マクベス 公演情報 演劇ユニット King's Men (キングスメン)「マクベス」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2024/05/16 (木) 15:00

    価格3,500円

    W.シェイクスピアの四大悲劇の一つとなるマクベス。
    将軍マクベスが妻と共謀して主君を暗殺。王位となるものの、その重圧に耐えきれず次々と錯乱し暴君と化し、最後は貴族や王子らの復讐によって滅ぼされてしまう。
    そんな名演目の旗揚げ公演をじっくりと観劇させて頂きました。
    往年の舞台・古典作品の概念にとらわれず、演劇の自由そのものを捉えなおす…この意図は、パンフレットの厚さを見ても一目瞭然。主催側の熱い想いが伝わってきました。
    また共生社会の形成にも積極的な劇団であり、障がいの有無(近年では特性と言われてきました)に関わらず、意欲ある人のチャンスの場として演劇を通じた社会参加を行う意義は素敵だなと。
    以下、感じた事を忌憚なく書きます。

    ネタバレBOX

    「新しい栄誉は新しい衣服のようなものだ…」
    こんなセリフが劇中にあったかと思いますが、文学的な台詞回しの多い古典劇を上演するという事は、その本質や様式を入れた上でどう壊していくか・自由であるかを考えなくてはいけない。
    素舞台の劇場で、色んな特性を持った役者陣。それをまとめる演出兼役者。そこにプロフェッショナルさを見出すのは、未だ新しい服が馴染んでいないのと同じこと。

    まず、台詞が長いので滑舌や末端の発語の処理が単に場のテンションで終わってしまい、素人感のぬぐえないバラつきが違和感を生み出します。特に長ゼリを自分の言葉として舞台で活かす…というのは、役者自身の能力が大きく左右されますから大変な事だと思います。
    個人的にはシェイクスピア劇に拘らず、別の戯曲を扱っても良かったんじゃないかと(内容が難しい)。

    またプロジェクタを用いた背景ですが…どう考えても劇作風景にかみ合わない写真が気になりました。背景は朝・夜などを考慮して、あとは照明の変化だけで十分じゃないかと。BGMは突然大きく表れたかと思えば、ミュージカル風の歌唱とダンス…取って付けた感が否めません。
    全体的にプリモとプリマのお二人で主な動きの中心を担っていますが、箱が大きいのか視界的には小さくまとまっている印象。かと言って、派手なパフォーマンスは全体を俯瞰すると浮いてしまうので、ここも役者全体の足並みを揃えると言う意味では難しいです。
    手話を使ったシーンも良い意味で「間」が生まれて良かったですが、折角プロジェクタがあるので何を言っているのか「台詞の投影」をしても良かったんじゃないかと感じました。

    制約があるからこそ、自由が生まれる。
    何をしても良い・何を着ても良い…これは私の感じる自由とは少し異なるように観させて頂きました。この団体で多様な特性を持つ役者がどんどん育っていく事を深くお祈り申し上げます。

    2

    2024/05/17 02:32

    0

    0

  • 絵里さま
    この度は大変誠意あるご返信を頂きまして、ありがとうございます。
    作品を作っていく中で色んな諸事情や制作時の苦労があるとは思いますが…その中で多様な特性を持った役者達との出会いや自己実現に向けた取り組みは、演劇界にとっても大きな財産だと思います。今後も劇団を通じて、多くの社会参加を望む人々の立役者となって頂けたらと感じました。

    また、素舞台に関してのご返答に関して劇団シェイクスピアシアターの様式に準ずるという点も理解致しました。当時の野外円形劇場の様なイメージなのかなと推測しております。ヨーロッパは建築美として、その風景までも統一感…まとまりがありますよね。
    座・高円寺2は奥行のある所謂スタンダードな縦型のホールになってしまうので、私の感じる違和感とはそういう点なのかもしれません。
    Antiche dell'arte から現代劇の表出。今後とも応援しております。

    2024/06/04 01:55

    ペンギンアート様、ご観劇およびクチコミありがとうございました。

    今回の出演者の中で、シェイクスピア劇の出演経験がある俳優は、三名。あとは多様な出身の人達を起用しました。私達は「シェイクスピアとはこうあるもの」というステレオタイプな演技は取り除いて、作品を創ることを目指しています。
    今回が初舞台という出演者も多数いる中で、一人一人の台詞が完璧に言いきれていない部分はあり、客席からは聞き取りにくい場合も見受けられたと思います。不備と感じられました箇所につきましては、大変申し訳ございません。
    ただ、演出的観点からは、役者を技術力で評価して配役に就けるということは、私達は考えていないため、今後も役者として活動している人にかぎらず、様々な事情を持つ人と作品を創っていきたいと考えております。

    歌とダンスの場面についてですが、例えば魔女ヘカティ登場の場面は、原作にあっても通常の上演の際にはカットされることが多い場面です。カットせずに生かした場合に、どうしても唐突な印象を客席に与えることが多いのは、もともと原作成立時に唐突に挿入された場面であるためだと言われています。実際にこの作品が書かれた時代には別の演劇作品の歌唱・踊りの場面をここに挿入して上演したことから、台本上にこの場面が残っていると考えられています。そのため、現在では上演の際にカットすることが多いのですが、今回はあえてカットせずに上演することを選びました。
    また、他の場面や台詞でも、カットされがちな部分をできる限り残し、また付加されがちな演出を加えず、できる限り原作の台本を尊重して上演しました。
    その結果、客席においては逆に唐突さが感じられたということは、逆説的で大変面白いご感想で、興味深く拝読させていただきました。

    素舞台であること、音響や照明を使用しないこと、普段着に近い衣装であること、これらは劇団シェイクスピアシアターの形式に準ずるもので、私達もそれを特異なこととは感じていないのですが、初めてこのような舞台作品を観る人は、それを不思議と思うことが多いようです。
    シェイクスピア劇は、16世紀に、もともと素舞台で、音響も照明も幕もなく、ただ晴天の下で行われ、それで成立するように書かれた作品です。ですからそれらを何一つ使わずに上演できる作品です。そうであるならばそのように上演したい、そのような効果に頼らずに挑戦したい、と私達は考えております。
    ただ、素舞台ではありますが、今回私達は背景にプロジェクタ画像を投影しました。ただし、こちらも内容に準じた背景ではなく、あえて象徴的な画像を時間で機械的に投影されるようセットしています。これをどのように解釈するかは、絵画展を観る時の人の心の動きに準ずるもので、そのような芸術を重層的に重ねたいという意図によるのもです。
    そのような意味での使用に限定しておりますので、物語の進行に関してプロジェクタを利用するということは企画の方向性にありません。手話の場面につきましても、字幕を出さないことにこそ演出意図をおいております。

    このような趣旨から、今後も当団体がシェイクスピア作品を上演する際には、音響効果や照明の変化などに頼らない作品作りを継続していく所存です。これらの舞台効果におきまして、ご要望に添えず、申し訳ございません。

    今後ともキングスメンの公演をぜひご覧いただけましたら幸いです。
    シェイクスピアだけでなく様々な作品を上演してまいります。
    どうぞよろしくお願いいたします。

    2024/06/02 16:45

このページのQRコードです。

拡大