兵卒タナカ 公演情報 オフィスコットーネ「兵卒タナカ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/02/13 (火) 19:00

    反ファシズムのドイツ人作家ゲオルク・カイザーがナチスに弾圧され、スイスに亡命中の1940年に書いた戯曲だという。ナチスに弾圧されてスイスに亡命中だったということは、ナチス・ドイツと同盟を結んでいた日本に対しても好意的な感情を持っていた訳がない。
    それは「戦場にかける橋」の原作者でもあるフランス人作家ピエール・ブールが日本軍の捕虜となり、その時の経験を基に「戦場にかける橋」を書いたのみならず、日本に占領された国を念頭において「猿の惑星」を書いた(当然ながら猿=日本人である)のを考えれば瞭然のことだ。
    この「兵卒タナカ」も鋭く冷徹な眼でというよりも辛辣に皮肉たっぷりに描かれているといっていいだろう。搾取する側(天皇・国家)と搾取される側(国民)という図式も、当時のアジアにおいては白色人種が有色人種を搾取する側だったことを考えれば、ブーメランとして滑稽でさえある。

    【以下、ネタバレBOXで…】

    ネタバレBOX

    途中10分間の休憩を2度挟み、3幕構成で上演時間は(休憩込み)2時間45分。第一幕はタナカの故郷の実家、第二幕は妓楼、第三幕が軍事法廷となっている。

    冒頭、村人たちの体操まがいのダンスが展開されるのを見ると、この舞台が様式美を交えて演出されているのがよくわかる。
    だが、この第一幕から違和感がつきまとう。帰省したタナカを家族はじめ村中が最大限の尊敬をもって迎えるのだが、家族が出征兵士の帰省を喜ぶというよりも「軍人さん」をこのボロ家に迎えるなど恐れ多いという態度なのだ。タナカは士官学校出身でも学徒出陣した訳でもなく、単に赤紙で招集された一兵卒、すなわち最下級の兵士であって、村から出征したのがたった一人だということはないはずだ。
    また、村人たちとの会話で天皇陛下という言葉が何度もでてくるが、その単語に対して村人は感心するばかりで姿勢を正すこともない。当時の日本人の間で天皇陛下という言葉はもっともっと重みをもっていたはずだ。

    妓楼の場でも遊女一人ひとりが客の前で踊りを披露するが、そんなもの無用だ。兵士が妓楼へ来る目的はただひとつ、踊りなんかどうでもいいはず。芸者遊びとは訳が違うのだ。
    この幕ではタナカの妹・ヨシコの「飢えることと飢死することは違う。お腹が減るってことはまだ生きている証拠。」という言葉が胸に迫る。

    第三幕の軍事法廷でも裁判官や弁護士があのような法服を纏っているはずもない。
    そして天皇に詫びを求めるなどという発想は当時の日本人にはありえない。むしろ、己が思うままに飲み食いした宴が妹を女衒に売った金で賄われていたと知ったタナカは、己の無力さに打ちのめされ、妹とともに自身も銃剣で腹を斬るといった展開の方が普通だろう。

    力作であることは認めつつも、劇中のすべてに違和感が付きまとう舞台であり、テーマの普遍性などはこの違和感の中で霞んでしまった。

    タナカの妹・ヨシコを演じた瀬戸さおりの可憐さが強く記憶に残った。

    0

    2024/02/14 12:25

    2

    1

このページのQRコードです。

拡大