実演鑑賞
満足度★★★
二十歳代に来日してそのままこの国に定住して三十年、日本語堪能のドイツ人の演劇人による問題劇である。さきに詩森ろばによる性行為のハラスメントが問題とされた劇を見たが、こちらは広く日本に拡がる生存権、表現の自由と権利、国家権力を問題にしている。
問題は。福井県の職業高校で起きた演劇部への差別事件である。全県の高校が参加する演劇祭の作品を地域のケーブルテレビが中継放送した。しかし、この職業高校の作品だけ、県の原子力発電所の是非を扱っているため放送しなかった。これは表現の自由に関する侵害ではないか。また職業高校に対する差別ではないか。
この高校の演劇部を指導してきた地元の教師や指導者は異議を唱えた。しかし、同じ高校の教職員からもも、同意が得られず、県の教育委員会も同意しなかった。さらに、全国組織でも、教員組織のみならず、劇作家協会や演出者協会に訴えても、支持は得られなかった。みな、あれこれの理由をつけて(ここはいかにもありそうなことで笑ってしまうが、もちろん舞台では笑い事ではありません!と正論である)。福井県が、全国4位の原発受け入れ県で、一方でははかばかしい産業もないという現況を背景にしての職業高校の持つ周囲への配慮である。しかし正論を言えば、これは憲法違反である、とてもこんな生き苦しい国には住めない。生存権の問題だと、ドイツに亡命しようと、ドイツ大使館に亡命させてくれと訴え出る。ここからドラマが始まるわけで、ドイツ大使館も在日本大使館だから、窓口は責任者「代理」として日本人を雇っていて対応する。奇妙な亡命申し出に大使館も辟易して、対応時間を決める。問題は次第に矮小化して肝心の問題はどこかへ行ってしまう。
問題素材提示劇である。
まぁ、よくあることだが、現代の日本人はこういう問題の処理と解決はあまり上手くない。そこをこの「問題提起素材劇」は面白く展開して2時間、飽きさせないが、そこでどうなるというものでもない。しかし、この課題をいろいろ考え話し合ったりするのは今後の役には立つだろう。現代版のブレヒト劇である。一つのジャンルにはなるだろう。
このドラマの感想となると、内容は、国を超えて理解することは出来るが、共感は作りにくい。ということだろうか。ドイツでも同じような問題は難民問題で起きている、どのような国でも、人間が作る社会があれば対立する問題は起きる。ドイツを諦めてカナダで亡命希望しても結局亡命者として受け入れないだろう。それならカナダは自由の国ではないというのか?。結論が諸般の事情で出せないことはある。それをなんとかやりくりして過ごすのは社会の必然で、この国には、無理矢理解決を図って身の程知らずの戦争で国民の命も財産を大いに失った経験がある、どこで妥協点を見つけるかで、その方法は一つづつ考えていくしかない。
亡命で解決するというのは劇の脚本の面白さである。現実の問題解決になるためには劇の現実化への可能性がなければならない。いい妥協点が見つかればドラマの効用である。
久し振りで登場した作者は・鈴江俊郎、健在だったのか! かつて、自殺した学友が自転車に乗って現われる青春劇に共感したことを思い出した。もう四十年近く前のことだ。