イノセント・ピープル 公演情報 CoRich舞台芸術!プロデュース「イノセント・ピープル」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    全出演者が役割に集中しつつ心を開いて、作品のために力を尽くしているようだった。こういう場に立ち合えたことが嬉しいし、これが芝居の醍醐味だとも思う。

    日本の俳優が日本語でセリフを言って外国人を演じる芝居は珍しくない(シェイクスピア、チェーホフなど)。でもこの作品では、原爆を作ったアメリカ人を日本人が演じ、やがて日本人役も登場する。この仕掛けによって、日本の観客はどこか遠くの物語を外側から眺めるのではなく、自ずと当事者で居続けることになる。

    劇中のアメリカ人は敵国人である日本人を「ジャップ」と呼び、あからさまな差別をする。それを日本の俳優が堂々とやりのけるさまに少々戸惑い、気まずさも感じるのだが、俳優それぞれが役人物として懸命に生きようとする誠実な演技のおかげもあって、私はロスアラモス国立研究所の青春群像劇に入り込んで行った。

    しかし、その没入感は続かない。ある趣向によって次々に水を差されるからだ。観客は家族の物語を、研究仲間たちの人生をただ受け取るだけでは居られない。演出の日澤雄介氏が脚本の畑澤聖悟氏とのパンフレットの対談で語っていた「(戯曲に)真っ向から喧嘩売ってる」とはこのことだろう。

    新型爆弾の研究者の葛藤や家族の別離など、年月を経て大きく変化していく人間模様を親しみを持って見つめ、心を寄せてともに喜び悲しんでいても、キノコ雲の下で起こっていたことが脳裏から離れない。廃墟に見える抽象美術の影響はもちろん大きい。役人物の加齢をメイクや衣裳などの外見で説明するのではなく、俳優の演技で示すことも異化効果になっていたと思う。

    初演の時に固唾をのんで見守ったクライマックスと呼べるであろう終盤の場面は、今回もまた緊張感に満ちた瞬間だった。見ず知らずの大勢の観客と、あの、じりじりとした時間をともにできたことが嬉しい。副題の65年は1945年から2010年までで、2010年の場面は今から14年前、東日本大震災が起こる前だ。遠い昔のように感じる。この芝居が投げかけた問いはより差し迫ったものになってしまった。

    自分が生まれ育った日本が世界唯一の戦争被爆国であることを、あらためて認識する。海兵隊役の内田健介さんがパンフレットに書かれていたように、日本が最初で最後であって欲しい。そう声高に言っていかなければと思う。

    追伸:車椅子で伺ったところ、行き届いた対応をして頂き、スムーズに観劇をすることができました。ありがとうございました。

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    2024/03/17 00:08

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