兎、波を走る 公演情報 NODA・MAP「兎、波を走る」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     野田秀樹の「兎波を渡る」を観た。
     このところ、彼の作品は、「忘れられない、忘れてはいけない不条理に向き合う」というコンセプトで作られている。「エッグ」=「731舞台・人体実験」「Q」=「シベリア抑留」というような、無辜の民が、歴史の不条理に巻き込まれて塗炭の苦しみを味わう。それが、最初は、全く関係ないような、「幻の東京オリンピック」だったり「ロミオとジュリエット」だったり「源氏と平家」だったり、して、彼の得意な「言葉遊び」をしていくうちに、単なる遊びでなく、意味の糸がつながっていって、結末に向かって、謎がほどけ、そこに、不条理な状況に放り込まれた、無名の人々の苦しみ、生き様が浮かび上がってくる。忘れてはいけないのに忘れ去られようとする、一人一人の人間の無残、悲痛な思いが浮かび上がって胸を打つ。そういう意味では、唐十郎の正統な後継者だろう。

    ネタバレBOX

     今回の出だしは「不思議の国のアリス」を上演する廃園となろうとする遊園地。兎に付いていった、〈娘アリス〉(多部未華子)は拉致された子どもとなり、兎は工作員となる。兎の一人は脱北して、拉致問題を告発した元工作員〈アン・ミョンジン〉(高橋一生)となる。そして、拉致された我が子を探し出そうとする〈母アリス〉(松たか子)。
     今回は2時間少々と最近の野田作品にしては短めなので、分かりやすい。3時間を超える大作となると、投げた糸が、つながっているのだろうけど、見ていて混乱する。もちろん、今回の作品でも前段に書いたような単純な話ではなく、「カジノ」の問題や「生成AI」の問題も複雑にからみ合っている。
    言葉遊びで言えば、[妄想するしかない]は、ほとんどバーチャルに侵食されている現実、子どもたち(大人たちも)をそんな世界に拉致されている「今」と[もう・そうするしかない]国=違法でも、非人道でも、[そうするしかない]所まで追い込まれている(?)全体主義国家をかけている。工作員である[兎]はローマ字読みで[USA GI=アメリカ兵]となる。日本風の軍服を着た教官と兎。
     なぜ、工作員なのに「アメリカ兵」なのだろう、と思っていたが、ラストで、氷解した。[もう・そうするしかない]国とは、「北朝鮮」だけでなく「ロシア」も意味するのだろう。まだ続く戦争、戦争犯罪に、ウクライナの子どもをさらって「洗脳する」という非人道的な、ものがある。
     工作員「兎」がピーターパンとなって、子どもたちをネバーランドにさらっていく。それも「拉致」の比喩で、子どもたちは「親なんかいらない。」と言え、と洗脳されていく。「ロシア」の拉致から、取り返された子どもの中には、すっかり洗脳されて、「ウクライナはネオ・ナチだ」と言う子さえいると聞く。
     〈アリス母〉は聞こえなくなった〈娘アリス〉の声を必死で聞こうとする。「母」は絶対に諦めない。それは「母」だから。「父」と違って、「母」は絶対殺さない。そして、何度も38度線を越えて〈娘アリス〉を救い出そうとする〈元工作員アン・ミョンジン〉は、「日本」のことではないか。かつて「もう・そうするしかない国」であり、朝鮮半島から人々を連行してきた全体主義国家であった。(野田の言う「忘れてはならない不条理」には「被害」だけでなく「加害」も含まれるのだろう。いや、「加害」こそ忘れてはならない、と言うのだろう。)戦後アメリカ側になり、「資本主義的要請」のもと、今また、非人道的な、踏み越えてはならない「流れ」、「力」に身をまかせていないだろうか。「妄想するしかない国」に子どもたちを拉致されて平気で、その声を聞こうとしなかったり、「クラスター爆弾」や「核兵器」というような非人道的武器(そもそも武器は全て非人道的なんだけれど)の使用に目をつぶっていないだろうか。平和主義国家として、平和裏に、「戦争」を「非人道的行為」を終わらせる役割を担え。
     そんな野田のメッセージを読み取るのは、私の「妄想」だろうか。
     いや、そうではないだろう。「幻想」される「〈娘アリス〉を求め続ける〈母アリス〉」と「跳ね返されても跳ね返されても、38度線を越えようとする〈兎=元工作員〉」の姿に、限りなく絶望的でありながら、微かな、でもたしかな「希望」を見て涙が流れた。

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    2023/08/18 09:01

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