べつのほしにいくまえに 公演情報 趣向「べつのほしにいくまえに」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    趣向は、2010年に劇作家・オノマリコさんにより設立された演劇ユニット。2023年には俳優の大川翔子さん、前原麻希さんが加入され、劇団化されました。
    そんな趣向の『べつのほしにいくまえに』の舞台は少し未来のとある国。結婚率を上げるために政府が新たに打ち出した「互助・共助のための結婚法」。その立案と施行までの道のり、そしてその後を描いた物語です。
    (以下ネタバレBOXへ)

    ネタバレBOX

    <あらすじ>
    物語の舞台でもある「べつの星」は現行の結婚制度に疑問を抱く人々によるコミュニティ。
    メンバーは地方紙に勤務するコーデリア(梅村綾子)、専業主夫のボトム(海老根理)、書店で働くヘレナ(大川翔子)、秘書のロビングットフェロー(和田華子)。登場人物の名前がこんな風にシェイクスピア作品のキャラクターから命名されていることも一つのギミックとして活きている。
    「べつの星」のメンバーたちには、それぞれパートナーとの関わりや生活がある。コーデリアは同性のパートナーのオフィーリア(納葉)とその子どもと暮らしており、そこに友人のギルデンスターン(多賀名啓太)が居候する4人暮らし。ヘレナには、パートナーとして生きていきたい長年の友人・ハーミア(渡邉とかげ)がいるが、ハーミアにはライサンダー(かとうしんご)という恋人がいる。『べつの星』のメンバーたちは定期的に公民館のような場所に集い、それぞれの立場や経験をもとに意見を交換している。
    その会にある日、新たに3名の参加者が集う。妻・ヒポリタ(KAKAZU)を伴って訪れたテセウス(箱田暁史)は、性別や恋愛関係の有無に関わらず、ケア関係にある人間が“結婚”できることになる法律・“互助・共助のための結婚法”を推進している政治家だった。そこに遅れて参加した大学生のジュリエット(松村ひらり)が自己紹介でこう告げる。
    「わたし、祖母と結婚したいんです」
    ジュリエットは多忙な両親に代わり愛情を注いでくれた祖母のロミオを慕い、施設への入居を反対していた。祖母を一番にケアする権利がほしい。そう望むジュリエットの新たな結婚の形は、もう一人の政治家のティターニア(小林春世)とその秘書・豆の花(前原瑞希)によって、“互助・共助のための結婚法”のプロモーションとなり、ロミオは瞬く間に広告塔になっていく…。

    【2024年7月11日に「CoRich舞台芸術まつり!2024春」グランプリ発表ページより以下を転載しました】

    本作をCoRich舞台芸術まつり!2024春のグランプリ作品に決定する過程にはいくつかの議論があり、その一つにシェイクスピア作品の登場人物に準えた命名は、果たして本作の主題を訴えるにあたって有効的に機能していたか、という議論も持ち上がりました。
    原作のその名の人物たちの立場や役割でと本作のそれらが手を繋ぎあっているのか。そういったことを中心に、さながら「べつの星」のメンバーの様に、審査員間で多様な意見を交換し合うことができました。私個人としてはその整合性については特に気にはなりませんでした。私自身がシェイクスピア作品に明るくないという不勉強さもあるかもしれないのですが、それ以前に、全ての命名に綿密な整合性を持たせること=前例に照準を合わせることは、本作の主題において必ずしも必要であるとは言い切れず、ともすれば逆行することでもあるようにも感じたからです。これは最も極端な例かもしれませんが、禁断の愛、悲恋の象徴であるロミオとジュリエットという名前が本作では祖母と孫に当てられていますが、二人は悲しい結末を辿りません。しかし、性別や年齢こそ違うけれど、現行の結婚制度からは異例な、ともすれば一部からは禁断とも言われかねない「ケア婚」を果たそうとする二人に、その命名は実に相応しいとも感じました。新たな結婚の形に法改正が必要なように、この物語を描く上で必要な翻案が凝らされているのだと私は受け取りました。

    【ここまで】

    本作の素晴らしいところは“互助・共助のための結婚法”という新たな法律とその施行によって、今を生きる人々が何を感じ、考え、喜び、苦しみ、生きているのかを一人ひとりにフォーカスして描き切っている点であったと思います。

    誰に心を寄せたか、どのシーンに心を動かされたかは観客によってそれぞれだと思いますが、私が最も心を打たれたのは、広告塔として奔走するジュリエットを傍目にロミオが夜の街を徘徊していた時に結婚生活と自身の存在意義に悩むヒポリタと偶然出会い、会話を交わすシーンでした。孤独を抱え、行き場のない二人が思いもよらぬ形で出会い、心を通わせた瞬間、自分自身もが救われたような心持ちになりました。あの時、拭っても拭っても溢れてくきた涙、その原料が何であったのかは未だにうまく言葉にできずにいるのですが、そうした心の深いところにそっと触れる、奇跡のような瞬間でした。
    パートナーがいても、家族がいても、友達がいても、決して拭い去れない孤独を抱えて生きているのが人間なのだと思います。しかし、その孤独な足もとを照らすのもまた人であるということ、人は人によって救われるということ。物語の中の誰かにシンパシーを覚え、心をグッと寄せたその時もまた同じことが起きているのだと改めて思いました。
    物語が真夜中である時にカーテンが開き、煌々とした陽光が劇場を満たしたその時、夜であるはずの世界に昼の世界が差し込んだその瞬間は、演劇だからこそ叶う心象風景そのものでした。昼公演と夜公演でまた見え方は異なると思いますが、内の世界にとどまらず、外の世界へと繋がっていく演出もまた、本作において非常に重要な意味を持っていたと感じます。

    男女二元論をもとにした結婚制度から進歩しない現代日本において、本作で描かれた世界、「少し未来のとある国」が迎えた円満なラストは、皮肉にもユートピアであるという実感を抱かざるを得ません。
    しかし、だけど、そうだとしても、この祈りを少しでも多くの人が持つことで、やっぱり何かは変わるのではないか。“べつのほし”にいかなくても、この星でも、日本でも、愛しあい、信頼しあい、求めあう人々が誰にも制限されたり、抑圧されたり、差別されたり、蹂躙されることなく、温かく幸せな日々を送ることができたら。それぞれが一人きりである「人間」と、一つきりである「人と人との関係」が尊重され、守られたなら。
    たとえ今はユートピアだとしても、そんなifを描き続けることでしか浮かび上がらない、この国を「少し未来のとある国」に近づけるためのsurelyな現実があるのではないでしょうか。「おばあちゃんと結婚したい」と言う孫・ジュリエットと、「わたしを助けようとしてくれているのはジュリエットだけ」と言う祖母・ロミオを交互に眺めながら、そんなことを思いました。

    『べつのほしにいくまえに』。
    劇場を出て、上り道を経て下り道となった坂道を歩きながら、その後に続く言葉を考えていました。
    それは、今しがた見たユートピアを少しでも現実に近づけるための思考、祈りを胸に「このほしでできること」を見つめる始まりの時間であったと思います。

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    2024/06/25 16:41

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