楽屋 ~流れ去るものはやがてなつかしき〜 公演情報 ルサンチカ「楽屋 ~流れ去るものはやがてなつかしき〜」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/02/19 (水) 19:30

    最初、なぜ『楽屋』をやるのかよくわからなかった。

    だけど実際に舞台を観てみたら非常によくわかった。わりとメジャーな脚本と言う印象だけど、個性と歴史観と女優の魅力が非常によく出る舞台だった。

    ちなみに、いつも思うのだけど、近代演劇とは果たしてモダニズムなのだろうか?とれともプリミティブなのか?

    …それは日本では、戦前と戦後と言ってもいいのかもしれない。戦前と言っても、昭和14年ころを境に全く違う。それまではジャズなどアメリカ文化が盛んだった華やかな時代、それ以降は戦中。戦後はナショナリズムのモダニズムの夢敗れた自由な時代。つまりプリミティブ。

    日本は戦争の前後で割と自由な時代を二回経験した。その自由な数十年間は、なんだか個人的には日本の文化のなかでは宝のような期間で、その豊穣の時代があったから日本の文化的豊かさがあったんじゃないかな、とも思う、今はないけど。


    その合わせ鏡のような自由を映しながら二人の女優が舞う。髪型も似ていてお互いをディスりあうが、観客として見るなら正直、そこまで違うのかな、とも思う。それが原作者の意図なのかは知らないが、舞台の上で観測するなら極めて近似した二人の女優である。違うのは二人の年だけ。ただ戦前は豊かだったためか少しアメリカ的、戦後は同じく戦争でめちゃくちゃになって貧しかったフランス的のようにも映る。それは感情移入なのかは知らないが。映画という分野で言うなら逆かもしれないが、演劇という分野では少なくともそうだっと自分には見える。貧しくて自由な時代は、人目を憚らずに内省的になれるから、貴重である。それはあるいは政治家が内省的になるからかもしれない。…そんなことを、まさに不景気で内省的だっ90年〜00代に父親が総理大臣をしていた高校の同級生のことを考えながら思う。なんだかそんな感じだ、と。ただ、そうした雰囲気も舞台上では女優の色によって自由に演出され、そういう意味では歴史的でありながら余白に演出家や俳優の色がにじみ出る非常によくできた脚本と言っても良いのかもしれない。

    モダニズムとプリミティブを感じるのは女優の元々の印象ゆえか。

    ここにアニメの影響の強かった原作の時代以降の80年代〜の影響が見れなかったのは少し淋しいかもしれない。あるいはここが演出家の腕の見せどころだったのかもしれないと舞台を観ながらふと思う。

    (ネタバレに続く)

    ネタバレBOX

    精神病院か墓場から抜け出たような女優が出現するが、これは1900年代近辺の芸術作品によく出る類型と言っても良い。その時代は多くの作品で精神病者をネタ元にした。ただし当時の芸術作品は精神分析のいまの進歩に及んでいない気がする。そもそも表現形態からして相性が悪いように自分には見える。多少は道化の要素を含み、当時だから許された類型の一つとして現在では慎重に扱ったほうが良い型のような気もする。そもそも現代には文学の歴史を知らない人も多いから、注意が必要かも。

    ちなみに舞台上の鏡はその精神病のメタファーである、と言い切れるように思う。

    ここでようやく、ここに出る役者たちはひょっとしたら一人の女優のプリズムのような内面の多面性を表してるのかもな、とも思う。
    語弊があるとあれだけど、精神病によって女性性を表現しようとしていると言っても良いように思う。この女性の多面性は、内面の多様性であるとともに観客に向ける女優の多面性でもある。気のせいかこの多面性が豊かなほど女優として優れていると見なされることが多い気がする。これは男優と違うところだと思う。

    ここで舞台上の女優たちの視線が気になってくる。そういえば始まったときから、ずっと客席をみていた。鏡越しでも、直接でも。

    男性と女性の多面性は違うと思う。

    男性は垂直的というか、権力に対しては嘘を振り撒き、横では密談し、下には隠して蹴り飛ばす。そういう多面性。僕は今までそういう虚言癖の人間の屑を役所で嫌と言うほどよく見てきた。女性も多少はあるかもしれないが、どちらかと言うと360度に対して合わせ鏡のように相手の夢を映し出せることを至高の喜びと思ってるのではないかと思ったりもする、僕はだけど。

    女優たちは観客を夢見ている。

    それが病なのかは知らないが、渇望しているのが観客からはわかる。鏡は女優の観客の視線を増殖させる良い装置でもある。観客の渇望を病的と言うならば悲しすぎるから、喜劇であると同時に悲劇。

    最後にラフマニノフとかではなくバッハにしたのが一種の答えなのかもしれない。

    ラフマニノフは分析的で重層的で無比。多くの作曲家に影響を与えたが近づくものはいない。バッハは川の流れのようで神聖。オルガンといえばバッハ。

    楽屋を読むにはラフマニノフかな、と思ったらバッハ。今まで夢見て乾いたまま死んだ魂へのレクイエムだからバッハなのか。

    途中から狂おしいくらいの悲しみが、戯曲を蘇らせてくれて良いなと思う。

    もうちょっと書き足します

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    2025/02/19 22:11

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