ヒメ 公演情報 チェリーブロッサムハイスクール「ヒメ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    サクラ・クロニクル
    出会いと別れを見守るかのように咲き誇る春の風物詩、桜。満開の桜の樹の下には死体が埋まっているかどうかは定かではないものの、桜には何かしら不思議な力が隠されているような気がしてしまう。そんな素朴な疑問に寄り添うように展開されるこのドラマは桜の満開なこの季節にふさわしい、さわやかなペーソスに満ち溢れていた。

    ネタバレBOX

    サノ教授はどうして死んだのか?
    教授が大切にしていたヒメザクラと呼ばれる一本の桜の樹と20年前をキーワードに迫るミステリーテイストの学園ドラマ。

    俳優、脚本、音響、空間演出、舞台美術とどれをとってもまったく非の打ちどころがなく、特に両サイドの通路、6つの出入り口、中二階をくまなく用いた空間演出は過去、吉祥寺シアターで観劇した作品のなかで最も空間の奥行きと広がりを感じた。
    そして照らす。ことを楽しんでいるかのような照明がすばらしく、あんなにも照明に対して躍動感を抱いたのははじめてだった。冒頭と中盤のダンスも圧巻であった。

    しかし照明、ダンス、音響、空間演出のグルーヴ感に比べると、物語があらすじ通りに進んでいるというか、上手にまとまりすぎていてるというか、全体像がぼやけているような印象を持ってしまった。
    これは多分、主役が不在という訳ではなくて、教授の謎とヒメザクラの謎を主軸にした人間ドラマのなかに解き明かされない心理的な謎や、心にひっかかるような余韻が希薄だったからのように思う。

    校内における謎の大半が生徒らのくだらない噂話によってつくられるものだとしたら、20年前というキーワードは、そういった中から出てくるべき証拠であるはずで、ヒメザクラを切ろうとした時にユキの父親が交通事故に合ったのは、大変なスクープでそれこそ、ヒメの呪いだ!などと言って騒ぎ出す輩がいてもおかしくないような気がするのだけれど、舞台はとても淡々としていた。

    要所要所に出てくる桜井くんという学祭で使うかぶりものが出てきたり、うっかりかぶってしまったためにカワイイキャラクターを演じなければならななくなったオモイガワとアリアケなどはコミカルで面白かったのだが、ユキ、ウコンなど、ぶっとんでるキャラクターが少々空回りしているような殺伐とした空気が場内に立ちこめていた感は否めない。

    学校には必ずしもハメを外してしまうおバカさんがいるものだ、という固定観念がどうも私の頭の中から抜けていかないのだという物言いは安直かもしれないが、やはりどうしたって私はトキメキたかったのだ。サノ教授と奥さんのエピソードなど、もっと聞きたかったのだ。
    (こう言う言い方は間違っているかもしれないが団体名の通り、ここはストレートに(?)桜高校を舞台にしたお話にしてもよかったのではないか、とさえ思ってしまった。)

    そうは言っても物語の中でサノ教授の真相を代弁する役として登場するアンタは、オマエがヒメで20年前に死んだ奥さんの生き写しであり、品種改良に失敗した散らない、咲かない桜であるという、ヒメザクラの謎解きをするストーリーテラーとして上手に機能しており、ミュージシャンのチェリーの想いとヒメの記憶とがシンクロした時に起きた奇跡には目を見張るものがあった。3人の演技もすばらしかった。

    ただ、サノ教授の謎に迫る学園内の設定や動きに関しては少々首をかしげるところがあった。それはあらすじに書いてある、どこにあるかは誰も分からないであろうヒメザクラが、生物学部の敷地内にあることが序盤であっさりわかってしまったこと。これには少々げんなりしてしまった。

    それからサノ教授はオオシマ准教授が殺したのではないか。と疑うコトとフジカワのくだりは理解できるが、ヒメザクラを売って欲しいとやってくるOLのヤナギは、オオシマ准教授を学園外に連れ出すために配属されたようにしか見えなかった。彼女こそ、ヒメザクラの知られざる秘密の情報を握り、ヒメザクラの謎に迫る人物ではないか。と思われたのだが…。

    また、カモイダについては冒頭、ひとひらの花びらを片手に桜を枯らしてしまった、世界の終わり、など詩的なセリフを述べるものの、何としてでも桜を咲かせようと奔走する熱意というか動きが見られなかったため、ラストでの彼女に桜が降り注ぐ場面には、あまり感傷的になれなかった。
    カモイダが生物学部を訪ね、噂で聞いた散らないサクラを学園祭で何とか咲かせることはできないか交渉すべきだったのではないだろうか。

    しかし20年前の事故によるサノ教授、オオシマ准教授、サノ教授の奥さん3人の因果関係と木を切ろうとしたユキの父親の事故の奇妙な関連性、20年前のカレンダーがサノ教授の遺品のなかから突然見つかるというエピソード、ヒメをエキスに作ったドラッグを使用したフジカワがあちらの世界へ身体を持って行かれそうになるところなどは、SF的要素の含まれたミステリードラマとして楽しめた。

    あと、給食室をたまり場にしたのはすばらしいアイデアで、トオヤマさんのキャラクターもナイスであった。個人的にはトオヤマさんは勤続20年くらいのベテランさんであってもいいような気がしたけど、それだと色々と知りすぎてしまっているから若い女性ぐらいで丁度良いのかな、なんてぼんやりおもったりもした。

    上述したように物語はとてもキレイにまとまっており、エンターテイメントとして気軽に楽しめる作品だったのだが、何かが物足りないように感じてしまったのは事実。非常に完成度が高い作品なのにどうしてなのだろう。と考えた末、ひょっとして説得力に尽きるのではないか。という結論に行きついた。
    作品のなかでの説得力とは、本公演のキャッチコピーである”想い”の強さというものであるはずなのだが、上手に連携がとれていなかった箇所があったように思う。その想いというのは、生徒がサノ教授を想う気持ちであるような気がするのだが、生徒たちがあまりサノ教授に関心を寄せていないように見えてしまい、そこが物語にのめり込めなかった原因なのではないかな、と。
    あるいは非の打ちどころがないことが、この団体のむしろ足かせになっているのではないか、という。
    もちろん勢いだけがすべてだ、とは言えないが、ある程度の乱雑さはこの場合、少々あってもいいように思う。そういうくだけた乱雑さのなかから人間味がじわりと滲みだすような気がしたのだ。

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    2010/04/03 09:24

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