ジャズ大名【愛知公演中止】 公演情報 KAAT神奈川芸術劇場「ジャズ大名【愛知公演中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    当日あたふたと劇場へ急ぐのはいつもの事で。KAATホールでの観劇は片手に収まるが、同じ劇場と思えぬ程毎回風景が変わる(地点「光のない。」、SPAC「マハーバーラタ」は装置自体が特殊だが通常使用の「蜘蛛巣城」とも随分)。
    席は一階後方エリアの半ば、ぐっと下手寄りの位置からステージを眺む。
    例によってキャストチェック疎かに劇場入りし、ガンガンマイク使ってんなーでもギリ気にならない程度、若殿様が目立ってるから若手の人気俳優なんだろう、あの女性もどこかで聴いた声だ、など。後半になって藤井隆は判明。が他は最後まで不明のままだった。(知ってる俳優もさほどいなかったが。)
    そんなこんなで「誰が出てる」関係なしの観劇にて、ノリの良い音楽三昧の舞台を楽しんだが、クライマックスはほぼライブ。そうなるよなー、という感想であるが、芝居の部分でも面白い所はある。流れ着いた黒人3人を取り合えず収容した牢に、家来共も足が向いてしまう。黒人らが楽器で奏でる音が蠱惑的でついもう一度味わいたくなるらしい。若殿が何げなく座を外してこっそり行ってみると既に大勢が居た、というオチが芝居の意外と序盤に来る。なら次は彼らがどんな風に「音」にハマって行くか、面白く描かれるんだろうな・・という期待には、まあ合格点の満足度。
    ドラマは黒人らがそこに流れ着くまでの回想(それがジャズ誕生までの音楽史解説にもなっている)が大きく挟まり、伏流として藩を取り込もうと暗躍する女優による軍団とえじゃないかの面々(一般人から公募したような面々)が絡む。風雲急を告げる幕末の世相と、蠱惑的な音色にハマる者たちの対照。体が自然と動いてしまう音色には、庶民も(耳に蓋は出来んから)取り込まれる。当時武士のたしなむ音楽を庶民が聴く事はご法度であった、とナレーション的に説明され、若殿が「これからは庶民も聴いて良い事とする!」と宣言して場が湧くのだが、ここは「掟?そんなものあったかの。耳に蓋は出来んのだから聴いてよし、楽器も鳴らしてよし、何をナンセンスな事を言いおる」とサラッと流して次に進んでほしかった。既に事態は規範を外れた領域なのだから。というより、音楽によって内的な身分の垣根は無化されているのに、殿様が宣言しなきゃ許されないという感覚がまだ君たちの中にあったの?となる。

    芝居の終盤は地下牢に集まった者たちの中で演奏がポテンシャルを上げ、音をかき鳴らし狂い踊るライブの時間となる。延々と続く演奏は気づけば幾晩にも及び、その間に地上では戦乱が通り過ぎて領地は荒れ野と化していた、というオチになる。
    生演奏は舞台下手上段に組まれたエリアにて、8名程の楽隊がやる。中央上手寄り中段にはドラムス、上手にギター。楽器が弾けるキャストも居て、出番がある。
    この演奏であるが、耳に覚えのある響きであったが今になって思い当たったのが渋さ知ラズ(バンド名)。管楽器の重層の上にソロ楽器のみならず、白塗り舞踏ダンサーたちが遊び、祝祭空間が出現する。ジャズ大名の演奏の狂乱は確かに重なるな・・。この三日三晩の演奏では照明、映像の大々的演出と、衣裳を変えた人の出入りによるバリエーションをこれでもかと見せてくる。今少し前の席にいたらトランス状態に引き摺り込まれたかも? しかし・・渋さ知ラズのノリは抵抗の香りがある。コンクリートにひびを入れる。それが何かはうまく言えないが、鉄の扉を開ける力技よりも、扉が変質してペシャっちゃうよな脱力の「力」、ここは音楽性の問題でもあろうが、その線も欲しかった気がする。地上との物理的な距離に守られてではなく、自らの音への没入によって俗世とは異次元の世界が生まれていた、そんなニュアンスを感じたかったかな・・と。中々抽象的な次元の話かも知れないが。。
    だが音を楽しむ人たち、を信じる事はできた。好意的評価。

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    2023/12/31 00:03

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