吉祥寺まちなかリーディング 岸田國士selection 公演情報 公益財団法人武蔵野文化事業団 吉祥寺シアター「吉祥寺まちなかリーディング 岸田國士selection」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    はじめて行ったマジェルカはとても素敵な場所だった。

    入り口も素敵なら、中も素敵。でも、来月閉店するという。

    そんな場所だった。

    僕はマジェルカからはちょっとだけ離れたキチムでの初演もみたが、いっぽうでずいぶん人の少ないレアなこの公演は僕にとってはとても雰囲気の違ったものに見えた。

    それは自分が都現美の坂本龍一展から直で行ったというのでもあるのかも知れない。

    岸田國士のこの戯曲はとりわけ素敵だ。

    他の昭和初期の映画的な山の手とか井の頭線沿線(この時期の演劇は住宅開発などでの宣伝も含んだものも多いのかも知れない)での夫婦間の軽妙で小気味よい良い掛け合いの演劇とは少し違うというのもあるのかも知れない。

    他の演劇なら、この女優は田中絹代で、男優は誰とか、自分なりに思い浮かべながら考えられるが、この戯曲は少し違う。

    コミカルなようでいて夢のような、そして愛のある舞台である。今回のまちなかに夢のようにあり、そしてもうすぐ夢のように消える愛のある場所でのがじら公演は僕にそのことを強く印象づけさせてくれた。

    都現美での坂本龍一展で、夢十夜のテクストをもとにした映像があった。有名なテキストである、女の『百年待っていてください』というものである。僕は岸田國士のこの戯曲が夢十夜なのではないかと今回はじめて気づいた。

    ネタバレBOX

    ふたりの出逢いは偶然である。

    暗闇のなか。鉄道に身を投げこの世から去らんとする男ふたり。

    一人は女に先立たれた若者である。もう一人は十も年の離れた醜く火傷で焼けただれた男である。ふたりは死の間際で噛み合わないやりとりやマウントを取り合いながら、やがて生きていく気力を取り戻し始める。

    もし神がいるのなら、と戯曲を書いたものは囁いている…ように僕には感じられる。

    もし神様がいるのなら、悩むものの前に直接現れはしないだろう。

    ただ、他のものを神の依代にして、悩むものに語りかけるのかも知れない。この戯曲ではふたりの悩める男たちがお互いにそれぞれそうである、というように見える。

    中年男は死んだ少女の写真を見ながら青年に語りかける。なるほど、これほどの女性なら、君が死を選ぶのももっともだ。今すぐ死んでこの女に会いたいと考えるのは自然である。でも、年長者の意見に耳を傾けてもみたまえ。君の人生の春はこれからではないか、役者としての芝居を恋人だと思っても良い、そもそも死んだ子に遭いたいからとすぐに死んでしまうような甲斐性のない男を、神さまは少女に出逢わせてくれるだろうか?むしろ逆では?未来永劫逢えないかもしれない、自分に与えられた役割を果たせば、いつかきっと少女と出会えるだろう、とか言いながらお互いに何度も自殺しようとして死に損なう、そのうちに二人とも死ぬのが先でも良くなる。

    この出逢いが神さまの手によるのだとしたら。

    若者は言う。少女は自分と売れっ子女優の仲を恋愛と勘違いしたのだと。それは…本当だろうか?それは自惚れかもしれない。少女は中年男と同じことをいったのかも知れない。それはよくあることだ。少女は女優といたほうが自分といるより若者の芸が大成するのかも知れないと思い、あえて身を引いたのかも知れない。それを若者がモテすぎる自分のせいだと悲観したのかも知れない。

    もちろん現実は逆のことが多い。そういえば自分も昔、保護猫の片目の子猫の女の子がとても欲しくて、でも片目だったので慣れてる人じゃないと、と言われて断られ、でも諦めきれずに引き取り手が出るまでその子猫によく遊びに行った事があった。その子は見た目は不細工だと皆が言ったが、僕は片目のせいか遠近感がなく、おもちゃを出してもなかなか遊びきれないのに、あまり遊んでもらったことがなかったのか凄く必死に食らいついてくる様子が可愛くて仕方がなかった。ところが、なんか、とある人間の女の子のほうがその、野良からようやく生還(カラスに襲撃されてボロボロだったところから生還したらしい涙)して不安で一杯なはずの猫の子を不細工不細工といじめていた、というのを別の人から聞いた。なんか、僕があんまり猫の子を可愛がりすぎたかららしいが、その人間の女の子は普通のアイドルとか女優より可愛いくらいの女の子なのに、人間じゃなくて猫に嫉妬?とは意味わからんと思い、人間ってわからないな、という気がした。なんかそこまでいじめてはいなかったらしいけど、ちょっと自分は良くないな、と思った。その人間の子は当時19(当時は自分も若かったので変態ではない)だったから、たぶん若者の言う少女もそのくらいだったろうから、普通はそんなものなのかも知れないので、若者の自分モテすぎ説は現実的かもしれないが、そこはあえてそうではないと思いたい、ということをここではあえて言いたい(苦笑。こいつ夢見過ぎだよな、で終わりではなく、あくまで美しい作品世界のなかでの話なのだから。あれ、今気づいたけどさっきのエピソードいれないほうがよかった?

    芸を磨いて、家族に囲まれ、少女がいなかったから一生寂しい人生を送ったというのではなく、美しくて人を救う台詞を芝居のなかで紡いでほしい、好きな女性を愛情という名前の鎖から永久に解き放とうと叫んで自らの身を列車に投げださんとする男の心に楔を打って、この世に踏みとどませられらくらいの。

    いつかこの世での仕事が全て済んだなら、百年後に百合の花のように墓に咲いて私はあなたに会いにゆきたい。それは本当に、白百合のような女の子だったのだろうか。とかな。

    僕も百合が好きで、今年もいくつも植えている。百年後に咲く百合とは違うだろうが。

    続く

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    2025/03/30 11:49

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