しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】 公演情報 キューブ「しびれ雲【11月6日~11月12日昼公演中止】」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ケラ舞台を久々に、という所で、折しも夏に上演した「世界は笑う」の配信があり、本作の追加公演発売があり、ほぼ同時に購入。後でよく見るとこっちは中々お高い入場料(衝動買いしてしまった)。
    さて「世界は笑う」の出来がえらく良く、直前に観たせいもあり、開幕早々緒川たまきの特徴ある声が「同じキャラ」の使い回しに聞こえる(うまい料理でも続けてはちょっと..)。Nylon100℃を初めて観た舞台に感じた「緩さ」も感じる。多くの評とのズレを感じる所だが、今まで観た(大して観ちゃいないが)ケラ作品で当たりは少なく、今回はハズレの回かとの予感を過らせつつ観始めた。
    2時間弱で漸く休憩に入る長編(上演時間はチェックしてなかった)、前半を耐えて後半ガラッと様相を変えるパターンを期待。二幕ではフジオの初恋、夫婦喧嘩の仲裁、父親のボケ(認知症)と見入らせる優れた場面が訪れる。ただ、記憶喪失のフジオという存在を除けば全体に昭和的な日常の要素だけを貼り付けたような劇で、敢えてそうした「意図」の片鱗を探りながら観ていた所がある。そうした「何事もなさ」や捻りのない笑いは、「ついに枯れたか?」との念がふと過ぎったほど。基本、半径何メートルの日常の風景と言って良いのであるが、それに相応しいタッチだったかどうかの点で、多分自分の好みとは異なった。

    ネタバレBOX

    オープニングチューンは小津映画を思い出させる雰囲気、楽器編成で、この劇は日常性のドラマにこだわった小津や成瀬の映画の世界へのオマージュか、と予感させた。が、結論的にはオマージュには(私の目には)なっておらず、従ってこの芝居の本当の狙いは?・・とずっと探りながら観ざるを得なかった。
    後半ぐっと聞かせる台詞劇の場面を三つ挙げたが(この芝居を構成する三つの物語)、実は父親のボケの部分は泣かせに来てるなあざといなと鼻に付いてしまった(ひねくれ者なので)。
    で・・感じた「緩さ」の原因はこの創作方言にあると思い至る。「・・だり。」「・・がや・・」「・・しくさりなさって・・」、などの創作方言はベースが西日本(「・・っとらん(否定形)」等)。これは「キネマと恋人」で島の住人が使っていたもので、主人公の女(緒川たまき)が銀幕の中の男と不思議な付き合い(女にとっては恋)を始めるドラマにおいて、東京と島の暮らしとの対比は重要な要素で、これを印象づけるのに効を奏していたのだが、今回の舞台では全編、住人同士の日常語として終始話される。つまり、別の言語であっても良い所、ケラ氏はこれを選んだ訳である。
    方言が趣きをもたらす作品は多々あるが、それがこの芝居の場合、架空の方言だと分かるため「もどき」になる。「茶化し」として機能していると感じてしまうのだ。
    島に流れ着いた記憶喪失の男が元東京に居たらしい、という話で終盤テンションが高まって行くが、予想通り彼の身元を劇中明らかにすることはなく、彼が島で生きて行く決意を語り、唱に繋がって芝居は終わる。
    この劇は、このストーリーをベースに取れる箇所で笑いを取りに行ってる劇、とも私には見えた。が、もどき方言の「おかしみ」に頼った笑い自体が「もどき」に感じられ(即席ラーメンみたく)、実はあまり笑えなかったというのが正直なところである。真実味がベースにあるか否かはやはり笑いにとっても重要、というのが私の結論。

    追記:今更ながらチラシに書かれたケラのコメント(執筆前らしい)を読むと、小津、岸田國士、アキ・カウリスマキを意識した作品になるだろう、とあった。作者の理解によるこの三人の共通点は、突き放した描写と、笑いだろうか。意地悪く言うつもりはないが「違い」の方が意識されてしまう・・・酷薄な状況とその当事者の意識(ミクロな希望)のギャップが笑えるアキ・カウリスマキほどの酷薄な状況はないし、日常風景の中に人間の微細なさざ波を掬い上げ、遠目に映し出す小津映画の根底にある「リアル」とは逆を行ってるし、群像劇と岸田國士はイメージ的にうまく繋がらない。
    やはりポイントは「リアル」で、私の耳には方言がそれを終始邪魔していた。

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    2022/11/30 08:42

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