『緑園にて祈るその子が獣』 公演情報 キ上の空論「『緑園にて祈るその子が獣』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    「支配と被支配を行き来する男の半生」

     ある宗教二世の流転の半生が支配と非支配の関係性を浮かび上がらせる秀作である。

    ネタバレBOX


     離島にある新興宗教の家庭に生まれた丸琥(久保田秀敏)は、幼少時から母(藍澤慶子)に厳しく躾けられる。友人たちから奇異な視線を浴びており鬱屈していた丸琥だったが、教室での悪ふざけで怪我を負わせた英(日向野祥)から過剰な被害要求を受けた腹いせにブチギレたことが契機となり、あたかも母が自分にしているかのように弱者を支配する術を身につける。

     やがて上京した丸琥は島での息が詰まる日々を発散するかのように放蕩を尽くす。夜の街で職を得た丸琥は、路上で詩を読んでいたレイ(富田麻帆)と結婚し長女のノコ(高柳明音)を授かると、上司の中村(久下恭平)の紹介で地方の工場に就職する。過重労働により支配される側に立った丸琥の脳裏には、島で自分と似たような境遇にあったキリコ(齋藤明里)のことが過ぎる。やがて過去の腹いせで英らがノコを誘拐したという連絡が届き……

     本作の魅力はスピーディかつ先行きの読めないストーリー展開である。大仰なセットを組まず、メインキャスト以外は数役兼ねる手際の良さが映えていた。扱いにくい題材で暴力的な場面も少なくなかったが、緊張感を持続させながらところどころギャグを入れ込んでいく鮮やかさは大したものである。

     他方で話の展開がやや拙速で俳優の芝居を堪能する場面が少なかったことは残念である。特に冒頭、丸琥が英を静かに恫喝し支配する側に立つときに襲われる狂気であるとか、キリコの幻影に苛まれるという物語の核になる場面はサラリと流される程度で終わってしまった。藍澤慶子演じる母が丸琥を言葉で虐待する場面は鬼気迫るものがあったため惜しい。

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    2024/09/16 14:51

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