満足度★★★★★
赦すということの意味
この作品を観て、思わず上司に「仕事やめます」となぜか言ってしまったほど、衝撃を受けた作品。・・・当時書いた劇評を一部訂正の上、転載します。
「20代という若さゆえの潔癖さか、誰かを赦すことができず、処理できない気持ちを爆発させ、悲劇が起こす人間を描いてきた長塚圭史だが、この作品の1年くらい前から、男女や家族という人間関係の中での「赦す」ということを描くようになっていた。ただ、それは無償の行為、自己犠牲の行為などでは、けっしてない。彼らは、自分が赦されたいから赦すのだ。また自分にとって都合がいいから赦すのだ。なぜなら、赦さないと、ひとは誰かを愛せないから。だから、自分のためであっても、赦さないより、赦したほうがイイ。
そして、関係が続くかぎり、その「赦し」は美しいまま残ることなく、生活と感情の中へうずもれてゆく。そして、混沌とした苦しみと、本当の「劇」は、そこから始まる。」