実演鑑賞
満足度★★★★
南果歩さんの少女の瞳が物語る痛ましさと切実。古澤裕介さんや金子清文さんの個性が手渡す生命の存在感。ピアノ、ギター、コントラバス、チェロが奏でる豊かで、あたたかく、しかし、それだけではない、時におどろおどろしい音楽。
時代を横断してもなお変わらないもの、それらを込めた祈りのような言葉の数々。そして、音楽と言葉に呼応する我妻恵美子さんの生命の躍動と枯渇を体現する踊りは木々の悠然、力強さ、戸惑い、憂い、そのものだった。
その全てにぎゅっと縁取られるような70分。
木を抱きしめ、抱きしめられる時の様な静寂なのに濃密な、時や世界の果てしなさを五感で感じる時間でした。
私は子どもたちの名前は木からとっている。
一人はある神話で人類の始まりに深く関わりのある、葉っぱが四方八方に広がっているのが特徴の木で、小さな手の平からまさに葉っぱが広がるように生まれてきた命を見た瞬間にその名は決まった。もう一人は夏に花をつけ、秋に実を落とす木で多くの生き物のみならず、防風林になるなど人間の暮らしをも守っている。
そんな風に子どもに木の名を命名した私は、人よりも木々の名前を口にすることが多いはずなのだ。だけど、知っていたつもりになっていた。木の記憶の本当の果てしなさ、痛ましさを。そんなことを思いながら劇場からの帰路につき、その道中でまたいくつもの木々に迎え、見送られ、そして今日も今日とて木の名前を呼び続けている。