『地獄変』 公演情報 芸術家集団 式「『地獄変』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    直前に観た他劇団の舞台も「芸(術)」に命を懸けた男の話で、そちらは実在した人物の話、こちらはフィクションだが、それぞれに鬼気迫る形象があり自分の中では呼応するものがあった。
    山の手事情社を暫く観れておらず(恐らく5年、いやそれ以上)、という事もあって足を運んだ。やはり山の手出自のユニットらしく身体表現が山盛り。静と動と、目まぐるしいが、腑に落ちる所大である。客席への問いかけの形である種の「議論」を試みる。そこに創造者の挑戦を感じる。そのあたりは、後日。

    ネタバレBOX

    原作は大昔に読んだ記憶があるが、多分十代の頃の事で、文体は味わっても中身を理解したかどうか。小説を「格好良いもの」として読んでいた年頃だ。
    だが筋立てはシンプルで、先般シアターXの主催公演でオペラ版の「地獄変」を観たばかり。こちらは面白く見始めたのだが視界を阻む前席の頭を避けてステージを見てやろうとの気力が徐々に萎え(疲労と睡魔で)、絵描きの娘が業火に焼かれる最終場面を見逃し、拍手で目覚めるという失態。これでは「観た」とは言えず感想共々封印したが、話の筋は今回のと微妙に異なるな、と思った。原作を見ないとどちらがどうとも言えないが、今この作品をどう読むか、には色んなスタンスがありそうだ。
    今回の舞台、身体表現も含めて「形」へのこだわりを感じたが、表現の大元である所の「意味」が凝縮する程表現の質が増すとするなら、ラストが惜しく思った。赤布の幕を左右に渡してのパフォーマンスだが、(私の好みに過ぎぬと言われればそれまでだが)絵を描き続ける絵描きの手元には生きた対象が滲み、またそれらは命そのもののように消えて行く。塗り固めて赤に同化する、と理解しても良いかもであるが、最後は布の向こうの身体たち(即ち描かれた者たち)が狂い踊る(あるいは悶える)。これを「絵が描かれ続け、人は生まれて死に続ける」といった含意とすると、表現の形に対して意味の方が広過ぎる、と感じる。動きを加速して終わるのでなく、静謐の中に闇を感じたかった。絵描きの主観に寄った表現と考えると、そこにも永遠と同義の営みの残酷さがあり、狂騒とは異なるものになりそうであり、喜悦が込められるなら、対象の方は妖しげな動きにならないだろうか・・無責任な「ダメ出し」になっておるが、要旨は「意味的な狭まりがあると良かった」だ。
    半ばにおいて議論が試みられていると書いた本論の方はまた後回しに。

    0

    2022/10/17 08:56

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大