実演鑑賞
公演詳細を直前に確かめ、気まぐれに予定化して観に行った。
ステージ手前のかぶりつきにフラットなスペースがあり、子供たちを座らせている。
始まりは二親と田舎の転居先に着いた娘(小学生らしい)が、ぐずっている風景。私物を入れた段ボールを玄関から部屋に運ぶのを嫌がり、「捨てていい」と言って母を困らせている。「本当に捨てていいの?」「捨てちゃうよ」と・・。
新たな土地で暮らす、という事自体を自分の持ち物と一緒くたに拒否しているよう。地団駄を踏む娘の駄々コネや、掃除機を掛ける母親が寝転ぶ娘の足を邪険に突いたり、が子どもに受けている。大人も見ていて笑いが漏れる。
が、話は「異界への旅」へと移行して行く。この異界が、あまり居心地の良い世界でなかったのだが、子どもたちはどう感じていた事だろう。「演劇を観る楽しみ」とは別物を味わっていたのではないかな。
「子ども向け」とか「親子で楽しむ」といった看板で客寄せする出し物にずっと思っている鉄則だが、大人が楽しめなきゃ子どもも面白くない。(勿論大人の「演劇リテラシー」も一様でないだろうが。)
異形の者たちの衣裳・着ぐるみは結構本格的な物(「DUNE」を思い出した)だったが、演技の方に艶めかしさが感じられないのが私にはキツかった(日常的な気安い感じの喋り方・・なぜ?)。
異形の世界を描くには、ルールが明快であるか、もしくは感覚的に納得させる何か、が必要だが、もう一つには、「迷い込んだ異界から戻る」とか「母を連れ戻す」といった課題(使命)が明確である事も必要に思う。
この課題の部分では、作者は「異界の旅を楽しむ」行程を欲張ったのではないか。異形の者たちとの時間を重ねるにつれ、去り難くなる娘、という事なのだが、異形の者たちが「大人」の設定なのが私は失敗だったのではないかと。「子ども」ならばそのキャラが持つ願望、欲求が明快で、娘にとって彼がどういう存在か(心優しい味方か、面倒臭いが何かの時は役に立ってくれる人か、一方的に好いてくれるが大して役に立たない人か、つっけんどんだが頼りになる人か・・等など)が明確になったのではないか。
話は「太陽の神」がいなくなったためその代りを勤める存在として母がさらわれた。その母を追って異界に迷い込み、母とは再会し、異形の者と母との時間を過ごす。「偽物の父」(異界に本物は来れないかららしい)とも過ごした後、元の太陽の神が戻って来て、母と娘が去る日が来る。皆と別れを惜しみ、偽父とも別れる(ここで涙するのだが、偽父ならもっとドライに別れて良いのでは、、等と心の中でツッコミが..)。劇中、幾つかのアトラクションが用意されてあるが、やはり大切なのは本筋、ストーリーだった気がする。
元の世界に戻った時、少し怖いオチがある。父と娘が日常のやり取りを取り戻しているが、遠くで「おーい、おーい、こっちだよー」と呼ぶ声が聞こえる。見れば奥の中央に巨大な「顔がついてる」太陽が浮かんでいる。どうやらそこから声がするのだが、二人には聞こえない。さっき娘と母が手を取り合って異界から抜け出てきたはずだが、二人は「母がいない」事を意に介していない。
客電が点いた後、二つ前の列の男の子が、「悲しいお話だったね」と呟いていた。子供たちは自分たちを楽しませてくれようとした大人達に、礼儀正しく、行儀良く、敬意を示していた。「今時の若者」に感じる行儀の良さは、傾向はさらに進んでいるのでは・・と予感した次第。
そんな事を感じると、演劇はどんな効果を子供たちの前に発揮したいだろうかと考える。今回のステージで言えば、大人たち自身が「子どものように」楽しむ姿を見せる事ができたか・・そこかなと思う。世代の近い若い俳優たちと過ごせて楽しかったかも。子供たちに感想を聴いてみたい。(距離感のある感想になってしまった。)