血の婚礼 公演情報 劇団俳小「血の婚礼」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    俳小の海外戯曲上演を観始めた最初が「群盗」。d倉庫で躍動の舞台に大満足した。この舞台の演出も菊池准氏であったとパンフに。
    新劇系の俳優の客演を入れつつ公演を打つ俳小は、今回も主要な役レオナルド他に客演を配していた。さてその出来は・・
    まず上田亨氏が音楽(+演奏)と見て「あ」と思う。この方は舞台を音楽で染め上げてしまう事があるのだが、今回は大変良かった。挿入歌・踊りは多用されていたが、しつこくならない線(歌い方、振付には多少注文を付けたくはなったが、収まりづらく感じた理由は恐らく駅前の難点=天井が低く俯瞰の光景が見せにくい点等が影響した感)。開幕を知らせるように音楽が鳴ると、フラメンコ・ギターの音色、これをキーボードで演奏していて驚いたが、曲もギター演奏仕様の楽譜で全く違和感がなかった。

    さて「血の婚礼」は、自分の中で別格な作品。十数年前松田正隆氏の晦渋な演出で観たのが最初で、後は新国立研修所公演(よく演じていた)、前に無名塾で観た同作者の「ベルナルダ・アルバの家」がむしろ同じ世界観を体現していて、印象が重なっている。だがもっと遡るとカルロス・サウラ監督のスペイン映画でこの世界観の洗礼を受けた事を思い出す(同監督は「血の婚礼」も撮っているが私が観たのは別)。
    婚礼の日に花嫁が奪われ、その夜が血の夜となった。・・「血の婚礼」の筋書きは言えばそれだけだ。主人公となる花嫁の、結婚に対する両端に引き裂かれる感情、その葛藤のグラデーションの心情が、人の根源的欲求の「ある顕われ方」として生起する。ある時は花婿に「ずっとそばにいて」と求め抱擁する行為に、ある時は花婿を遠ざける行為に・・。茫漠として不可解な精神の深淵を想像する事を促される・・自分にとって本作はそういう作品である。
    この花嫁の生まれ育ちも、村人の間で囁かれる場面があり、一方の横恋慕の男も家系(血)の噂がある。そして新郎である息子を殺される事となる母も、自分の夫と息子(兄)を殺された過去を血の仕業(宿命)として語る。花嫁のみならず相手の男の説明不能な欲動も、彼の妻の目を通して炙り出される。この妻も婚礼の日を心穏やかならぬ思いで過ごしている一人。何かと彼女を遠ざける夫に、彼女はついに(愛の不在に関わらず)「あなたといる人生しか私にはない」と悲壮な決意で迫り、男は呪われた運命であるかのように頭を垂れ、それを受け入れるかに見える。(一幕の終盤に見せるこの場面で私の周囲の女性客たちは涙を拭っていた。血が巻き起こす不条理の中に一抹の人間の理性の確かさを見てわずかに救われる瞬間。劇中最も胸が熱くなる場面だった。)
    だが戯曲の基調である不穏な空気は消えない。二人の姿を見ればつかの間の安堵があるが、二人が離れる度に「見えない何か」への不安がもたげる。不可解さゆえの不安。
    その意味で、演技的には、台詞に表れない(いや台詞のみならずアクションとしての「演技」にも表れない)要素が、つまりは役者がまとう佇まい、容姿、存在から滲み出るものが表現を大きく左右する。努力では迫り切れない領域がある、と言おうか。。
    俳小の本舞台は鋭く迫る場面を生み出していたが、トータルとしてはやはり「随分難しい作品に挑んだな」という感想が最初に来る。
    芝居に「完成」は無いと言うが、創造的模索の道程を見た感である。作品をじっくりと眺めながら、様々な考えを生起させ、二時間ニ十分の道程を歩き切った疲労と共に帰路についた。夜はよく眠れた。

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    2025/03/08 17:20

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