実演鑑賞
満足度★★★★
昨年の「物理学者たち」で知った20世紀の劇作家ディレンマットの名を目にする機会が、今年6月新国立「貴婦人の来訪」、そして今作と(なぜか?)続く。
挑発的な、濃い戯曲で、科学者の倫理を問う今作と「物理学者たち」は共に寓意性が高いが、今作がよりグロテスクである。というのは、既に死んだ者が平然と’(時系列を無視して?)登場したりする事以外は「リアル」の範疇で、描き出されるのは(「物理学者たち」が不条理劇に近いのに対し)人間同士が日常の延長で関わる風景であったりする。
舞台となる「地下」の用途目的、状況(死体溶解装置が置かれている)自体が異常であり、(装置を作った)元科学者が日常を送る場であるという設定は、異常を意識する時間と、無意識化される時間とを作り出す。
現代の「異常さに慣れ切った」側面が凝縮されたとも言える場に高給と住処を宛がわれた彼は、最も観る者が感情移入する登場人物ではあるが、それが観る者の正常感覚を揺さぶる。
ドイツ語圏スイスのこの作家は上記「物理学者たち」で名声を手にし、本作の「大失敗」(Wikiより)で戯曲に手を出さなくなったとか。元々小説家、エッセイ作家でもある彼の戯曲は数は少ないがどれも20世紀的問題臭を強烈に放つ。ただ今作「加担者」は世紀を跨いで跋扈する「神から最も遠い」呪われた何かの影を突き出してくる。
話の展開は神経を石臼で挽くようだがどこか甘味で、人間(自分)への深い疑いと絶望を抱いたときに却って人間(自分)を愛おしくなるあの瞬間の記憶が掠める。