フツーの生活 公演情報 44 Produce Unit「フツーの生活」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    沖縄戦慰霊の日に観劇
    6月23日、千秋楽、沖縄戦慰霊の日に観劇した。劇団主宰の44北川さんはわざわざこの日を千秋楽に選んだそうです。芝居が終わり、44北川さんのとても控えめで感じの良い挨拶があり、全員で黙祷しました。
    今回、沖縄からもご高齢の戦争体験者が観劇に来られていて「いい芝居でしたよ」と涙を流しながら舞台に合掌して会場を後にされたのが印象的でした。本作を観て感動した沖縄のかたもおられたのは救いでした。感想は十人十色だと思います。
    「フツーの生活」というタイトルの字面が戦争物にしては軽すぎる印象で、観る前にほかのかたのレビューを読むとかなりの酷評に愕然とし、とても不安になりました。
    私は商業演劇の企画がどのように立てられるのかは知りませんが、本シリーズは初演ではなく再演ですし、安易に新国立の企画をまねたとも思えません。当日パンフレットを読む限り、作・演出の中島さんは現地で取材もなさったそうですし、作品に対する誠実さはじゅうぶん伝わってきました。
    「ガマ」を取材し、「取材でガマの中に入ろうが、本を何冊読もうが現実との間にはきっと随分差があって、ガマと一口に言ってるけれど、それぞれのガマにそれぞれの現実があって、また人間一人一人の現実だって違うだろうし・・・。」とあり、「この物語は体験者でもなく、沖縄生まれでもない人間が、触れにくく語りにくい物語だと思います。それでもあえて、今回この物語に関わろうと思いました。これから続いていく未来のために・・・。」という一文は鉛のように私の胸に重く沈み、部外者の傲慢な姿勢は微塵も感じられません。作・演出家も戦時中の沖縄を描くことに戸惑いや苦悩を抱えながら、作品に取り組んだのでしょう。出演者の一人である兵士役の佐藤正和さんも、ご自身のブログで、出演俳優たちと沖縄のガマを見学したことに触れ、「沖縄に行って、戦場になった場所をまわって、話を聞きました。知らなかったことに、罪悪感にも似た気持ちになりました。自分は役者なので、なんとか舞台で表現して、同じように知らない人たちにも伝えたいと思うようになりました。創作表現だから、観る人によって色んな感想を持たれるのは当然だと思います。で、自分の拙い芝居でどんな風に伝えられるのか…(中略)暗い暗いガマの中のお話ですが、彼らの笑顔を想像してもらえるような芝居になっていればいいのだけど。今回、それだけを考えて作りました」と綴っています。初演のときより今回、再演のほうが気が重かったと、作者、出演者、異口同音に語っているのが印象的で、彼らなりに作品への責任感は強く感じているようです。
    「何があっても生き延びよう」というのが北川さんのメッセージだそうで、それはしっかりと伝わりました。いまだ基地問題が解決せず、琉球の時代からの蹂躙の歴史を思えば、本土の人間としては沖縄に対して拭いようのないうしろめたさを抱えているわけですが、日本とアメリカが戦争した事実も知らないと答える子供がいる時代、たとえステレオタイプの描き方であっても、このような作品が上演されることは十分意義があると私は思いました。

    ネタバレBOX

    冒頭。戦争を生き延びた一人の男の思い出の中で65年前、ガマの入り口が戦火に染まる。作品取材でガマを訪れた際、「こんなところで死にたくないですね」と中島さんが言うと、当時赤ん坊だったと言うガマの現地案内人が「無念だったでしょうね」と答え、「ガマの暗闇から、沖縄の強烈な太陽の下に出ると、そのあまりの変化に頭がクラクラとするのでした」と中島さんは書いている。この一文は終演後に読んだが、夏草の茂るガマの入り口の明るさがとても伝わってくる舞台装置だった。
    「ここにいるのはみんな家族」という台詞があるが、強調するまでもなく、事実、東京から県庁職員の知花(大沢健)との見合いを兼ね、父について来て戦況悪化で帰れなくなった君子(高畑こと美)を除いては血縁関係が集まっており、「フツーの生活」を描こうとしたのはわかるが、人物関係の描き方が通りいっぺんなのには不満が残る。時系列的に戦況悪化の雰囲気は伝わるものの、芝居としての盛り上がりに欠けるのは事実だ。
    国民学校教師で軍国教育に没頭したスエ(福島まり子)が、終盤、過酷な戦況に自身の生き方に後悔の念を語るのが傷ましい。軍国少年で警防団員として張り切る進助(恩田隆一)のような子が本土ばかりでなく沖縄にもたくさんいたことだろう。かつて自分もこの進助世代の子供にあたる沖縄県人と本土復帰直後に共に仕事をしたことがあるが、「本土の情報には嘘が多くて信用できない。戦争中まちがった情報を与えられてみんな死んだから特に新聞は読まないことにしている」と言われたことがある。その人は、職場の規律も「親父の時代がそうだった。規則なんてクルクル変わるもの。バカ正直に守る必要がない」と言って何でも無視するため、職場で孤立してしまい、戦争時の傷跡が子供の世代にまで影を落としていることに私は複雑な思いになったことがある。進助の頑なな態度は、立場は違うがどこか彼を思わせた。
    けがを負って郷里に戻ってきた元軍人の年男(44北川)が、本隊にはぐれた傷病兵(塚原大助)と地元兵の部下(佐藤正和)がガマに逃げ込んでくると、次第に彼ら以上にナーバスになって、赤ん坊の泣き声にいらだったり、乱暴な態度になるところが現役兵への負い目の反動なのか、軍人時代のフラッシュバックなのか観ていてすんなり理解できなかった。
    長老格の栄助(新納敏正)と娘のツキ(藤川恵梨)がいかにも沖縄人らしい雰囲気を醸し出していた。高畑こと美は顔はあまりお母さん(高畑淳子)に似ていないと思うが、ふとした台詞の言い方が似ていて、若いのにしっかりした芝居をするので印象に残った。
    パンフレットにある「沖縄の人的損害」欄の「戦闘協力者55,246人」の中に、このガマの人たちも入れられてしまったのだろうか。そう思うとやりきれない。ガマへの攻撃により、一瞬にしてかりそめの「フツーの生活」は終焉し、進助だけが生き残る。その進助の眼前に、降伏勧告ビラを思わせる紙吹雪の舞う中で踊る人々の「フツーの姿」の幻影が現れる。あまりに切ない。

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    2010/06/24 23:26

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