幸子というんだほんとはね 公演情報 はえぎわ「幸子というんだほんとはね」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    下北沢演劇祭の本拠劇場らしい本多劇場でのはえぎわの公演。このノゾエ征爾主宰の劇団も25周年だという。舞台も、本多劇場の裸舞台から、劇場紹介のツアーが始まるという発端で始まる。劇場から町へ、さらにそこに生きる人々のスケッチへと進み、今貴方は幸せですかという問いへ。今この演劇祭を開催している人と時代を生き生きと見せてしまう。ノゾエ征爾にこのような洒落た趣向があるとは思っていなかったが、ノゾエも50才、どんな趣向のドラマもやってきたし、その中で自分の領域をしっかり確保してきた人だけにいかにも周年イベントにふさわしい出来になった。
    見ていて、随分昔になるが、この劇場が出来たばかりの頃、ここで夢の遊民社が上演した「小指の思い出」を思い出した。1983年。まもなく五十年になる。小指の思い出のラスト、魔女として捉えられ焚刑に処せられる粕羽聖子のもとにあつまった「妄想の少年」の子供たちに野田の演じる聖子は火刑台の上からいう。「あなた方はやがて、この世界を蘇らせる。あなた方の走る先に新たな妄想の子供たちが待っている!」
    野田からノゾエへの距離は今では遠い。かつての社会劇とははっきり一線を画し、いわゆわゆるドキュドラとも、インタビュードラマとも違う新しいタッチで、今演劇祭を開催している人と時代を生き生きと見せてしまう。分断と差別の中に生きる町に住む人と家族たちのスケッチがもう少し整理さていれば快調だっただろうが、次々と、イラストレーターが舞台に持ち出された白いカンバスに背景を描き続けていく中で進んでいく。ノゾエ征爾にこのような洒落た趣向があるとは思っていなかった年の功だ。周年イベントにふさわしい作品を担える存在になった。蓬莱と並んで中核と言えるかも知れない。
    野田からノゾエへの距離は今では遠いと思われているが、それほどのこともないのではないか、人間が手作りする演劇の歩みは早くはない。幸子という現代の妄想に作者が、幸せの種はそこここにあると説く(主演。高田聖子)、この演劇祭に託した時代への思いは、このドラマにあるように親子が手を離せなくなるようなものであろう。1時間55分。本多を埋め切るまでにはならなかったがノゾエとしてはまとまりもいい舞台になった。

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    2025/02/28 23:54

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