期待度♪♪♪♪♪
クイーンの楽曲でやる、というだけで必見の部類であったが初演は観られず、再演は諦めず食らいついてどうにかチケット入手。
芸劇発行のフリー冊子の徳永女史のインタビュー記事を読むに、「フェイクスピア」で発見した「劇的」構図はNODAMAP舞台のスタンダードのようである。紆余曲折、バラバラのピースは観客の目を引き付け時に笑わせながらも解答を引き延ばし、最終局面で一気に歴史事実の、ドキュメントな局面に接続する。この形は成程言語の遊戯者である野田演劇の世界に相応しいフォーマットであるが、事実の価値を決めるのは主観である。新聞に大きく取り上げられる部類の「事実」を使おうと、安泰な日常にスパイスが欲しい程度の(この料金の舞台を観に来る位だからワーキングプアでない事は確かだ)ニーズに応えるには十分でも私ゃ納得せんからな、という気持ちはある。
どんな小さな事実でも主観はそれを重要と認める。それが演劇の世界。大いに楽しみにして・・しまっては落胆した時につらいので期待は間引いて観に行く、という態度も貧乏性で認知的不協和を避ける小市民な自分である事は認める。