実演鑑賞
満足度★★★★
女性の芸術家を主人公にし、彼女たちの視点から社会や世界を見ていく「天井を打ち破ろうとする女シリーズ」の第一作。今作は日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を取り上げている。観る前は彼女の評伝劇、それも生涯を描くものと思っていたが、1959(昭和34)年12月(55歳)までの半生で幕が下りる。そこまでに描きたいテーマが鮮明になり、それ以上描くとかえって暈けるといった際どいところまで攻めている。
どんな社会や業界でも 男女の別に関わらず先駆者は苦悩・苦労そして柵(シガラミ)や軋轢等と闘わなければならないだろう。本作では、その人間的な側面と時代という側面ー戦時という背景を巧みに繋ぎ 重層的に描き、同時に一筋縄ではいかない問題提起をしている。単に女性映画監督第一号の坂根田鶴子という一人の女性の生き様以上の問題を投げかける。
本作は 映画的にいえば、彼女の人生を投影することによって、その映像の奥には多くの女性の姿が映っているのではなかろうか。例えば 劇中における映画撮影所、そこでは日本社会で固定化された根深いジェンダー役割が次々に表れる。演劇における個人史と虚構をどう調整するか難しいところ、それを半生に止め 本来のテーマで纏めた手腕は見事。そして、満映時代を映画で言う<光>と<影>にして鮮やかに描き出した。
少しネタバレするが、物語は1959年12月に始まり同年へ回帰する、全14場で紡がれる。勿論、映画監督になりたい確固たる意志、同時に満州映画協会(満映)では、後進の育成等 映画界の環境整備に尽くすという観点も描く。そこに現代にも通じるジェンダー平等といった広がりを感じた。少し気になるのは、満映で撮影していたのは文化映画。単に映画が撮りたいという職業映画人ではなく、溝口健二監督の下でキャリアを積んだのは芸術家としての映画監督、それゆえ文化映画に劇映画の要素を加えるという発想へ。あたり前の意識・行動であるが、何となく「女性のパイオニアが男社会の壁をどう打ち破ろうとしたのか」から離れ、あくまで自分が こう撮りたいという欲望が前面に出過ぎたような印象が…。そのリアルの誇張が、後々 彼女を苦しめることになる。
(上演時間2時間15分 休憩なし)