ボンゴレロッソ 2025 公演情報 A.R.P「ボンゴレロッソ 2025」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    2度目のA.R.P.は前回と打って変わった物語のテイスト、絵柄(出演陣)。興味深く拝見。

    ネタバレBOX

    タイトルに「2025」とあるし過去作の再演なら劇団の特徴を表す作品かな、と想像逞しく劇場へ赴いたが、女性ばかりの元JKの同窓会のお話。語り手である二十歳そこそこの店員が三十歳になる店長が今日まさに同窓会を開こうとしている事を紹介。18年前憧れの教師(当時25歳位?)に告って交わした約束「30歳になってまだ自分を好きだったら結婚してやる」を実現するイベントとしてこの会を持とうとしており、舞台はその会場となる自分が店長をしているイタリアンレストラン。この設定が二人の会話で説明され、いよいよ同窓生が集うのだが、暗転の都度2,3人ずつ舞台上に現われ、近況報告がてら人物紹介、何度も暗転があって結局(主人公を除いた来訪者)12人が舞台上にひしめく。この人数の多さにまず笑ってしまう。
    中心的なストーリーは、入院して来られなくなった先生のために、当時情熱をかけた文化祭でのパフォーマンスを再現する(バンド&ダンス)というもの。そこに立ち塞がるのが、メインボーカルだった優等生(同窓会の音頭も取った)の失踪(劇中では早々に仄めかされる)。その発覚が発表当日である(先生には配信で届ける段取り)。その背景である一人の元JKの高校時代から現在までの半生に分け入る事で、皆が空白の時間を共有する按配である。
    さてこの劇では個人的に追求に値するテーマと考えている「音楽との融合」(音楽も演技もライブ)への挑戦があった点で心踊るものがあった。文化祭で披露したブルーハーツのある曲が最後に演奏される事は読める展開ながら、次第に焦点化されるその場面がついに到来し、ギター、ベースにはアンプを通して実際に演奏を披露する事となる。曲の中盤からダンスも加わり(演奏チームとダンスチームが人数的にほぼ半々)、「文化祭」の再現はドキュメントな要素を帯びる。(私的にはもっと生々しさ=ドキュメント性を濃く味わいたかったが、これは冒険である。)
    演奏技術の巧拙はともかく(曲の情感を伝えるレベルではあった)、この挑戦には好感であった。
    かしましい女子芝居、の範疇ではあったが、このサイズの芝居でこの人数(!)を巧く舞台上に配し、成立させていた。

    願わくはこの作劇の着想の部分「18年前の教師と生徒の口約束」を本気にして今その時を迎えようとする女子、という「夢見がちな少女」キャラが夢潰えた時にどう変化するかも、人間ドラマとしては描いてほしかった。「ズベ公」とディスられ、反省する、という笑いオチになっていたが、彼女の「夢」が何か別の事情を回避するためにかこつけた代償であったとしたら、向き合わない不誠実、昔の恋を引っ張り出して来た(長い手紙を教師に送った)迷惑を「反省」、という事はあり得るだろうけれど、夢見る事は(子供っぽいと突っ込まれようと)全く悪くない。
    また生意気な語り手が最初に「本当の主人公はこのズベ公の店長ではなく、こっち(失踪した女性)」と紹介した深刻な方の人物は、文化祭で彼女にこの歌を歌わせる事に先生がこだわった理由であった曲の歌詞(仮面を付けて生きる苦しさから解放されよと促す)を18年越しに受け止めたが、その場で笑顔になるハッピーエンドよりは、各人が三十路にあっても感じる人生の哀感と共に共有する、といったラスト、そこからの踊り!・・と行きたかった。単なる好みと言われればそれまでだが・・。

    余談。当日パンフの写真付きリストの名前(+役名)が読めず、拡大コピーして役と顔の照合を試みたのが三日後だったが、全く思い出せず、役者名が上で役名が下、とは出演情報を参照して分かった(家永氏=加藤役、とは辛うじて思い出した...加藤加藤と連呼してたし)。特に店長役と優等生役、店員役、先生の今カノの名前は判りたかったが、この四人が全く分からない(役名も思い出せず、写真を見ても特定できない)。これがちと淋しい。役の「姓名」より役柄が書いてあると有難かったな(まァ写真を上げてるだけ親切ではあるが・・)
    →画像検索してどうにか、中冨杏子=優等生役(とすれば、愛子=真の主人公)、中川ミコ=店長役(とすれば、あおい=表向きの主人公)らしいと絞り込めた。重石邑菜は生意気な店員役(とすれば、ひなた=語り手)かも。ちょっとスッキリ。

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    2025/02/22 08:51

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