半魚人たちの戯れ 公演情報 ダダ・センプチータ「半魚人たちの戯れ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    新曲が作れなくなったあるバンドの存続と、未来が約束されなくなった世界の存続が並行し、時に一体化して進む物語。その行方は終わりか始まりか。はたまた終わりの始まりか。

    ネタバレBOX

    終末を想起させるような黒一色の舞台美術の中、バンドの話でもあるにも関わらず目立った音楽的効果や大仰な演出も使わないことを選んだ意欲作。ほぼほぼ俳優の身体のみに託される言葉と物語は、おそらく意図的にとっ散らかり、その裾と裾が重なることはあっても、わかりやすい結合を果たさぬまま一人一人が「断片」のまま最後まで行く。
    そのあまりの潔い世界の手放し方や異世界然とした世界観に最初は困惑してしまい、「このままいってしまうのか」と不安を覚えたけれど、舞台上で描かれるディストピア的風景がその実予見的なまなざしに溢れていることが示されてきたあたりから、突如現実味が増してくる不思議な魅力のある作品でした。どこのいつの話かわからないものが、いつかくるかもしれない話に成り代わるまで。そんな示唆的な導線がシームレスにも着実に敷かれていたことに後々振り返って気付かされました。霊魂や夢という不確かなものが、災害や人災という確かな災いを呼び込んでいくような物語の構造には、作家の「全ての事象は何かへのサジェスチョンなのではないか」「見えぬものこそ見なくてはならない」という魂が忍ばされていたような気がします。

    ディストピアを描く一方でバンドやその周囲の人間模様には、表現者特有の売れる/売れないという葛藤や、他者の才能への嫉妬や焦燥、芸術と商業における価値の違い、メンバー間の恋愛などの現実的な心の揺れも要所要所で描かれていたのですが、終末とそれらを掛け合わせることが興味深かった分、その混ざり合いや昇華をもう少し見たかったという心残りもありました。
    とりわけ「バンドの亡きメンバーであり、自分よりも才能ある恋人が作った歌『半魚人たちの戯れ』が死後にバズる」という一つの結末からは、そこから描き出される物語の面白みや深みがまだある気がして、また作家である吉田有希さんご自身が芸術や表現を題材にオリジナルの物語を紡ぐ腕を持っているのではないかという期待もあって、もう一歩先の世界を見てみたかったという体感が残りました。

    陸で生きられなくなった人間が海で生きられるわけが到底ないように、音楽をやめた人間が音楽家であれるはずもない。終末に向かって何かを少しずつ失って、かつての形状をとどめていられなくなることが「半魚人」を指していたのか。それとも、どちらでも生きていけるように、むしろ自らすすんでかつての形状を放棄していくことが「半魚人」を指していたのか。いずれにしてもそれが「戯れ」=「本気ではない遊び」であることに、本作は世界に対する皮肉を忍ばせていたのではないかと想像しました。

    カンパニー全体の取り組みにおいては、制作面の配慮が素晴らしく、核兵器や災害の描写があることを事前のSNSや当日アナウンスでも言及していたほか、上演時間、残席数、当日券状況、出演俳優陣の紹介などが繰り返しこまめに発信されていて、欲しい情報にリーチしやすい環境がとても助かりました。観客が劇場に足を運びやすくなるような配慮だけでなく、創作に参加する俳優への敬意も感じました。そのことは舞台芸術全般において今とても必要なことだと感じます。

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    2023/06/05 16:40

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