満足度★★★
能を扱うときは表現に要注意
「鉄輪」は能楽本曲においては私にとって特別な演目で、初めて聴いたとき、現代語のように地謡の古語がすんなり耳に入ってきて、血圧がスーッと下がるのがわかり、何とも言えない快感を味わうことができるのだ。これはなぜか他の曲のときには起こりえない現象なのでよほど相性がよい曲らしい。
こんな陰惨な怨念に満ちた曲がなぜこれほどまでに爽快感をもたらすのか不思議でならないが、能楽師のかたに聞くと謡曲とはそういうものらしい。さて、能楽を現代劇でという試みが昨今盛んなようである。これまで自分が観てきた現代能の戯曲は、自分のような能楽愛好家から観れば本歌どりといってもその多くが原曲からヒントを得ている程度でまったく別物の現代劇になっている作品が多い。
三島由紀夫の「近代能楽集」などは、三島に古典や謡曲の素養があるだけに、実に巧みに換骨奪胎の文字通り“近代劇”に作り変えられているが、そういう作品は稀で、中には原曲の名前を冠するのもいかがなものかという珍作もある。
三島の「近代能楽集」が優れているのは、原曲の骨子を崩さずに、時代感覚を生かしつつ現代劇に面白く置き換え、能の怨念=タブーを封じ込めている点にある。
本作も、三島の手法に近いものがあるが、ひとつだけ残念なのは現代劇に置き換えたことによる「生(なま)の表現」が強すぎて、不快感を高めてしまう箇所があることだ。それが個性と言えなくもないが、古典が忌み嫌う「表現が生になる」というタブーを犯して現代劇を作るのは、能の特殊な主題を扱うときにはとても注意しなければならない点である。
以下、ネタバレで。
2010/06/28 03:05
2010/06/26 13:29
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2010/06/17 19:31
2010/06/17 18:13
KAEさまの「学生の能楽鑑賞会」に事寄せてつい長々とよけいなことをしゃべってしまい、申し訳ありませんでした。
本家のお能も、「オセロ」、「ジゼル」や「陰陽師」や「ガラスの仮面」をもとにした「紅天女」など「現代能」も創作上演してるので、機会があればごらんいただければと思います。