いきなりベッドシーン(キビるスペシャル) 公演情報 柿喰う客「いきなりベッドシーン(キビるスペシャル)」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2025/02/28 (金) 17:30

    座席1階2列3番

    価格2,800円

    コロナ禍は福岡の小劇場シーンにも壊滅的な影響を与えた。今や、福岡で十年以上のキャリアのある劇団は数えるほどしかない。演劇祭の類も、この「キビるフェス」くらいのもので、一応は全国から小劇場を招聘してはいるが、たった3団体というお寒い限りである。
     そのトップバッターを飾るのは、定期的に来福してくださっている東京の劇団「柿喰う客」の『いきなりベッドシーン』。作・演出は主宰の中屋敷法仁で、七味まゆ味の一人芝居。時間は50分と、ごく短い。
     内容は清水(きよみず)の舞台から投身自殺した女子高生の「走馬灯」である。「ワシヅカミさん」という名の彼女が飛び降りた動機はまあ、フクザツな過程を辿っているので簡単に説明はしかねるが、要するにクラス内での集団によるイジメが原因だ。ワシヅカミさんは、いかにも楽しげに、自分が受けたイジメの数々を滔々と語るのだが、決して聞いていて楽しいものではない。これでもかと繰り出されるイジメの手口は、それ自体が全編ブラック・ジョークの塊と言ってもいいもので、イジメというよりも拷問に近く、ひたすら痛々しい。ワシヅカミさんが笑って説明するから、つい錯覚してしまいそうになるが、正直、ギャグだと思って素直に笑っては見ていられないのだ。
     知り合いや身内に、あるいは本人がイジメに遭った経験がある人の場合、とてもじゃないが、どうにもいたたまれない気分にさせられてしまうのではなかろうか。学校でのイジメが社会問題となって久しいが、その有効な解決策は未だに誰も見出せないでいる。ワシヅカミさんのように、イジメが誰にも気づかれずに蔓延している例も、決して少なくはないのだろう。
     さあ、「あなた」はこんなイジメの現場に遭遇したら、どんな態度を取るだろう? ワシヅカミさんを何とか助けようとするか、それとも見て見ぬふりをするか。実際にイジメに遭った経験のある人は、その時のことを、思い出してみたらいかがか。「あの時」、自分は正しく対処できたのか。どう対処するのが正しい行動だったのか。
     答えは風に吹かれてるんだろう。

    ネタバレBOX

     少しだけ劇中で紹介されてるイジメの例を挙げるなら、トイレに閉じ込められて、上から水をぶっかけられる、なんてのは序の口である。他のはねえ、ちょっとここに書くのは憚られるくらい凄惨なものなので、人間がここまでできるんだなあと冷や汗をかくくらい。肉体的な、あるいは精神的なイジメが、これでもかってくらいに繰り返されるのだ。
     うん、思い出すよ、あれもされたよ、それもされたよ、でもあの時に親も先生も友人も、誰も助けてはくれなかった。

     どうしてそんな酷いイジメに遭ったのかって、きっかけは主人公のワシヅカミさんがカッコいいセンパイに告ったことである。よくある話。でもイジメがエスカレートしていくのはもうきっかけとか理由とか、どうでもよくなっていくのが常だ。イジメがともすれば人を自死に追い込むのは、その手口が凄惨だからだけではない。被害者を絶対的な「孤独」に追い込むからだ。もうワシヅカミさんの味方、どんどん誰もいなくなっていくのね。彼女へのイジメに加担しなかったら、自分が村八分に遭うから、そりゃ「加害者」側に付くよ、みんな。
     でも、散々悲惨な目に遭いながら、ワシヅカミさんは決してめげない。むしろポジティブに自身の境遇を受け入れ、イジメられるのを楽しむようになる。
     そんなことあり得るの?って思う人もいるかもしれないが、これも加害者に被害者が寄り添うようになる、ストックホルム症候群の一種であろう。
     けれども、歓喜に覆われながら、彼女の精神は次第に、確実にカタストロフィに向かって崩壊していくのだ。

     ワシヅカミさんは、もともと劇場型で自己顕示欲の強い、自意識過剰なキャラクターだったのだが、次第にイジメを受けることに快感を覚えるようになる。ついには「イジメられたあまり、自傷行為に走ることに喜びを覚える」変態になっていく。彼女は、自己の狂気に陶酔しながら、投身自殺をするに相応しい「自分」に、自分を高揚させていく。「死のうとする自分はカッコいい」という倒錯した快楽に浸っているのだ。

     何とか、彼女が救われる手段はないものかと思う。破滅が見えているだけに、誰かが彼女を助けてはくれないかと願いたくなる。しかし彼女は徹頭徹尾「孤独」なのだ。彼女が「心の友」と呼ぶ同級生の少女も、イジメの一員であることに彼女は気づいている。
     そんな彼女の前に「清水の舞台」が出現したなら、どうして飛び降りずにいられるだろうか? 彼女は逃れられぬ「運命」に誘われて谷底に身を投げたのだ。彼女を救う手段は、初めから全く無かったのだ。

     救われぬ魂を延々と見せつけられる観客はたまったものではない。彼女の顛末を見つめる我々は、彼女の受けるイジメを傍観していた「無自覚な加害者」である。彼女の素っ頓狂な暴れっぷりに笑いを誘われつつも居たたまれなくなるのは、やはり我々観客がいつの間にか加害者の立場に立たされていることに気づかされるからだろう。
     全く、意地の悪い脚本だけれど、これを二十代前半で書いたっていう、中屋敷法仁とはどういう人なのだろう。安易な希望とか夢とか、そんなものを一切信じてないことは間違いなさそうだが。

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    2025/03/04 04:56

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