野田というブランド
訳あって2回観劇。別に感激してとかじゃない。
むしろこの作品はいろいろと不完成であったように思う。芝居に完成形があるわけではないが、あまりに不出来が多すぎた印象。脚本の弱さ(史実に縛られ自由が無く、奔放さが無いため辛い。ギリシャ悲劇の必要性や題材との関係性に驚きを見出せない)、豪華な役者活かしきれず(比べるのは野暮だが、それにしても野田の他の作品に出ていた時の方が圧倒的に映えていた役者が多い)、意味のない言葉遊びが冗長(「何の空、上の空、秋の空」とか言葉遊びにもなっていない気が。いい長台詞だからこそ余計)など。
こういう批評する奴はこぞって無責任だとは知っている。ただ野田さんはテレビでも随分偉そうなこと言ってるから、観たままの感想を持って対抗したい。こんな場所見ないだろうが、発信に意味がある。日本人はブランドに盲目過ぎる。観客がもっと正当な審美眼を持って評価しないと、退廃演劇が蔓延る。野田だからいい。蜷川だから凄い。そういう評価は才能を潰すことになるのではないか。
どうぞまだ青い青い浅学非才な若者の戯れ言と思って下さい。
以下は観劇直後にtwitterで呟いた文章の転載。
1回目:6月25日S
流れ流れる情報の中で社会が忘れ始めた過去、同じことが繰り返され得る現代への警鐘。何度でも洗い直す必要のある事件だが、テーマ性ばかりが浮き彫りで史実に縛られ奔放な自由さがない。ギリシャ神話は有効だったのかも疑問。そこに落ち着くのか、と。
アンサンブルは圧倒的だが、そちらに気をとられ過ぎてか役者活かしきれず残念である。これはパイパーでも思った。黒田育世振付の呻きにも似た身体表現と、その動きが物語に繋がってくる終盤は見事。野田の作品には胸にグサッと突き刺さる何かを期待したいのだけれども。勿論この作品にも意義はあった。
2回目:7月11日M
2階サイドシート3000円。初回よりも楽しめたのは、単に体調が良かったのと、演出家としての目線で観たから。「声」が響き突き刺さってくる。宮沢りえの声は本当に貴重な存在。魂から絞り出したような「悔しいよ」の声。震える。
「パイパー」といい「ザ・キャラクター」といい、終盤の超長台詞にどうしても冷めてしまう。なんでだろう、俺の集中力の問題なのか。すべてを一人の独白で片付けてしまうのが気になる。蜷川も似たようなことを言っていたが、その独白だけが、詩のように独立して存在してしまっているように感じる。
2010/08/19 01:53
2010/08/19 01:36
2010/08/17 15:43
確かに、そうですよね。
私の観劇した日も、高校生の団体がたくさんいました。
それで、あのラストを観た時、彼らに意味がわかるかな?と思ったんです。
それで、アキラさんへのコメントで、高校生のアンケートを読んでみたかったと書いたんです。
昔から、あまり野田さんの言葉遊びが好きでなかった私は、逆に、今回の言葉遊びの内容は、いつになく深いと思ったのですけれど…。
何せ、「ハイパー」はあまりにも陳腐で、呆れ返ったので、あれよりは、相当深みがあるなあと、相対的に、高評価になってしまったわけですが…。
先日、観た、日本人には、馴染みのない国の芝居を観た時に、思ったように、今の高校生には、あの見せ方では、たぶん、チンプンカンプンではとは思いますね。
本当に、いちずさんは、何者!!!と感嘆して、即、公演のチケット、予約させて頂きました。
こうなると、いちずさんの育ったご環境まで、興味津々ですが、まずは、お作を拝見するのが先決ですね。