悪態Q 公演情報 劇団不労社「悪態Q」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

     VUoYは元銭湯だったので奥に浴槽が残っているのだが、今作ではそれを隠すようにパネルが張られ見えなくなっている。その分、やや抽象度が高くなっている。下手側はちょっとした建物のように立体的な倉庫様の物が作られている。何れも白っぽい。照明は終始昏め。

    ネタバレBOX

     公演は最初に京都で、次に東京で、最後に豊岡で行われるが演ずる場所によって内容は若干異なる物になるという。かなり実験的な作品ではある。而も相当にペダンチックで通常演劇創作に関わる者が意識する演ずる当事者にとっての脚本の個的読み込み、脚本全体を見渡して相関関係を把握した上での自らの演じ方、観客から見た作品の見え方の何れもがペダントリーに毒されているように思われる。この原因のⅠつにLiminal Spaceの概念を持ち込み、階段・ロビーなどある場所と他の場所を繋ぐスペースに着目し、過渡的な場所が無人になったときに感じる独特の感覚を強調。そこに既視感等日常の中の不可思議感覚を見て取っているのである。だが、それが万人に共通であるか否かを検証済とは思えない。
     というのも作品は幼稚園児に教える大人3名(存在1、2、3と表記されている内2人が♂、1人が♀)の奇抜な登場シーンを経、存在達がその教示内容を審議するシーンから始まるが背景にはかつて放映された教育番組で流された音楽がラジカセで流れる。この間、脈絡と無関係にボールが飛んできたりする。ユニークなのは、耳慣れないスクリプトドクターなるスタッフが創作に関与していることである。スクリプトドクターの役割は表現作品、殊に映画や演劇の場合は、演じられる場所や時期、関わる役者や演出家、協賛企業などの関係を調整して差別表現や利害関係等で作品の主張とは関わりない社会問題化を避けることにある。
     ところで今作の初期想定は幼稚園児相手の教育議論であるから子供目線は上記で説明して来た今作の傾向に対置されるべき唯一最大の要素として必要欠くべからざるものだと小生は考えるのであるが、今作ではその視座が欠けている。大人と子供の差は子供たちは自らの欲求と想像力を基本的に追求しその為に生きているのに対し、大人たちは目的を遂行する為に利害調整を必要とすると考え、その結果として金と権力、社会的位置をも有すると考える。この生き様の差は決して埋められない。従って今作のようなシチュエイションで作劇するのであれば、創作過程に子供との生の対峙が必須となる。子供電話相談室のように子供からの生の声に相対し、相対した子供たちからの視座や疑問、異議を大人の視座と対比させなければなるまい。この点が欠落していることが今作の弱点と観た。終盤存在1,2,3の悪態は、米追従しか出来ないこの情けない「国」の阿保らしさを批判的に語るかのような内容になってくるものの、悪態を吐く際の日本語のボキャブラリーは何とも貧弱である。海外でちゃんと地元の人々に溶け込み話をしたり一緒になって遊んだりを何年かして過ごせば自ずと悪態表現の余りの多様性に気付く。日本でも人口に膾炙しているサノヴァヴィッチやヴィッチ、イエローキャブ、コン、アン等々は加えても良いのではないか? 何より実際に創作過程で子供の生の反応を取り込んで創作することが望まれる。そうしなければ観客から観た面白さの評価は低いままであろう。難易度は極めて高いものの「ピタゴラスイッチ」のようなセンスでこの間(あわい)を繋げることができたら爆発的な面白さになろう。
     

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    2024/09/10 19:19

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