実演鑑賞
満足度★★★★★
よかった。いろいろ考えさせられる。港の労働者のエディ(伊藤英明)が20歳そこそこの姪のキャサリン(ケイト=福地桃子)をあそこまで縛ろうとするのは、なぜなのか。性的欲望があるのかないのか、その微妙な線は微妙なままに、とにかく事態だけは破局へと突き進んでいく。そこが大変スリリングだった。何かにとりつかれた人間の愚かさ・怖さを伊藤がよく出していた。一方の、福地も無邪気さとコケティッシュさの両方をバランスよく出して、若い魅力を存分に発揮していた。
奥行きのないコンテナの中のような部屋。安っぽい蛍光灯が並ぶ天井が上下して、メリハリと心理状態と、場面転換(アパートと弁護士事務所)を示す。ジョー・ヒル=ギビンズの演出は、労働者仲間などわき役3,4人をカットし、戯曲の本筋だけをくっきりと示す。90分という短さにも、その凝縮ぶりが出ている。
作者はギリシア悲劇・喜劇を意識して本作を書いたという。エディの異様ともいえる偏執・偏向ぶりも、ギリシア悲劇の人物がもとになったと考えれば、うなずける。かつて鄭義信の「たとえば野に咲く花のように」も、「あの男を殺して」という妄執にとりつかれた女性エキセントリックだったが、これもギリシア悲劇「アンドロマケー」を下敷きにしたからだった。