実演鑑賞
満足度★★★★
テーマを深く抉った上質な作品をこう飛ばしている名取事務所の観劇頻度が上がって来るのもむべなる哉。
内藤裕子は「灯に佇む」「カタブイ、1970」「カタブイ、1995」に続いての名取事務所への書下ろしで、今作も流石だなと感服した。
作者は今、法律の条文を人(日本人)の耳に鳴らせたいのだな、と思う。特に、理念法(憲法や、各法律の目的の項=立法目的としての理念が書き込まれている事が多い)、「カタブイ」続編の方ではその条文(確か日米地位協定等もあった)を読む場面が幾つもあり、些か固いテキストとなっていた。私たちの生活が「法律に規定されている」厳然たる事実は、とりわけ沖縄では(法そのものの是非も含めて)切実であるが、その事を本土人が軽視してはならない。それには法律が「私たちを取り囲んでいるもの」、日常と地続きにある感覚で捉えなければ・・と、勝手な推測ではあるが、作者は今その思いを強く持って居る、そう思った。
これを経ての今作「淵に沈む」でも開幕後、簡易ベッドに横たわった青年がうなされるように憲法の条文(前文)を音読(暗誦)しており、夜だったのだろう、周囲から「うるさい!」「静にしろ」と罵声を浴びる。場所は牢屋に見えたが、実は精神病棟の一室であった。
精神を病む彼のそれ(独語)は「症状」であった事が後に分かるが、冒頭のインパクトを狙ったかの出だしに私は構えてしまった。「本当は大事な条文なのに軽視されている」、だから今一度ここで(彼に語らせるという形で)読ませて頂く・・的な、直接的な関連はないけれど広く捉えれば全て憲法問題とも言える正当性でもって「条文のアナウンス」が敢行されている、と警戒したのである(別に警戒せんでよろし、との意見もあろうけれど)。
私たちが怖れをもって想像する「収容所」に等しい精神病棟は、あの恐ろしげな冒頭場面で象徴的に表現され、不可欠なシーンだったかも知れないが、結論的には、「法律を勉強していた」彼が独語で呟く(又は叫ぶ)のは憲法条文でなくても良く、であればメッセージ性の強い、かつ定型のそれでなく、少し捻りの効いたチョイスがあって良かったか、とは思った。
さて物語は温かみのある話であり、精神病棟の鋭利な刃のような酷薄な現実の中で、安全圏(ドラマを見る者にとっての、でもある)を確保しようとするものだった。その証拠に、体制に組み込まれ、正しい判断と行動が出来なかった事を悔いる者を含めた「良い人達」に対し、病院の体制側を代表する存在は院長一人である。この一人の「悪役」も倒しがたい状況に、精神疾患を20年の間に寛解させた青年のささやかな「施設外での」人生の再出発を支えようとする四名の姿がラストに揃い、危うい現実の中で人を支え、支えられる人と人の関係とコミュニティこそ、まずは答えなのである、と終幕のシーンが語るのを聴く(私の捉え方だが)。
精神病棟の現実を告発したルポは既に1970、80年代にあり、障害福祉のあり方も変遷を辿ったが、私もよくは知らないが、知的障害について言えば、強度の障害は家族との同居が難しく施設を頼るケースが少なくない。施設建設が趨勢だった1970年代を過ぎると、施設から地域へ、となったのは確かで(海外からそうした潮流が輸入された所もあり、厚労省のそういう部分での功績は認める所だ)、介護業界も保育業界もそうだが、今は人材育成もさる事ながら障害福祉でも平均年収より100万以上低いと言われる分野だ。医療の方も構造的な改革が進んでいるが厳しい状況に追い込まれている医療機関は多いと聞く。そんな中でこの劇のような精神病院(精神科のみの単科病院)が何十年間、ヘタをすれば死ぬまでの長期入院を病院側が進めようとする事が起きるとすれば、悲劇だ(通常の病院が3ヶ月で患者を退院させたがるのと精神科がどう異なるのか知らないが)。長期化により「諦め」が心に住み、生活習慣がそれに合わせて変わる。医師や病院の「やってる感」のための服薬や治療行為が行なわれてしまう。
古くは「カッコーの巣の上で」が描いた精神病院の無残な現実が思い出される。行きがかり上収容される羽目になったとある男(はみ出し者)が、図らずも病院内にもたらした自由と解放の日々(それは最も的確な治療でもあったと観客には見える)と、病院に都合の良い管理法とそれを裏付ける旧い知見への揺り戻し、挙げ句は男自身が電気ショック療法などで「精神病者にさせられて行く」様は強烈であった。
障害者という弱者は常に「軽視」されるのであり、軽視する正当性を健常者は手にしており、彼らを縛る大義名分があり、彼らの同意が医師らの得になる訳でもない(彼らの不同意は医師らの不都合にはならない)。非対称な関係が力の一方的な行使を許し、都合よく支配し・される関係が成り立つ。
院長役の田代隆秀は「灯に佇む」で良き医師を好演して記憶に残った俳優、以後内藤作品で見る事が多いが、今作も悪い医師役を好演。同じく常連の鬼頭典子女史も良き女医を変わらず好演、センシティブな患者役に西山聖了、MSD役の歌川貴賀志、他の役者たちもハマって半ば「地でやってる」かのように見えた。