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  • 映像鑑賞

    満足度★★★★★

    Antikame? 『こえを見ている』

    配信ではあるが、Antikame?を観るのは、『なんども手をふる』『じくりじくりと蝕まれていく』についで3回目。
    ストイックで内省的、静かで台詞(あるいは台詞と台詞)の行間を考えさせるスタイルが一貫している。
    そいういテイストがとても好きなカンパニーだが、(個人的には)観るときに体調というか気持ちというか、そんな心構えが必要ではある。

    以下「ネタバレBOX」へ。

    ネタバレBOX

    最初の20分ぐらいは真っ暗なので面食らった。
    しかも5分ぐらいは無音。
    配信の問題なのかと疑ったほど。

    その暗闇の中の「ない」「聞こえない」などの否定の語句がやけに耳に響く。
    「心にないことを言うけど」。
    暗闇でならば、なんとか言える「ことば」があるのか、あるいは「ことば」の背景が暗闇の中なのか。

    暗闇での「こえ(ことば)」は相手に向かって発せられているものなのか。
    「相手」とは誰? 他人? 自分?
    「見ている」のは「他人」なのか「自分」なのか。

    相手ならば「会話」であるが「自分」ならば心の内の自身との会話である。
    自身との会話であれば、いつも暗闇の中を手探りで歩いているのだ。

    誰しもわかっているようでも、何もわかっていない。

    そうした疑問がいくつも浮かぶ中で、どうやら「こえ」の先には「ワタシ」がいるのではないかと思い始めてから、舞台は徐々に明るさを増し、「こえ」の主たちが現れてくる。

    暗闇には宇宙(的)孤独がある。

    暗闇は「今」自分の周りにある「世界(社会)」の姿であり、「こえ」(ことば)はその先を見る(知る・知覚する)ための道しるべである。
    しかし、外に広がる宇宙だけではなく、自身の中の「宇宙(暗闇)」がある。
    それに意識を向ける。

    大気圏再突入が不可能なスプートニク2号は間違いなく、地球の軌道上にあった。
    あるはずなのだが、どこにいるのかは判然としない。
    「こえ」がないから。

    舞台が明るくなったのに、こえの主たちの周囲には依然として「暗闇」がある。
    こえのするほうを、すがるように「見て」も手からするりと抜け落ちてしまう感覚。
    自分のこえさえ自分に届いているのかも危うい。

    自分の手の先さえも、すでに暗闇の中にあるのではないのかという、存在感の不安。

    ウーバーの配達員は、存在するのに「いない」とされてしまっている。
    「配達」という行為があるだけで「員」という人はいないのだ。

    スプートニク2号のライカ犬も「初めて宇宙に行った動物」という事実があるだけで、生き物としての存在はあらかじめ失われている。

    私たちは、そんな場所にいるのだ。
    暗闇の中を「あっちからこっちに流れていくだけ」の存在。
    それでも「こえ」があり、「見る」ことはできるのではないか。
    それが唯一の私たちの「存在」を示しているのだ。

    カメラワークの選択は、MUとはまったく違う。
    演目ごとに変えているのはとても良い。

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    2023/05/16 17:50

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