期待度♪♪♪♪♪
ハルベリーは「小林秀雄先生、帰る」(2022)を上演した団体だったか・・。しかし名前はもっと前どこかと共催で公演を打っていた記憶があり、朧ろな記憶を頼りに調べた所、「箱の中身2016」(演出=わかばやしめぐみ、出演陣にさひがしシュンペイ、どちらもおぼんろ所属)と、おぼんろとの共同であった。
ただ、両作とも原田宗典脚本だったとは、今しがた気づいた。
本作なぜかタイトルに惹かれる。「異人たちとの夏」を何度も観た口なので「との夏」に引っ掛かったかな。・・と、これも調べてみると、2010年、2015年に三田村組が上演。チラシにはより既視感があり、強い関心で見ていたのに違いない。
髙橋いさをと言うと、大昔にアマチュア集団が上演したのを観た印象から、甘い脚本を書く人、という固定観念があった。(この演目を別の団体で二度観た他は、サンモールスタジオのCrimeシリーズへの書下ろしを一度配信で。)
偏見のつもりはないのだが、タイプとしては、簡単に「感動」を手に出来、提供できる演目として好まれる特徴を有する脚本、死者との遭遇や時空を飛ぶ等のファンタジー要素を持ち、戦争の悲劇や理不尽な現実を、そのファンタジーの力を借りて解消・解決する。親子または三世代の交流、不知からの理解といった昇華のパターンだ(祖父が決して語らなかった秘密を知る、といった)。
2000年頃ある戯曲賞で審査員が、応募作の8割が「幽霊」の登場する作品だった、と講評で言ったが、作劇としては便利なツールだ。それはこの髙橋いさをや、堤泰之、ふたくちつよし、元祖「そっち系」の成井豊の成功した先行作品が、そういう影響を生んでいる事を推測させる。
「あり得ない」設定だからとモチベーションを共有し損ねると、劇そのものに白けてしまうからその設定を飲むしか選択肢はなく、役者が懸命にやってたりすると拙い演技でも引き込まれはする。だが、ファンタジーの世界の中で問題は「解消」されるので、劇場を出ると「感動」はしたけれど「生きる力」にはならない(まあそういう芝居は結構あるわけなのだが)、下手に感動させられた分だけ虚しさも否めなかったりという事がある。私はその大昔観た芝居一つからこの作者をそうカテゴライズしていたのだが・・
果してこの固定観念が払拭されるのか、やはり食傷して帰って来てしまうのか、そしてこのリスクは試すに値するリスクなのか・・等と迷っている。(何をうだうだと書いてるんだかという話だが;)
と書いていたら、劇作家協会のデジタルアーカイブという所に本作の戯曲が出ているのを発見。
ならばこれを読んで観に行くもよし、観に行くかどうか検討材料にするもよし、観に行けないからせめて読んでみるもよし。私もどれにするか・・