると、やっぱりミュージカル・シーンの多さに比して、落語のシーンが短すぎるのが逆にすべきじゃないか、と思ってしまうのである。戦後の風俗を表すためにって、ロックのシーンなんか入れる必要があったのだろうかと思うのだが、全編通して一番観客にドッと受けたのが、先代八雲を演じた中村梅雀の「三味線ロック」だったのだから、文句をつけるだけ野暮、ってことになっちゃうのである。

    https://youtu.be/awicpPWcfGU?si=d-QmQpAM_8D5nHLz

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    2025/04/17 19:01

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