スイングバイ 公演情報 ままごと「スイングバイ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    無邪気さと無自覚と
     20世紀アメリカの作家ソーントン・ワイルダーの戯曲には、人類の歴史を、とっても身近なちいさな社会(町とか、家庭とか)にまで圧縮して、重ねて描く作品がいくつもある。その代表作が “Our Town” (わが町)なので、「わが社」の歴史と人類史とを重ねて描く今作は、前作『わが星』と同じくワイルダーを下敷きにしている。

     ワイルダーは本当に面白い。でも僕には、柴幸男作品にちょっと疑問があるのです。

    ネタバレBOX

     人類の誕生とともに創業された「わが社」のビルは、毎日1フロアずつ歴史を積み重ねていく。今日は、2010年、3月○×階。そんな「今、ここ」で、僕らは、いつもとなんにも変わらない、一日を働いてすごす「社員」という人類の生活を見せられる。

     出会いもあれば、別れもある。結婚して、子供が生まれて、出世する人もいる。ほとんど人に顧みられない仕事を、延々つづける人がいる。なにもかもが嫌になって、働くのをやめる人がいる。そして、退社という名の「死」を迎える人もいる。柴幸男の演劇は、ワイルダーの劇作よろしく、小さな「わが社」という社会の中に、人間の営みや人類の歴史を圧縮する。

     「すずと、小鳥と、それからわたし、/みんなちがって、みんないい。」口当たりよいリズムにあわせて、人の全てを肯定する。ちょっと、じーんときてしまう。

     でも、ワイルダーのものと違って(金子みすゞとも違って)、この人類史には、戦争も、憎しみもない。苦しみがあんまりなさそうだ。どこか、そういう人類の負の側面を、「あえて描かない」ようなところがある。悪いことには、あえてそうしていることに、作者の自覚がないみたい。よしんば自覚があるにしろ(劇団名「ままごと」だし)、表面的には全く無邪気にうつるそれは、観客の目も、そういう部分から、無意識に目をそらさせる、危険な世界だ。今の世界を、「そのままでいいよ」と言って肯定してくれる、甘くて幼いユートピア。ノスタルジックな絵空事にしか見えなかった。

     「わが社」のタイムカードの形のチケットを、レコーダーに通してから、僕らは舞台に案内される。舞台に入るとパンフレットを「社内報です」と社員姿のスタッフから受け取る。劇場を、今日は「わが社」とみなすルールは、観客席を舞台と接続させようという試みだろう。

     でも、柴幸男のやり方は、観客の側に、舞台のルールに従わせるやり方。彼らの無邪気なままごと遊びに付き合わされる僕には、それは無自覚なだけ、よけいに傲慢と見える。そしてルールは、その外側を、内側から切り離してしまう。今回、舞台で演出家を演じた柴は、舞台上で、役者たちのかけあいを見て大笑いしていた。稽古場のような空気。よほど楽しいのだろう。観客の側を、つまりは、演劇の世界という小さい社会の外側を、みているようには思えなかった。そんな姿勢が、「今」を如実に表している、といえないことも、ないけれど。

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    2010/03/18 00:42

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