寿歌二曲 公演情報 理性的な変人たち「寿歌二曲」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「渦中に響く芸能讃歌」

     1979年の初演以来シリーズ化され上演が続いている北村想の代表作である。作品世界の時系列に鑑み『寿歌Ⅱ』『寿歌』の順に二本立てで、「明星」「夕星」の2チームが上演した。私は夕星チームの初回を鑑賞した。

    ネタバレBOX

     星々がまたたく大空の下、核戦争前夜の荒野を大きなリヤカーを引きさまよう九重五郎吉一座宣伝隊のゲサク(滝沢花野)とキョウコ(廣田高志)、カリオ(谷山知宏)の3人は、耳は聴こえるが喋れないクマ(小林春世)と出会う。身振り手振りでコミュニケーションを図る彼らは自作の劇や歌を披露して喧しい。ようやく町に着こうかという段になると、クマが宣伝隊の悪評を流そうとした裏切り者の容疑をかけられてしまう。近くを恐竜が通りかかり放射能の影響で雲が燃えるなかでの4人の道中が、巧みな言葉遊びを交えて描かれていく(『寿歌Ⅱ』)。

     核戦争後の荒野を彷徨うゲサクとキョウコの元に現れたのは、茨の冠と白い腰布をまとった貧相な身なりのヤスオ(坂本七秋)である。ヤスオはその場にあるものを増やす能力を持っていて、残り少なくなっている食料や水に飢えていたゲサクとキョウコに重宝され行動を共にすることになる。遠くの方でミサイルや爆弾の光がまたたき地鳴りが響き渡る3人の道中から戦禍の喪失を感じるものの、概して明るく騒がしいのは変わりない。ようやく町に到着した一座は人々の前で芸を披露し、ゲサクはロザリオを増やして配りだすが……(『寿歌』)

     銭湯を劇場に設え直したBUoYの空間は、古ぼけたタイル張りに使い古された洗い場と大風呂が目を引く独特のものである。これだと特別にセットを組まなくとも戯曲の設定に合致していて違和感がない。過去の「理性的な変人たち」の公演ではやや声が大きくテンションが高すぎると感じられた俳優の芝居も、荒野のなかさまよう芸人たちという設定によく合っていた。ゲサクとキョウコの息のあった漫才にはじまり、滝沢花野の絶唱に唸るプッチーニの「私のお父さん」の替え歌、谷山知宏が魅せるカリオの女形や、器用な小林春世によるクマの身振りなどさまざまな芸が詰め込まれ、それぞれの俳優に見せ場が作られていた。演出の生田みゆきの面目躍如といったところで十二分に堪能したし、芸能はいついかなる時でも不要不急ではないという讃歌にも見えた。

     冷戦下で発表された作品が、初演から40年以上経った現在の世界情勢を反映して新たな見え方をしているというのも発見である。坂本七秋演じるヤスオだけでなく、一座に石を投げつける町の人々など、作中のいたるところに仕込まれているキリスト教的な文明と、一座に象徴される流浪の民との対立と邂逅は、生田が昨年演出したフェルナンド・アラバール作『建築家とアッシリア皇帝』に通じるところがあった。

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    2024/09/16 14:53

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