つきかげ 公演情報 劇団チョコレートケーキ「つきかげ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    前篇の『白き山』が斎藤茂吉と二人の息子、一人の弟子との四重奏。後篇である今作は斎藤茂吉と、文学史的には無視された妻と二人の娘との四重奏。見事なアンサンブル。個人的には今作の方が好み。前作が黒澤明なら今作は小津安二郎の世界に挑戦する作家の新境地。だがやはり我慢ならない、本性が出てしまう。達観した死生観では終われない。命ある限り生きて生きて生きまくってこそが生物だ!と黒澤明になってしまう。侘び寂びで慎ましくお茶を啜ってはいられない。醜さこそが同時に人間の美しさであると、人間のその浅ましさこそが生命の本質なんだと。

    上手に洋間、下手に和室、真ん中に火鉢。斎藤茂吉(緒方晋氏)は脳出血で倒れ歩くこともおぼつかない。意識がぼやけてくる。創作に集中出来ない。記憶の混乱。全ては老いだ。老いてしまった。やりたい事やらねばならぬ事が山程あった筈なのにそれが何だったのかすら思い出せない。

    素晴らしいのは文学史的には意味のない、妻である斎藤輝子(音無美紀子さん)、長女・宮尾百子(帯金ゆかりさん)、次女・斎藤昌子(宇野愛海〈なるみ〉さん)の存在こそをメインに据えた視点。各人それぞれに見せ場はあり、光の当たった人々だけが存在した訳ではないことを強く主張する。

    音無美紀子さんは見事としか言いようがない。確かに間違いなくここに生きて在る。金の取れる女優。
    驚いたのが宇野愛海(なるみ)さん。メイクもあるのだろうが原節子や轟夕起子を思わせる戦後日本映画のヒロインの貫禄。凄いのが出て来たな、と思ったら既に二作自分は観ていたらしい。しかも元エビ中のバリバリのアイドル出。心底驚いた。この娘は今後ヤバイ。
    帯金ゆかりさんの体現する現実感も重厚。生きて在ることのそのリアル。その手触りを感じられた時、共感の度合いがぐっと上がる。

    そして緒方晋氏の立つ境地。弱って駄目になった自分のありのままを見てくれ。これが今の俺だ。失望しようが落胆しようが構わない。これが今の老いた俺の姿だ。

    浄土宗の開祖である法然が詠んだ和歌、宗歌ともされている。
    「月影の 至らぬ里はなけれども 眺むる人の 心にぞ住む」                      
    月光は全てを照らしてくれているのに受け手側がそれに気付かなければ届かないのと同じこと。どうか気付いてくれ。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    この作品を村井國夫・音無美紀子夫妻で構想した作家の怖ろしさ。確かに観てみたくはある。

    書棚がちょっと古書すぎる気がする。逆に当時ならもっと新しい方がリアルでは。
    斎藤茂吉の日記帳、手書きで全ページ、ギッチリ文章が記されている。美術を担当した人間の狂気。細部にこそ神が宿る。こりゃ役者も負けてらんねえな、と気合いが入る訳だ。凄いね。

    1933年11月銀座ダンスホールの教師(今のホストのようなもの)・田村一男(24)が検挙される。彼目当てに通い詰める常連の有閑マダム達を手玉に取り金を貢がせ情事に耽けっていたのだ。当時はまだ姦通罪がある時代、新聞雑誌は大々的に書き立てた。彼の相手は華族である伯爵夫人など錚々たる顔ぶれ。その中の一人が「青山某病院長医学博士夫人」こと斎藤輝子。(本人は情事を否定)。激怒した斎藤茂吉は婿養子として入った脳病院を辞め、離縁する意思を示したが周囲の説得により何とか思いとどまる。輝子を弟の家に預け、その後12年間別居状態に。
    だがその翌年、52歳の斎藤茂吉は24歳の永井ふさ子と歌会で出逢う。以前より短歌の通信指導をしていたのだが上京した彼女の美貌に一遍で心を奪われてしまった。歌人の師弟の立場を越え熱烈に恋し、秘めた愛人関係に陥る二人。1936年1月18日から1937年暮れまでのSUBROSA(秘密)。周囲の門人達は知っていただろう。(1944年まで会っていた)。
    1963年、永井ふさ子は斎藤茂吉の死後十年を待ち『小説中央公論』にて手紙80通を公表。世間の知ることとなる。

    ちなみに斎藤輝子は茂吉の死後、65歳から97回海外渡航に。79歳で南極大陸に立ち、81歳でエベレスト登山、85歳でガラパゴス島、89歳で亡くなるまで108ヶ国を訪問。

    欲望のパワーが桁違いの一族。『楡家の人びと』が読みたくなる。

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    2024/11/08 18:53

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